十七章 望みの鏡 <Ⅴ>償えぬ罪

 男も女も、手に手に蛇を殺す得物えものを持って、奧山の沼に向かった。

 足の強い男衆の後ろ姿は、真っ先に見えなくなった。

「魔物が相手だ。臭水くそうずを持って行こう」と言う声に、敷居の下に埋めた魔除けの毒を取りに戻った者も多かった。


 行く手を塞ごうと飛び出した慈慧は、手荒く押しのけられた。

 それでも引き留めようとすると、棒で殴り倒された。

 いっとき目を回した慈慧だったが、すぐに気を取り直すと、己も沼を目指して一散いっさんに駆けた。


 やぶをかき分けて獣道けものみちを走ってゆくと、崖下をゆく人影が見えた。慈慧は熊笹の崖を滑り降り、先を急ぐ人々の前に両腕を広げて立ち塞がった。


「やめてください。気が済まぬと云うなら、代わりに私を殺してください」


 だが、怒りに我を忘れた群衆は聞く耳を持たなかった。

 したたかに殴られ、幾度も足蹴あしげにされて、道端に転がった慈慧は、続いて通りかかった若い女の袖にすがりついた。


「どうか聞いてください。あの蛇に罪はないのです!」


 慈慧は、薬壺を抱えた柔らかな白いかいなをつかんだ。


「離せ!」


 その腕を振り払いざまに、女は慈慧の顔を蹴った。


 その形相ぎょうそうは人の顔ではなかった。

 まなじりを釣り上げ、まなこは血走り、ゆがめた唇からきだした歯は獣の牙のようだった。


「自分の子が喰われなきゃ、分からないか!」


 女はジロリと慈慧をにらむ。


「この口が火を噴きそうなんだよ! はらわたに火がついて、煮えくり返って堪らねえんだ! オロチの奴をこの手で殺さねば、こっちがオロチになっちまう!」


 女はケダモノのように慈慧をののしった。


「オロチにおすげをくれてやった母親は、わたしなんだ!」


 鬼のかおをした女は、崖下へ慈慧を突き飛ばした。


「この毒で、オロチを殺すんだ!」


 危うく木の根をつかんだ慈慧は、闇に飲まれたような思いがした。

 あの子は、時雨に喰われた娘は、この人の娘だったのか。


 私が、この人を鬼にしてしまったのか。


 慈慧は夢中で崖を這いあがると、転げるように追いすがり、女の手から薬壺を奪い取った。


「何をするんだ。それを返せ!」


 女は鬼の貌で飛びかかってきた。


「あなたをオロチにはさせません!」


 女の腕をはねのけ、慈慧は薬壺の毒をあおった。

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