十三章 鏡の行方 <Ⅱ>依り代

「あの陰陽師おんみょうじが、リンを呪ったのだ」


 猫のシグレが言った。


「……いやだ」


 こんなの酷過ぎる。


「やだ。リンが、リンが――」


 泣きじゃくるあたしの肩に、リンがそっと手を触れた。


時雨しぐれさんは優しいひとですね。鏡の間におともしたときから、そう思っていました」


 あたしは顔を横に振った。


「優しいとかじゃないよ」


 相変わらず、頭の中味を性格に言葉にするって難しい。


「あたしは、お話の中の人と自分がシンクロしちゃうだけだから」


 優しい人っていうのは、もっと主体性があると思う。ヒミコさまみたいに。


「時雨さん、そんなに泣かないで。シグレ様は、ボクの為に呪詛じゅそ返しをしてくださったあと、ボクの魂を子猫につなぎ止めてくれたんですよ」


「子猫に?」


「あの納屋に、生まれたばかりの子猫がいたんです」


「幼い猫か犬ならば、魂魄の依り代として使うことができるのだ」


 聞いていないような顔をしていた猫が、偉そうに口を挟んだ。


「だって猫?」


 ――それってペットだよ。恋人じゃないじゃん。


 リンがにっこりと頬笑む。


「シグレ様と一緒に居られるなら、なんでも良かったんです」


 身震いした。リンって可愛い。これが恋?


「でも本当は」


 リンが目を伏せる。


「シグレ様は、早く元の鏡に帰りたかったのです」


「そうなの?」


 シグレが長く体を伸ばして欠伸あくびをする。不貞不貞ふてぶてしさが猫そのもの。悪い意味で。


「シグレ様は望みの鏡の主ですから、人々の望みを叶えるのがお役目です」


 ――呪いの鏡とか呼ばれてたけど。


「ですから、ボクと一緒にいてくださるのは、束の間とお考えでした。いつも優しくしてくださいましたが」


 ――いや、シッポ握って、ぶら下げたりしてたじゃん。




 シグレが、レンゲの丘に寝転んでいる。

 青々とした丘のふもとには小川が流れ、空で雲雀ひばりがさえずっている。

 ぼんやりと空を見上げているシグレの足元で、草の茂みがガサガサと動くと、成長した茶虎の猫がピョンと飛び出した。猫は目を細めてシグレを見ると、またいそいそと茂みに戻る。そんなことを何度も繰りかえしている。

 退屈そうなシグレは、猫に目もくれない。

 やがて、傍にやってきた猫がシグレの顔を覗き込んだ。何が嬉しいのか目を輝かせている。


「どうした。リン」


 気怠けだるそうに身を起こしたシグレは、ふと傍らを見るなり、目を剥いて大声をあげた。

 そこに息絶えた野ネズミが、整然と並んでいた。


 息を整えると、シグレは猫を呼び寄せた。猫は胡座あぐらをかいたシグレに向き合ってかしこまる。

 姿の綺麗な猫だった。夢見るような眼差しが愛らしい。


「リン」


 ――はい。シグレ様。


「精進したな。たいしたものだ」


 ――ありがとうございます。


 猫が小首をかしげる。得意げな鼻先が少しだけ空を向く。


「もう一人前の猫だな」


 ――いえ。まだまだです。


 猫が俯いて謙遜している。


「感心した。僕としても、これで後顧の憂いも無い」


 ――は?


「明日、僕は鏡に戻る」


 猫の眼差しが、宙を彷徨さまよう。

 青草から立ち上がったシグレは、猫に背を向けながら言い添えた。


「名残惜しい」


 猫が泣いた。

 そよ風に揺れるレンゲの花が、幾度も猫の背中を撫でていた。

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