十二章 子猫の恋

十二章 子猫の恋 <Ⅰ>陰陽師の下僕

「ニンゲン、だったの?」


「はい。ボクは陰陽師おんみょうじ下僕げぼくでした」


「ゲボクって、なに?」


 リンが、くすっと笑った。


「そこから分かりませんか? 下働きの召使いです」


「陰陽師もわかんないんだけど」


「星を観て、おまじないをする係のお役人です」


「変な仕事。それって何時代? それと最初から気になってるんだけど、なんで一人称がボク?」


「そんな話はどうでもいい! さっさと僕の望みを叶えろ!」


 シャアと牙をむいたシグレが、前足で床を叩いた。

 そういうところは猫だから、やっぱり仕草が可愛らしい。


「でも、このままシグレ様が鏡にお還りになったら!」


 リンは威嚇いかくする猫から、あたしを背にかばう。

 目の前で、長い黒髪がサラサラと揺れた。

 林じゃなかったリン。リンという名の、子猫だった女の子。


「そうしたら、ボクもここでお別れです。その前にどうしてもシグレ様に聴いていただきたいお話しがあるのです。お願いします。少しだけですから」


 灰青の瞳が切なく訴える。やがて琥珀の瞳が目を逸らした。


「――早く済ませろ」


 猫がヒゲを立ててかおを背ける。お前は殿か。

 その背中に、リンが悲しげな眼差しを送った。


「あの頃が何と呼ばれる時代なのか、ボクは知りません。ただ、お月様が今よりもっと大きくて、夜空の天の川からは、水の流れ下る響きが聞こえるようでした」


 ――うちのお父さんが泣いて羨ましがりそうだ。


「リンのお家はどこにあったの?」


 リンが眉を寄せる。


「ここから何日も西に旅したところですが、生まれた家のことは憶えていないのです。ほんの小さな頃に家族と死に別れ、その後は陰陽師の屋敷に連れて行かれて、そこで働いていました」


「子どもなのに?」


「そんな子どもがたくさんいたんです。あの頃は」


 ――あたし、昔の子どもでなくてよかった。


「或る日のこと、ボクはあるじの言いつけで、呪いの鏡を探しにいきました」


「呪いの鏡?」


 不意に、等身大の映像が立ち上がる。

 紅白のはぎの花の群れ咲く向こうを、人影が足早に通り過ぎた。


 黄色い小袖こそでを着た少女が、神社の玉垣たまがきの内を歩いている。

 草履ぞうりの足が枯葉とドングリに埋もれた石段を登ると、結んだ黒髪がうなじで跳ねた。


「わわっ! 待って! なんか見える! 映像が浮かぶ!」


 いちの鏡を覗いて、ヒミコさまの村が見えたときと同じだ。


「当たり前だ。お前は鏡とえにしを結んだのだから」


 シグレが口を挟んだ。


「なにそれ?」


「鏡に名を告げた者には、鏡の力が授けられるのだ」


「あたしが、ヒミコのすえにして水神のつかい、って言ったから?」


「そうだと言ってるだろう」


「わかんないよ! 鏡の力ってなに?」


「物語る者が心に思い描く景色を、鏡に映すように、ありありと見る力だ」


「そしたら、いまのメッチャ可愛い女の子が、リンなの? そうなの?」


「そんな……」


 リンが恥ずかしそうに頬を染めた。猫が舌打ちする。


「他の誰だと言うんだ。――リン、さっさと続けろ」


 この傲慢野良猫野郎! ヒゲ、ひっこ抜いたろか!


「はい、すみません」


 もう、こっちは素直だし。


「ボクは、あの日の時雨さんと同じ年くらいでした」


 とリンは続けた。

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