十三章 鏡の行方

十三章 鏡の行方 <Ⅰ>呪詛

「あのとき鏡の中の、シグレ様の眼差しが、それは綺麗で涼しげで」


 リンが愛らしい仕草で頬を染める。


あるじの恐ろしさも、忘れてしまいましたっ!」


「おおー!」


 拍手。――盛り上がってきました。


「あの陰陽師おんみょうじは、シグレのことを知ってたの?」


「いいえ。あいつはちまたで噂の<呪いの鏡>の在処ありかを探していただけでした。あいつの商売は忌まわしい術を使って、お客の憎い相手を苛めることでしたから」


「イジメが商売?」――成り立つのか。


「最低なんです」


 ――呪いでイジメ。陰湿っていうか、すげえイヤ。


「呪いの鏡を探しまわっていた主は、さる高貴な方のお屋敷で、妙な古文書を目にしました。そこには、<呪いの鏡>と呼ばれている鏡は、実は望みをなんでも叶えてくれる有難い鏡だ、と書かれていたのです。欲深な主は、ほくそ笑みました。それで、鏡が見つかったとき、下僕のボクを使って真偽を確かめようとしたのです」


「違ってたら、どうすんのよ!」


「主にとっては、奴卑の一人など、どうなってもよいのです」


「なにそれ? 許せない!」


「あの頃は、ボクもそう思っていました。ですが」


 リンは俯いて、はにかんだ。


「鏡を取りに行かせて貰えたおかげで、ボクはシグレ様と出会えました」


「え」


 いま、キュンときた。泣きそう。


「ボクはシグレ様と一緒に暮らせるようになりました。幸せという気持ちを、生まれて初めて味わいました。短い間でしたが」


「短い?」


「半年程でした」


 リンが寂しそうに頷いた。




 粗末な板敷きに、むしろを敷いて誰かが寝ている。

 枕辺に乱れて広がる黒髪。変わり果てた土気色の頬。貝殻のように閉じた目蓋。


 これがリンなのか。あの子なのか。


 枕元に坐るシグレは、人形に戻ったように表情が無い。

 容赦のない隙間風に埃が舞う。リンが寝かされているのは、寒々した掘っ立て小屋だった。部屋の隅に積み上げられた藁束の天辺で、茶虎の子猫が丸くなっていた。


 シグレが、弾かれたようにぴくりと動いた。

 大きく見開かれた目。眼球が左右別々に動き、或る一点を、ひたと見据える。

 握りしめていたリンの細い指先を離す。

 つと立って、リンのむくろに掛けられた粗末な衣の端を捲った。


 異様なむしが這い出てきた。


 大きな百足むかでのようだ。脚がうぞうぞとたくさんある。

 蟲の背中には、文字をびっしり書き並べた短冊が貼り付いている。得体の知れない気持ち悪さに吐き気がした。


 シグレの瞳が、ホオズキのように朱くなった。


 シグレの指が蟲をつまみ上げると、入り口のむしろまくって冬枯れの戸外に出た。

 大きく振りかぶった腕が、蟲を石に叩きつける。

 ぐちゃりと潰れるかと思いきや、紫色の火花が散る。大百足は黒い煙を吹いて激しく燃え上がった。


 煙は中空で大烏おおがらすの姿となり、黒い翼を羽ばたかせるや、断末魔の悲鳴のような声で啼いた。

 シグレは、その背にひらりと飛び乗った。


「行け!」


 命じられるまま、大烏は一筋に宙を飛んだ。


 黒翼の下を、板葺いたぶきの粗末な屋根がいくつも飛び過ぎる。軒を連ねた屋根はどれも石の重しを載せている。やがて、寺院の塔や広い瓦屋根が続くようになった。とりわけ豪奢な寝殿造りの屋敷の上空までくると、大烏は羽ばたいて留まった。


 川鵜が潜るように、甍の下へと降る。

 庭先で悲鳴が上がる。人々が先を争って逃げ出す騒ぎが邸内に響いた。


 池の畔に寒梅が匂う。

 中庭に面した位置に、豪華な几帳きちょうで三方を囲んだ御帳台みちょうだいがある。天蓋付きの豪華ベッドのような中には、頭から綿入れを被った陰陽師が、火桶ひおけを抱え込んで坐っている。


「どうした。なんの騒ぎか」


 誰一人、応える者がいない。すでに逃げ出してしまったのだ。

 几帳きちょうの陰から、恐る恐る庭を覗くと、黒い影が築山つきやまをかすめたかと思うと、陰陽師の目前のきざはしに、シグレが飛び降りた。

 仰天した手から、扇子が落ちる。


「返すぞ」


 シグレが告げた。


 大烏が、翼を広げて「当当ああ」と啼く。


 黒い鳥は、自らを生み出した呪詛の主に向かって、まっしぐらに飛んだ。

 陰陽師が絶叫した。


 黒い炎に全身を焼かれ、火達磨になった人影が、のたうちまわりながら炭になっていく。恐ろしさに声を失った人々を後目しりめに、シグレは屋敷を離れた。

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