十五章 沼のオロチ <Ⅴ>魔物の噂
風が
世にも珍しい
言葉を交わすほどに親しみが湧き、互いに黙っている静寂も心地良い。この切ないような懐かしさは、どこから胸に寄せてくるのだろう。
村で聞いたことは、己の胸一つに納めてしまえばよい。
己が黙っておれば、何も知らぬ蛇は、これまで通り暮らしていけるのだ。
――だが、知らぬ振りをすることが、友なのか。
論語に
忠恕とは、友を思う真心だ。今ここで、私が友として為すべきことは何だ。
来年も、私の友は、何も知らずに人を喰らうのか。
慈慧は黙していられなかった。
「蛇殿。ひとつ、うかがっても宜しいでしょうか」
「なんでしょう」
「この辺りの雨を
「あめ。雨。空から降ってくる雨ですか?」
「はい」
「ええ? あれは、誰かが司っていたんですか?」
驚きを隠せない大蛇に、慈慧は声を上げて笑った。
「法師様。どうしてそんなことをお尋ねになるのですか?」
慈慧は、
「御存知でしょうか。この山の
大蛇が橅の枝から落ちかけた。
「オロチというのは」
尋ねる声が裏返る。
「もしや、僕のことでしょうか」
「この沼にお棲まいのお仲間で、大きな方は他にもいらっしゃいましょうか」
「いや、小さな者は幾らもおりますが。大蛇と呼べるのは僕しかおりません」
「やはり、そうでしたか」
慈慧は膝に目を落とした。
「失敬。どうぞお続けください」
大蛇は居住まいを正した。
「はい。――そのオロチに、幼い娘を毎年一人、差し出すしきたりだとか。さもないとオロチが雨雲を操り、辺り近在を
大蛇はゆらと
笑っているらしい。
「まさか。蛇にどうして、そんな神通力が」
慈慧は切なく頬笑んだ。――この大蛇になんの罪があろうか。
「山を下りて、
「いいえ。この水を離れたことがないのです。この沼の名も今初めて知りました。オロチ沼というんですか。僕が棲んでいるからですね」
「沼の名さえ知らないということは――」
慈慧は眉を曇らせる。
「蛇殿から村人に、生け
大蛇は、しゅううと長いため息を漏らして
「前から不思議だとは思っていたのです。毎年どうして、こんなところに生きてる女の子を入れた箱が置いてあるのだろうと。――楽しみにはしておりましたが」
「この沼には長く棲んでおられるのでしょうか」
「ええ。いつと覚えぬ頃から」
「水神と呼ばれることに、思い当たることはありませんか?」
「そんなことがあったかなあ……」
蛇はまた
「うむ。――あれは。そう。
蛇は記憶を辿りつつ語り出した。
「
「その人を食べましたか?」
「人は食べませんが、置いていった牛は食べました」
「う、牛ですか」
「その人が牛を
慈慧は
「その夜から雨が降りました。降るとなったら大雨になりまして、沼から水が溢れて、この辺り一帯の森が水浸しになりました。やっと水が引いてみると、どこからか大勢の人がやって来ました。それは
「蛇殿は、一切何も知らなかったのですね」
「
慈慧は、雨避けに枯れ枝を何本も拾って、
「寒くはありませんか?」
「いっこうに。どうぞお構いなく」
蛇は
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