十章 参の鏡
十章 参の鏡 <Ⅰ>魔魅
「
背後から、突き刺すように名前を呼ばれた。
この世の者とは思えない美しい少年が、半眼に
「なぜ、僕を呼ばなかった?」
鏡の間に入る前とは別人みたいだ。
少年が一歩近寄る。あたしは一歩退る。
もう一歩近づく もう一歩、――壁だ。
片袖が高くあがった。長い腕が剥き出しになる。
かぎ爪のような指が、あたしの左肩にくい込む。
ぬううんっと迫る白い顔が、真横からあたしの顔を、
「あ? なぜ?」
片目で見据える。
「――だって。参の鏡が、見つからなかったから」
顔を
「
「見つけたけど」
「
「……。猫に訊けって」
「――猫だと?」
猛毒のような
あたし、コロされちゃうんだろうか!
「なら、訊いてみろ!」
少年がいきなり足元からリンをつかみあげ、あたしの顔に押しつけてきた。
「ギャフウウウ!」
猫は唸り声を上げて身を
「痛いッ!」
手で
あたしの手の甲の上から、容赦のない平手打ちが襲ってきた。
「なぜ嘘をつくっ! 鏡を返せっ!」
あたしは
顔の痛みよりも、少年の
「助けて!」
這って逃げようとすると、肩紐を
胸倉をつかんだ腕が、足の
ジャンスカの縫い目が鋭い音を立てて裂けた。
「返せ! 返せ! かえせ!」
「やだっ! 離してっ!」
怖くてこわくて、全力でもがいて暴れたら、足元でパラパラと乾いた音が立った。
何かが床に散ったようだ。
途端に少年がその手を引っ込めた。火傷でもしたように腕を押さえている。
――なんで?
スニーカーの底が耳障りな音で軋む。どうして廊下が砂だらけなんだろう?
砂? ――そうか!
ヒミコさまが云ってた「神明の加護」ってこれだ!
道守の柱が、粉々になって崩れ落ちたあのとき、パーカーのフードに水晶の粒がたくさん詰まっちゃった。裏返して捨てたのに、こんなにまだ残ってたのか。
お母さんに叱られる。
あたしは、エリマキトカゲのようにフードを立てて、力任せに振るった。
そして床に落ちた砂粒を急いで
「鬼は外! 魔魅は外! えい! えい! えい!」
思った通り。敵は頭を抱えて、暗がりの奧に逃げていく。
「やったあ! やあい! この、ヘタレ! この、カリオ!」
調子にのって言いたい放題、捨て台詞。さあ逃げよう。回れ右。
「痛い、いたい、イタい!」
アキレス腱が痛っ!
なんだよ。子猫が噛んでるよ。短い足で踏ん張ってるよ。
「こら、離しなさい!」
「M! M! M!」
なんか言いながら噛んでるよ。
見て。これ、可愛いー。いや、それどころじゃなくて。
「リン! 離して!」
可哀想だけどシッポをつかんだら、猫は反転して噛みつこうとした。
よし、作戦通りだ。
「フウウアアアオオオウ!」
毛を逆立て、猫怒る。
「先に噛んだの、リンでしょ! 怒ったって知らないんだからね!」
猫と戦っている間に、仮男が戻ってきてしまった。
目が真っ赤に充血して、カパッと口を開けて、人間じゃない生き物になっていた。
「あれは僕の
ヨリシロって何だよ。知らないよ。恐いよ!
あたしは、
――待って! いま、なにか、光った!
キラリと光るものが、視界の端で揺れた。
踊り場の壁だ。緋色のタペストリーの上の方だ。
クリスマスツリーの天辺に何か光っている。ベツレヘムの星の縫い取りから、ちょこんと顔を覗かせている。
――参の鏡だ。
直感した。でも、なぜこんなところに?
後に目を遣ると、仮男が今にもつかみかかろうとしている。
「キシャー!」
あたしは、両腕を高く上げて威嚇した。
敵が
その隙に、踊り場まで駆けおりる。
サイドボードに飛びのって、思いっきり手を伸ばす。指先が縫い取りに触れた。
――足首をつかまれた。
一瞬、宙に浮いた。
つかみかけたタペストリーの布が、指から
あたしの周りで、壁と床と天井と階段が大音響で、でんぐり返った。
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