十三章 鏡の行方 <Ⅲ>消えた鏡

「もう済んだことですから。ね?」


 リンが、泣きじゃくるあたしの背中を撫でる。


「だって――」


 だから。あたし、急に泣き止むとかできないから。


「ボク、時雨しぐれさんのこと、前よりもっと好きになりました」


「――ありがとう」


 ちきしょー。涙が止まらねーよ。


「そういうわけで。夜が明けたら、ボクも鏡の前までお供することになりました」


「土蔵を出るときに、持って行かなかったの?」


「ええ。元の場所に置いてきたんです。まさか、あんなことがあるとは思わず……」


「あんなこと?」


莫迦ばかどもが。いくさを始めたのだ」


 猫が忌々いまいましそうに呟いた。




 闇夜から煙の臭い。火花がぜる。

 どろどろと重なる足音が轟く。松明たいまつをかざした兵士が土埃を蹴立てて駆けてくる。燃える矢が、暗闇の果てに向かって一斉に放たれる。


 闇の向こうで、火の手が上がる。歓声が上がる。悲鳴が上がる。夜明けのように街が燃える。

 ほのおに飲まれた建物が、逃げ場をなくした人々の上に崩れ落ちていった。


「森も神社も焼けました。土蔵は土台だけが残っていました」


 木楢こならの森の焼け跡に、焦げて斑馬まだらうまになった神馬がポツンと立っている。その脇腹にもたれて、リンを抱いたシグレが空を仰いでいた。

 土蔵のあった崖の上から眺めると、未だ煙のくすぶる街の向こうに、川の流れがキラキラと光る筋となり、水色の空に若草色の山並みが柔らかく霞んでいた。


「――それきり鏡は消えてしまいました」


「なんで? どこに行ったんだろう?」


「盗まれたのだ」


 猫が唸る。


「誰に?」


「僕の知ったことか」


「なにそれ?」


 いちいち突っかかる猫を睨みつけると、脇からリンが説明した。


「焼け跡を、どれほど探しても見つからないのです。誰かに持ち去られたとしか思えませんでした」


「あの陰陽師は……」


「ボクたちも、あいつの屋敷には真っ先に行きました。鏡のことを知る者がいたかもしれませんから」


「それで?」


「――逃げられた」


「犯人に?」


「莫迦か。屋敷にだ」


「なんだ、そらあ?」


 拳を振り回すあたしを、リンが押しとどめた。


「ごめんなさい。シグレ様は鏡を無くしてから、ほんの少し苛立ってらっしゃるんです」


「いつからだ! こいつは何百年、苛ついてんだ!」


「そんなでもないんです。この話題のときだけなんです。ほんとに――」


 今度挑発してきたらヒゲを抜く。あたしは拳に誓った。



「陰陽師の屋敷も、あの晩に焼け落ちていたのです。陰陽師があんな死に方をしてから、屋敷に住む者は誰もいなかったそうです。無人の屋敷に火の手が掛かって――」


「手掛かりもなくなった」


 猫が吐き捨てるように言った。


「シグレ様は、鏡を捜す旅に出ました」





 シグレが杖を突きつつ山道を越えていく。足元に茶虎の猫が付き従う。

 やがて差しかかかった峠で、山伏の一団と出会った。


「もし」


 とシグレが、先頭の屈強な山伏に声を掛けた。


「なにか」


 足を止めた山伏は、油断のない眼差しでシグレを睨んだ。


「お尋ね申します。御坊はもしや、望みの鏡、もしくは呪いの鏡というものを御存知ありませんか」


「さてもおかしなことを訊く。呪いの鏡も、望みの鏡も唐天竺からてんじくの物語ではないか」


「いや。彼の国にあらず。本朝の、昨今の噂にございます」


寡聞かぶんにして知らず。誰か聞いた者はおるか」


 山伏は連れを振り返った。


「否」「いっこうに」一行が口々に応える。


「誰も知らぬようだな」山伏はシグレの瞳を見据えた。


かたじけない。失礼致しました」


 シグレは一礼して、狭い峠道を譲った。

 山伏は眉をひそめたが、黙礼して通り過ぎる。一行の殿しんがりを歩いていた、荷担ぎにしてはみやびな少年が、シグレとリンを不思議そうに幾度も振り返った。

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