十四章 リンの望み <Ⅱ>告白

壽松木すずきさんというその方は、ここを夕陽の別荘と呼んでいました」


 リンが話をつづけた。


「亡くなった伯母さんの持ち物で、子どもの頃は、よく遊びに来ていたそうです。縁があって自分のものになり、以来お休みには、一人でよくここに来て、言い伝えに残る<鏡の間>を探しているのだとか。――時雨さん、どうかしたんですか?」


「――海がメチャクチャ綺麗だったけど」


 壽松木さんの下りていった小径に見覚えがあった。あれは傾いた街灯の下の――。


「あの頃は、まだ海を埋め立てていませんでしたからね」


「あれって、この屋敷のことだよね?」


「そうですよ。よく御存知でしょう。どうかしましたか?」


 リンが怪訝けげんな顔をする。


「――ちょっとショック」


 まさか生まれる前の御近所に、世界遺産みたいな絶景があったなんて!


「壽松木さんからはじめて、鏡の間と千の鏡に纏わる伝説を聞いたのです」


「――参の鏡というのが、確かに僕の鏡かどうかは分からなかったが」


 シグレが、また威張って口を挟む。


「鏡の間とやらが現れるのを待つことにした」


「ここで、ずっと?」


「いいえ。鏡の伝説を辿る旅も続けていました。以前に<鏡の間>が現れたのが、壽松木さんのおじいさんが子どもの時分の寒露かんろの頃だったということでしたから、かれこれ九十年ほど前のこと。ボクたちは、毎年その時季をここに来て過ごすことにしたのです」


 ――時々窓に明かりが点くって噂はあったんだよな。

 のんびりした深雪みゆきの声が聞こえた気がした。


「ところが。何年待っても鏡の間は現れませんでした。そのうちに壽松木さんも亡くなって、待ち草臥くたびれたシグレ様が――やっぱり出鱈目でたらめかもしれない、と仰ることもありました。ボクは出鱈目だったらどんなにいいかと思いました」


「――え?」


 いま、なんて言った? 聞き間違い?


「そんな或る日、とうとう鏡の間の扉が、丸い飾り窓に灯りがともったのです」


「やったあ!」


 リンは暗い顔をしている。


「でも――シグレ様は中に入れませんでした」


「なんで! あ! 結界?」


「はい」リンは頷いた。


「鏡の間には結界があるらしいと聞かされていたので、形代かたしろを用意しておいたのですが――。まさか入れないとは思ってもみませんでした。ボクでは――、猫では鏡に名乗ることができませんし」


「どうするつもりだったの」


「諦めた」


 猫が言った。


「ええっ?」


「本当に諦めかけたんです。ところが扉が現れて三日目、神様のおつかいが現れたのです」


 リンが、ネズミを獲ってきた猫みたいな顔をして、あたしを見た。


「それって、まさか」


「そうなんです。時雨さんが来てくれたんです!」


 ――深雪みゆきと入ったお化け屋敷。窓の中の ぬうん。


「小さい時雨さんが垣根を潜ってやってくるのを見たとき、なんとしても鏡の捜し手になって貰おうと心に決めました。そうして、ボクが一生懸命、誘い込んだのです」


「あれは罠っ?」


「子供は猫が好きですからね」


 ――こいつは。目眩めまいがしてきた。


「そこから後は時雨さんも知っている通りです。ボクがついて行ったのは、時雨さんがさんの鏡まで行きつくのを見届けることと、参の鏡が本当に望みの鏡なのかどうか、シグレ様の代わりに確かめる為でした」


「見つけたら、呼べって言ってたよね?」


 ――水盤の間からどんなに大声で呼んでも聞こえなかったと思うけど。


「まさか、鏡の間があれほど広いとは思いませんでした」


「どうするつもりだったの?」


「時雨さんに形代かたしろを包んだ懐紙かいしで鏡をくるんで持ち帰ってもらえば、あとはどうにかなると思っていたのですが――」


 ふいに声が途切れ、リンが項垂うなだれた。


「リン?」



 映像がはじけるようにフラッシュバックしはじめた。


 御堀川が、いちの鏡が、鏡の森が。目の前にせり出したかと思うと、ぐにゃりと曲がって次に移る。目が回って気持ちわるい。

 白い螺旋らせん階段。青磁の水盤。


 映像の早送りと暗転の連続。機械が壊れたみたい。


「――リン! 変だよ。どうしたの?」


「だから参の鏡を見つけたときに――」


 リンが妙な早口で話し出した。顔が引きっている。


「望みの鏡が見つかったら、シグレさまは鏡に還ってしまうから――」


 床まで垂れた蛇の尻尾の先が丸い輪になっている。白い子猫が顔を寄せて輪の奧を覗き込んでいる。なんだ。この映像?


「だから――。だから、あのとき。これは間違いなくシグレ様の望みの鏡だ、と分かったときに――。ボクは、ボクは――」


 リンの顔が、くちゃくちゃにゆがんだ。


「ボクは、鏡を隠したんです!」

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