十章 参の鏡 <Ⅲ>花雪の空

 真円の鏡が、朝日のように輝いた。


 小さな鏡の中から、轟々ごうごうと吹き出した旋風つむじかぜあおらられて、あたしは仰向けにぶっ倒れた。

 激しくも暖かい旋風は、ぎゅんぎゅんと竜巻になり、あたしをぐるぐる巻き込んで大空に飛びだした。


 ――うわあ、助けてくれえ! 


 思わず目を閉じる。

 耳をろうする凄まじい音の奧で、誰かが笑っている。

 風の中で気持ちよさそうに笑っている。


 上機嫌の竜巻は、どこまでも、どこまでも飛んでゆく。


 ふいに風の音が止んだ。あたしは青空に浮かんでいた。

 暖かい日差しが気持ちいい。伸ばした手足がほんわりと温もった。

 あんなに痛かった体が、今はどこも痛くない。

 これって死んじゃったんだろうか。

 

 はらはらと、雪が降ってくる。

 こんなに明るい青空から、雪片が競い合うように、つぎつぎと落ちてくる。

 白い結晶のひとつがまぶらに降りた。


 ――雪じゃない。


 鏡の間で見た、あの花びらだ。

 

 空一杯に花が降る。満開の桜が世界に別れを告げるように。

 花雪の降りしきる空が、あまりに綺麗で涙がでた。


 どこかで賑やかな声が、どっとさざめいた。


 空のとても高いところを、水神様が大きなヒレを広げてゆったりと泳いでいく。

 水神様は、背中にたくさんの人を乗せている。

 影絵のような人たちが、あたしに手を振ってくれた。

 うれしくて両手を振り返す。

 あれはきっと、あたしを助けてくれた千の鏡の人たちだ。

 みんな呪いが解けたんだ。


 青空が、花びらと涙で淡くかすんだ。

 ありがとうって叫びたいのに、おなかに力が入らない。

 水神様のお腹が遠ざかってゆく。


 ――眠くなっちゃった。


 いろいろな思いが、とりとめもなく浮かんでは消える。


 もしかしたら、ここは空の上ではなくて、水の底かしら。


 「家に帰りたい」って言うのを忘れちゃった。


 お昼はカレーかなあ。


 そういえば。仮男の望みって何だったんだろう。


 水神様の長く引いた澪が、五色に輝く彩雲さいうんになった。彩雲の向こうに甲羅が小さくなる。そのシルエットが空と見分けられなくなったころ、水神様の声が、耳の奧でたしかに聞こえた。


 ――ヒミコのすえにして水神のつかい。時雨や、弥栄いやさかなれ。

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