十二章 子猫の恋 <Ⅱ>神域の蔵

 リンが登った石段の上には、黄金色に染まった銀杏いちょうの大木が、秋空を支えるように立っていた。梢を見上げる目元が赤い。リンは泣き顔だった。


 花のように可愛らしい頬も髪も、ほこり塗れだ。すり切れたすそから、華奢きゃしゃすねが伸びている。シンデレラみたいで胸が痛む。


 枯葉にうずもれた参道は、見捨てられたような拝殿に向かっている。

 檜皮葺ひわだぶきの屋根は傾き、あちこちで羽目板が破れていた。

 敷石の手前でリンは深く一礼すると、脱いだ藁草履わらぞうりふところに入れて、正面のきざはしを上がった。


 土埃のつもった外廊下を、つま先立ちで跳ねていくと、短い渡り廊下が奧の棟に通じている。板戸が外れた隙間から入りこむと、薄気味悪い廊下の行く手に、背の高い衝立ついたてが立ち塞がった。


 リンは体を平たくして、仁王立ちする衝立の脇を擦り抜ける。

 するとその奧には、子どもの背丈ほどの小さな木戸が隠されていた。


 木戸を開けると、屋根を載せた細いきざはしが裏山の頂上へと延びていた。その高く反った弧の先に、もうひとつの木戸が見える。この急勾配を登るのか。


 一足踏みだすなり、足元が嫌な音できしんだ。おびえた瞳が欄干らんかんの下を覗く。床下の崖は、熊笹が生い茂る深い薮だった。獣でもなければ登れそうにない。

 リンはこぶしで涙をぬぐうと、腐りかけた羽目板はめいたに手をついて渡りはじめた。


 息も絶え絶えのリンが、ようやく裏山の木戸を開けると、さらに別の渡り廊下が森の奥へと続いていた。

 こちらの羽目板は、ほとんど腐って落ちていたので、リンは藁草履わらぞうりをはいた。木楢こならの古い森を抜けて、草むした土台の跡を辿っていくと、鈴なりに実を結んだ栴檀せんだんの木陰に、すすけた白壁の土蔵があった。


 壁には貝殻がたくさん埋め込んである。鍵は掛かっていなかった。

 分厚い引き戸を押し開けると、かび木香もっこうの混ざった空気が、内からとろりと漂いでた。リンは、腰の袋から壺型の灯明皿を取り出すと、火打ち石を鳴らして火を点した。ためらいのない所作だった。


 だが、高い敷居を跨ぐなり、リンはたじろいだ。

 引き倒された棚があちこちで床をふさぎ、蓋の開いた長持ちがいくつも転がっていた。ひどい荒れようだ。何かの事件現場みたい。グロいものが転がっていそうで恐い。

 顔を強張こわばらせたリンだったが、それでも唇を噛んで、奧へと入っていく。――なんか、ムキになってないか。こんなとこ、逃げ出せばいいのに。


 ――きゃああああああ!


 リンが、いきなり悲鳴を上げて立ちすくんだので、あたしは思わず目を瞑った。


 リンは、わなわなと震えながら、目より高く灯明を掲げる。

 長く垂れ下がるものが、明かりに浮かんだ。


 暗がりに数本の紙垂しでが揺れていた。

 リンの行く手には、注連縄しめなわが張り巡らされていた。

 その先に、すっぽりと白い布で覆われた塊が三つ見える。リンは目を閉じて口の中で何事か呟いた。


「何て言ったの?」


南無阿弥陀仏なむあみだぶつ……です。あの頃、なんにでも良く効くって教わって――」


 目の前のリンが赤くなった。――可愛い。


 蜘蛛の巣のからみついた注連縄をくぐり、リンは、それぞれ形も大きさも違う、三つの塊の前に立った。小首をかしげて見比べていたが、一番大きな塊の脇に、灯明皿を置いた。


 勢いよく布を引きおろすと、そこに勇壮な白馬がいた。

 今にも走り出しそうに片足を上げ、お乗りなさいと言いたげな瞳が、リンを優しく見下ろしている。実物の大きさの馬の木像だった。体にも背に置かれた鞍にも、華やかな彩色が施されている。リンは頬笑んで、神馬の鼻面を愛しそうに撫でた。


 リンは二つ目の布をめくった。


 ――いやああああああ!


 絶叫して仰け反ったリンは、脇にあった長持ちにお尻から転げ込んだ。

 しばらく、もがいている音がしている。大丈夫か。

 ようやく抜けだしたリンは、泣き顔を引きつらせていた。


 ――もういいよ。よく頑張ったよ。帰ろうよ。

 あたしはリンを抱きしめてやりたくなった。


 そこには、よろい装束しょうぞくの小柄な武者が、床几しょうぎに控えていた。にしきの布を頭に被り、顔が見えない。膝に置いた手が扇子を握りしめている。


 リンは震えながら見つめた末に、ようやく「もし――」と声を掛けた。

 鎧武者は全く身じろぎをしない。静か過ぎる。どうやら生きてる気配がない。


 ――これ、人形でしょ? 白馬とセットだよ。


 リンもあたしと同じ事を考えたらしく、苦しげに息を吐くと、身を縮めて人形の脇を通り抜けた。


 最後の布をはぐと、カランとひとつ、何かが床に落ちた。

 リンが周章あわてて拾いあげたものは、絵馬だった。

 初詣の神社でたくさん売ってる、あの絵馬だ。


 小机の上に、絵馬がうずたかく積まれている。みな同じ白馬の絵柄だった。

 こんなにたくさんの願い事、積み上げたままにしていいのかな。願いはみんな叶ったのだろうか。


 絵馬の山の隙間で、ちらと灯りを弾くものがあった。リンが重なりあった絵馬をかき分けると、お月見のお団子を載せるような<三方さんぽう>が現れた。三方には懐紙かいしが敷かれ、黒く艶やかな石が載せられている。


 さんの鏡だった。

 リンは息を飲んで身を引いた。




「今のが、鏡の間? あたしの行ったのと全然違うけど!」


「鏡の間ではないと思います。誰でも入れましたし」


 リンは生真面目な顔で頷いた。


「ヒミコさまや水神さまは?」


「いらっしゃいませんでした」


「――ちょっと待って。リンは鏡を知ってるって、云わなかったっけ?」


「知ってるのは、シグレさまの鏡だけです」


「壱の鏡まで、一直線に走ったのは?」


「あれは、あの、――大きな音がしたからです」


 衝撃の真相が、いま明らかに!


「やだあ。うそお!」


 可笑しくなっちゃった。リンと目が合ったら、二人で吹き出した。


「いいから。続きを語れ」


 不機嫌な猫が唸った。

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