十七章 望みの鏡 <Ⅲ>人身御供の村

 村長の屋敷は村で一番大きく、村人全員が集まれるほどに庭先が広かった。

 促されて、慈慧じけいは中庭に向いた縁側に立った。


 無遠慮に覗き込む衆目にさらされて、年若い雲水うんすいはさすがに気後れした。

 だが――。私以外の誰が真実を伝えられようか。

 時雨しぐれを守れるのは自分ばかりだ。

 慈慧は己を奮い立たせ、長きに渡る誤解を解くべき言葉を懸命に探した。


「みなさん。私は、旅の雲水で、慈慧と申します」


 慈慧はまず自己紹介をして、話しだした。


「昨日、私は人身御供ひとみごくうになったおすげさんを助けようと、沼に向かいました。ここまでは、みなさんも御存知のことでしょう。しかし、沼に着いたときには既に遅く、お菅さんはオロチに、沼の大蛇だいじゃに喰われた後でした。お役に立てず、申しわけありませんでした」


 居並ぶ村人に慈慧が深くこうべれると、女達のすすり泣く声がした。


「――あんた、本当にオロチを見たのか」


 誰かが訊ねた。


「見ました。話もしました」


 村人はどよめいた。


「オロチは、何と言ったんだ」


「すまないことをしたと言いました。もう人の子は喰わないと言いました」


 ポカンと口を開けた者が大勢いた。

 思いがけない言葉だった。少なくとも、魔物がいう台詞ではない。

 慈慧はそんな人々に、心を込めて語りかけた。


「自分はただの蛇なのに、まさか魔物と思われていたとは知らなかったと言いました。ひつに入った人身御供が、自分に捧げられたものとは、思いもよらなかったと」


「信じられん」


 縁先に坐っていた村長が呟いた。


「あんたの見たのは、本当にオロチなのか」


 疑り深い目が、慈慧を睨んだ。


「わたしの見たものは、年を経た松の木のように大きな蛇でした。全身が青磁せいじ色で、うろこはときに虹色に光ります。瞳は琥珀こはく色でした。頭がほこらに届いても、尾はまだ沼に残すほどの大蛇です」


「――ううむ」


 慈慧の語る大蛇は、古くからの言い伝えにある通りのオロチの姿だった。


「沼のオロチが、なんで一見いちげんの雲水に詫びるんだ。村の者でもない余所よそ者に」


 端で見ていた逞しい男が太い声を上げた。

 眉間に太い皺を溜めている。


 これを聞いて、静まりかえっていた村人が、そうだ、そうだと、騒ぎ出した。


 ――オロチは魔物だ。雨雲を操り村を旱にする。逆らえば皆殺しだ。


「オロチの姿など、誰かから聞いたんだろうさ」


「そうだ。だまされるな」


「本当にオロチに会ったなら、とうに喰われてるだろうに」


「こいつはウソツキだ!」


「なんだ嘘か。莫迦バカにしやがって」


 一人がののしりだすと、もう誰も慈慧のはなしを聞こうとはしなかった。



 ――まだ見たと、言っただけではないか。


 慈慧は、据えかねた腹の底から大音声で叫んだ。


「みなさんに、お尋ねします!」


 庭先の雀が一斉に飛び立った。

 長年の読経どきょう三昧ざんまいの甲斐や有り。

 温和おとなしげな雲水が放った朗々たる声音は、人々の口をつぐませた。声高のまま慈慧は尋ねた。


「どなたか。人身御供ではないのに、大蛇に喰われた方はありましたか」


「おらんよ、そんな者」


 村長が答えた。「その為の人身御供だ」


「人身御供を出さなかった年は、これまでに一度もなかったのですか?」


 皆、顔を見合わせる。ややあって、村長が答える。


「先代の村長の頃、酷い飢饉が続いてな。人身御供も立てられなかった年があった」


「なにかたたりはありましたか」


「後から、人身御供をまとめて出したから無事だった」


「人身御供を出さなかったという、その年は、ひでりになりましたか」


「そもそもが飢饉の年だ。飢饉が祟りなんだ」


「しかし。飢饉になるまで毎年、人身御供を出していたのでしょう? それで、どうして飢饉になるのですか? その為の人身御供だと、たったいま、仰ったではありませんか?」


「ええい、知るか。魔物のやることだ!」


 雲水の矢継ぎ早な質問に、村長は癇癪かんしゃくを起こした。


「待ってください。ならば何の為の人身御供ですか。人身御供を出してもわざわいが起きたのなら、それはオロチの祟りではない。違いますか?」


「そんなもん、屁理屈だ!」


 村長が苦々しげに慈慧を睨んだ。


「あんた。何が云いたいんだ?」


 慈慧は強く言い放った。


「あの蛇は、昔から誰にも危害を加えたことなどない、と言っているんです」


 慈慧は、ざわめく村人に向き直った。


「みなさん。私は沼のオロチと言葉を交わしました。不思議なことに人の言葉を話しますが、あの蛇は魔物ではありません。雨雲をあやつったり、人に祟りをなすような化け物ではないのです。それどころか……」


「オロチは魔物だ! そう言ってるだろう!」


 村長がこぶしを震わせて立ち上がった。怒りに青ざめている。


余所よそ者が――。何も知らぬくせに!」


 成り行きを見守っていた村人たちは、勢いづいて村長に加勢した。


「そうだ。そうだ」


「この坊主、魔物にばかかされおった」


「嘘つき坊主!」


「叩き出せ!」


 飛んできた石礫つぶてが慈慧の頬をかすめた。

 咄嗟とっさに傷を押さえたてのひらが血に染まる。

 突き刺さるような痛みが、己が志を鮮明にした。


 ――私がここに来たのは何の為だ。


 慈慧は手に鮮血を握りしめ、ダンと足を踏みならした。


「最後まで聞け!」


 次の礫を握った者が、金縛りにあったように立ちすくんだ。


 その声音は、戦場にあれば敵を震えあがらせ、味方を奮い立たせる、さむらい大将の声音だった。


「魔物ならば、なぜ私を殺さぬ!」


 片頬から血に滴らせた雲水が、拳を震わせて立ちはだかる。


「ここに私は生きているではないか!」


 炎のような気迫が、全身から燃え立つ。

 その姿は不動明王もかくやと思われた。


 慈慧の険しい目が村長を捉えると、相手は、ひっと息を引いた。


「皆、このお方の話を、聞こうではないか」


 村長はすとんと腰を落とし、分厚い手の平で額の汗をぬぐった。

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