十五章 沼のオロチ

十五章 沼のオロチ <Ⅰ>過去へ

 鏡は、始まりの宇宙のように飛散する。


 あたしとオロチは、無辺むへんの闇に浮かんでいた。


 楕円だえんの軌道を描いて、ひそやかな光がいくつもぎった。

 こな微塵みじんになった鏡の粒子は、渦を巻く雲を形づくり、やがて球形にまとまって輝くたまとなる。

 宝珠ほうじゅ収斂しゅうれんしつつ明度を落とし、ゆっくりと海色の星が生まれた。


 あたしは胸一杯に息を吸い込んで、青い星へと降りていった。


 チカチカとまたたく光の層を抜け、白く波立つ雲間をくぐり、暖かい大気の底へ潜る。

 眼下に鋭い峰が迫り、白い粉砂糖を散らしたようなくろい山脈がそびえ立つ。


 山颪やまおろしに乗って尾根伝いに飛んでいくと、黄金色の樹海に抱かれた、あおい輝きを見つけた。


 小さな沼が、青い空を映している。


 岸に近いくろい岩には、かえでの乙女が佇んでいた。

 二度と逢えない人に別れを惜しむように、あかい梢を伸ばし、あおい水面に葉影を映していた。



 あたしは、色褪せたワタスゲの岸に立つ。

 立ち並ぶブナの樹上に、さっき飛びすぎた玄い山脈がそびえていた。



 ――しぐれや しぐれ 帰っておいで


 銀色のおぎの穂を揺らして風が歌っている。


 ――しぐれや しぐれ 帰っておいで



 誰なの? あたしを呼んでるの?



 ――しぐれや しぐれ 帰っておいで


 こだまの声は寂しげで、聞いている胸が切なくなった。


「あああ、やめて、やめてくれ。僕を呼ばないで」


 空で、オロチがみじめな叫びをあげた。


「約束したんだ。嫌です。僕は帰りません!」


 雲にまぎれて漂っていたオロチが逆様さかさまちて、みぎわくさむらを長い蜷局とぐろうずめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る