十七章 望みの鏡 <Ⅲ>人身御供の村
村長の屋敷は村で一番大きく、村人全員が集まれるほどに庭先が広かった。
促されて、
無遠慮に覗き込む衆目に
だが――。私以外の誰が真実を伝えられようか。
慈慧は己を奮い立たせ、長きに渡る誤解を解くべき言葉を懸命に探した。
「みなさん。私は、旅の雲水で、慈慧と申します」
慈慧はまず自己紹介をして、話しだした。
「昨日、私は
居並ぶ村人に慈慧が深く
「――あんた、本当にオロチを見たのか」
誰かが訊ねた。
「見ました。話もしました」
村人は
「オロチは、何と言ったんだ」
「すまないことをしたと言いました。もう人の子は喰わないと言いました」
ポカンと口を開けた者が大勢いた。
思いがけない言葉だった。少なくとも、魔物がいう台詞ではない。
慈慧はそんな人々に、心を込めて語りかけた。
「自分はただの蛇なのに、まさか魔物と思われていたとは知らなかったと言いました。
「信じられん」
縁先に坐っていた村長が呟いた。
「あんたの見たのは、本当にオロチなのか」
疑り深い目が、慈慧を睨んだ。
「わたしの見たものは、年を経た松の木のように大きな蛇でした。全身が
「――ううむ」
慈慧の語る大蛇は、古くからの言い伝えにある通りのオロチの姿だった。
「沼のオロチが、なんで
端で見ていた逞しい男が太い声を上げた。
眉間に太い皺を溜めている。
これを聞いて、静まりかえっていた村人が、そうだ、そうだと、騒ぎ出した。
――オロチは魔物だ。雨雲を操り村を旱にする。逆らえば皆殺しだ。
「オロチの姿など、誰かから聞いたんだろうさ」
「そうだ。
「本当にオロチに会ったなら、とうに喰われてるだろうに」
「こいつはウソツキだ!」
「なんだ嘘か。
一人が
――まだ見たと、言っただけではないか。
慈慧は、据えかねた腹の底から大音声で叫んだ。
「みなさんに、お尋ねします!」
庭先の雀が一斉に飛び立った。
長年の
「どなたか。人身御供ではないのに、大蛇に喰われた方はありましたか」
「おらんよ、そんな者」
村長が答えた。「その為の人身御供だ」
「人身御供を出さなかった年は、これまでに一度もなかったのですか?」
皆、顔を見合わせる。ややあって、村長が答える。
「先代の村長の頃、酷い飢饉が続いてな。人身御供も立てられなかった年があった」
「なにか
「後から、人身御供をまとめて出したから無事だった」
「人身御供を出さなかったという、その年は、
「そもそもが飢饉の年だ。飢饉が祟りなんだ」
「しかし。飢饉になるまで毎年、人身御供を出していたのでしょう? それで、どうして飢饉になるのですか? その為の人身御供だと、たったいま、仰ったではありませんか?」
「ええい、知るか。魔物のやることだ!」
雲水の矢継ぎ早な質問に、村長は
「待ってください。ならば何の為の人身御供ですか。人身御供を出しても
「そんなもん、屁理屈だ!」
村長が苦々しげに慈慧を睨んだ。
「あんた。何が云いたいんだ?」
慈慧は強く言い放った。
「あの蛇は、昔から誰にも危害を加えたことなどない、と言っているんです」
慈慧は、ざわめく村人に向き直った。
「みなさん。私は沼のオロチと言葉を交わしました。不思議なことに人の言葉を話しますが、あの蛇は魔物ではありません。雨雲を
「オロチは魔物だ! そう言ってるだろう!」
村長が
「
成り行きを見守っていた村人たちは、勢いづいて村長に加勢した。
「そうだ。そうだ」
「この坊主、魔物に
「嘘つき坊主!」
「叩き出せ!」
飛んできた
突き刺さるような痛みが、己が志を鮮明にした。
――私がここに来たのは何の為だ。
慈慧は手に鮮血を握りしめ、ダンと足を踏みならした。
「最後まで聞け!」
次の礫を握った者が、金縛りにあったように立ち
その声音は、戦場にあれば敵を震えあがらせ、味方を奮い立たせる、
「魔物ならば、なぜ私を殺さぬ!」
片頬から血に滴らせた雲水が、拳を震わせて立ちはだかる。
「ここに私は生きているではないか!」
炎のような気迫が、全身から燃え立つ。
その姿は不動明王もかくやと思われた。
慈慧の険しい目が村長を捉えると、相手は、ひっと息を引いた。
「皆、このお方の話を、聞こうではないか」
村長はすとんと腰を落とし、分厚い手の平で額の汗をぬぐった。
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