十八章 旅の終わり <Ⅱ>ヒミコの裔

「慈慧法師様は、どうして望みの鏡を持っていたんですか?」


 影法師が落ちついたところで、あたしは一番聞きたかった質問をした。


「あれは私の一族に伝わる宝なんですよ」


 影法師が答えた。


「あの鏡にまつわる面白い物語が伝わっておりましてね。お聞きなりますか」


「はい。お願いします!」


 シグレも聞き耳を立てている。


「昔々のことです。日の女神様が、言うに言われぬ恥ずかしい思いをされて――どんなことだったかは伝わっておりませんが――、何処か人知れぬ場所に身を隠されたそうです。日の光を失った此の世は、終わりのない冬となりました。

 山河は凍り、草木は枯れ、すべての生き物が絶え果てようとしました。そこで一人の尊い巫女みこが、日の女神様を捜す旅に出たのです。


 巫女は、森の古木や峰の大岩に宿る精霊に、女神様の隠れ場所を尋ね歩きましたが、誰も行方を知りませんでした。むなしく巫女が故郷に戻ると、巫女の可愛がっていた童女わらわめが凍え死んでいました。

 巫女は悲しみに打ちひしがれながらも、このうえ犠牲を出させまいと、我が身の命を捧げ物として、日の女神様の御帰還を祈ったそうです」


 あたしはドキドキした。鏡の間で見たヒミコさまの話によく似ている。


「すると、それまで空を厚く覆っていた雪雲の中から神鳴りが轟き、いかづちくだって、日の女神様の隠れひそまれた岩屋を打ち砕きました。

 岩屋からお出ましになった日の女神様は、巫女の死をいたまれて天に戻られたので、此の世に日の光が甦りました。巫女の祈りが天に通じたのです。


 命を救われた人々が、巫女のしかばねを葬ろうとすると、その亡骸はどこにも見えず、巫女が身に帯びていた、聖なる黒い石でこしらえた小刀だけが、雷に打たれて砕け散っていました。

 その破片を磨きあげたものが、望みの鏡だということです」


 あのとき、ヒミコさまが手にしていたのは、黒い小刀だった!

 まさか、ヒミコさまの小刀が、望みの鏡だったの?


「あの! その巫女様って、もしかしたら、ヒミコさまっていう方ですか?」


 声が大きくなってしまった。

 影法師が驚いたようすで頷いた。


「どうして御存知なのですか? そうです。巫女様の御名前は、日を見る子と書いて、日見子と伝わっています」


「さればこそ!」


 ヒミコさまの祈りは天に届いたんだ。子供たちを救ったんだ。


「あたし、ヒミコさまに会いました!」


 あたしはその場で跳びはねて泣いた。じっとしていられなかった。


「鏡の間っていうところで、ヒミコさまから、そのお話を聞いたんです」


「まさか。日見子様御本人にですか」


「はい!」


 嬉しくて、思わず法師様の手を握ったら、あたしと一緒に跳ねてくれた。

 ぴょん、ぴょん、ぴょん!


「その言い伝えが本当なら、ヒミコさまの村には助かった人がいたんですよね?」


「勿論ですとも。私がその子孫です。私の一族は、日見子ひみこすえと呼ばれていました」


 ――ヒミコの裔。


 あたしはもう我慢できなくて、顔を覆って泣き出した。


 ヒミコさま。良かったね。

 ヒミコさまの大事な子どもたちは、ちゃんと生きてたよ。

 ヒミコさまが頑張ったから。ヒミコさまがみんなを守ってくれたから。


「ヒミコさま!」


 号泣するあたしの肩に優しい掌が触れた。

 その掌はヒミコさまのように温かかった。

 

「ごめんなさい。うれしいんです。ものすごく、嬉しいんです」


「時雨さん。ありがとう。うちの先祖をそこまで案じてくださって」


 影法師の声も潤んでいた。


「良かったです。でも、それが分かってたら、ヒミコさまは自分を呪ったりしないで済んだのに――」


「なんですと。日美子様がご自身を呪ったのですか」


 影法師の声が強張こわばった。


「そうなんです。ヒミコさまは、村が滅んでしまったと思ったんです」


「なんと、おいたわしい」


 影法師が涙声でつぶやいた。


「それで、自分で自分を呪って、自分の魂を鏡に封じ込めてしまったんです」


「なんということだ。それでは日見子様は、今でもその鏡に?」


「いいえ。大丈夫です。もう呪いは解けました」


「そうでしたか。ああ良かった。有り難いことだ」


 影法師が安堵の吐息を漏らした。

 合掌する背後から、シグレが囁いた。


「この子が呪いを解いたのですよ。日見子様だけではなく、鏡の間に封じられていた千の鏡の呪いを、時雨がすべて解いたのです」


「何だって。あなたは、そんな尊いことをなされたのか」


 影法師が一歩飛び下がった。


「いえ。あれは――。あたしは――。自分でよく分かってなくて」


「なんと有難い……」


 影法師がひざまずいた。

 合掌のターゲットがあたしだ。間違いなくあたしを狙って拝もうとしている。


「だから、やめて!」


 あたしは絶叫して、すぐに後悔した。


 あたしの声に驚いて、中腰のままあと退ずさった影法師は、かかとで蛇の太い尻尾を踏んだ。

 影法師はそのまま諸手もろて上げて仰向あおむけに倒れた。

 タイヤのような蜷局とぐろに影法師のお尻がはまりこむ。

 両手と両足が万歳して、数珠じゅずが空を飛んでいった。


 ――影法師は身動きが取れなくなったまま、自分の姿に爆笑した。


 もう滅茶苦茶。可笑しくて涙が止まらないよ。

 法師様がシグレに助け起こされるまで、あたしたちはいつまでも笑っていた。


 霧の白いひだが揺れて、ブナの梢が垣間見えた。

 空がほんのり明るくなった。

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