十章 参の鏡 <Ⅳ>割れた鏡

 あたし、なんで、こんな暗いとこに立ってるんだろう?


 目の前の暗がりに、見覚えのある黒い玄関扉があった。

 からわらを見ると、暖炉のマントルピースの上にロウソクが灯っている。

 足元は寄せ木細工のような木目の床で、真ん中に黒い石がめ込まれている。


 ――ここは、お化け屋敷のホールだ!


 いつの間に戻って来たんだろう。

 あたし、死んだんじゃなかったんだ。

 ――ああ、よかった。またカレーが食べられる。


 いちおう覚醒はしたものの、あたしの意識はまだ半ば微睡まどろんでいて、いま何がしたいかというと、さっきの心地良かった青空に戻りたかった。


 ――そうだ。外に出れば、さっきの彩雲が、まだ見えるかもしれない。


 あたしは高揚感に包まれたまま、ふわふわと一歩踏み出した。


 ――じゃりっ!


 靴底に道守みちもりの砂を踏んだときよりも確かな異物感。

 不吉な予感に足を上げる。


 すると、真ん中にヒビが入って、いまにも真っ二つに割れそうなさんの鏡が足の下でつぶれていた。


 ぎゃあーっ! 割ってしまった!

 伝説の望みの鏡を、踏んづけて、割ってしまった! この足で!


「うわあ……。ごめんなさい!」


 誰か! どうしよう!

 なんてことをしちゃっただろう!

 血の気が引く音、というものをリアルに聞いた。


 中にいた人は、どうなっただろう!


 ――あ。でも。

 この鏡にも、もう誰もいないんだっけ。


 そうだよ。いま爽やかにお見送りしたじゃん。

 ああ、良かった。

 あたしが胸を撫で下ろしかけた。そのとき。


「わあああああああああ……」


 かすれた絶叫が響き渡った。


 踊り場の下で、仮男かりおが身をよじっている。


「えええ? どうしたの?」


 わなわなと体を震わせながら、血走った眼があたしをにらえた。


「時雨。よくもやったな……」


「ええっ? あたしの仕業しわざ?」


 悲しい声で子猫が鳴いた。びっこを引いて仮男のそばに行こうとしている。

 その刹那せつな、少年の全身が火を噴いた。


 炎の中心。暗く揺らめく双眸があたしを見据えて離さない。


 ―― 忘れるなよ。

    僕を 僕の名を。

    きみがしたことを。

    時雨 憶えていろよ。


 燃える松明たいまつと化した異形いぎょうは、一声咆えて、逆巻く火柱となった。

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