九章 千の鏡 <Ⅲ>千の鏡
「行け」
白いシッポが先を行く。
――あいつ、いつの間に?
光の回廊は、さっきまで目まいのするほど
走っていくうちに、水晶の隙間が目につきはじめた。そろそろ大樹の幹から出たようだ。鏡の森が見渡せるところで、リンが途方に暮れたように足をとどめた。
雨の森に、闇の
もうシルエットも定かでなくなった水晶の大樹は、幹の中央に
――ロウソクが消えちゃう! でも。どこへ行けばいいの?
ここまで来た道を戻っても、朱い
「リン?」
猫に訊いてみた。
そっぽを向いている。――水神様の嘘つき。
――もうだめだ。
あたしはへたへたと膝をついた。
そのとき。
「――頑張れ! ヒミコの
誰かが叫んだ。
「えええ?」
リンが飛びあがった。あたしも飛んだ。
「――大丈夫よ。ヒミコの裔!」
別の人の声だった。
「えええ?」
振り返って、いくら暗がりを透かして見ても、誰もいない。
「どこっ? 誰っ?」
すると
声が多すぎて、ひとつも聞き取れない。
たくさんの群衆に囲まれている気配がするのに、目には見えない。
「なにこれ? 誰か、助けて!」
あたしは怖くて泣きだした。
「――泣くんじゃない! ヒミコの裔」
また違う声がした。
「だって、みんな、どこにいるの?」
「――上を
言われるままに大樹を振りあおいだ。すると。
暗闇だったはずの天に、
梢ごとに輝く星のような光。大きなクリスマスツリーのようだ。
それだけではなく、見渡せば、洞窟のいたるところに光が灯っていた。
あたしは無数の光に囲まれて呆然と立ちつくした。
「――わたしたちは千の鏡です」
「――怖がらないで。帰り道を教えてあげる」
「――
鏡の間に眠る呪われた千の鏡。その鏡のひとつひとつに灯がともっていた。
大樹のロウソクが消えかけて、鏡の間が暗闇に沈みかけたこのとき、天地の森の鏡たちが、冴え冴えと輝きはじめたのだ。
すべての鏡から声がする。
男の人。女の人。若者の声。年を重ねた声。みんなの声が高く低く重なり合って、歌声のように響き合った。
「――まだロウソクは消えていない」
「――ロウソクが消えるまで、わたしたちが光を届けよう」
「――ロウソクに近い鏡が、遠い鏡に」
「――鏡から鏡に」
「――光を映し合えば、遠くまで届けられる」
「――鏡から鏡へ」
「――光を重ね合えば、明るくなる」
「――ほら、光の先を見てごらん」
黄昏れてゆく洞窟の中、千の鏡から一斉に放たれた光が、一筋の道を指し示した。
「――早く行きなさい」
「――扉はすぐそこだ」
「――間に合うよ。周章てないで」
千の鏡たち――。あたしを助けてくれるって、そう言ってるの?
信じられない。胸が一杯で体が震えたけれど、問い掛けずにはいられなかった。
「どうして、あたしを助けてくれるの?」
満開の花が笑うように、光がさざめいた。
「――はなしは聞いた」
「――最初から聞こえていた」
「――子猫と鏡の間に入ってきたときから」
「――道守の柱が崩れたときも」
「――あなたが壱の鏡を守ったときも」
「――弐の鏡の約束も」
「――よくやった」
「――嬉しかった」
「――優しい子」
「――もう家にお帰り」
「――早く走って」
「――ヒミコの
「――ありがとう」 「――ありがとう」
たくさんの声が、鐘の音が鳴るように洞窟にこだました。
鏡に封じられていた優しい人は、ヒミコさま一人じゃなかったんだ。
あたしは言葉をなくした。
御礼を言わなきゃいけないのに、涙しか出てこない。
「――さあ急ぎなさい。わたしたちの照らす道を進みなさい」
千の光が一筋の道になった。あたしはリンを腕に抱いてその道を駆けだした。
光の
鏡の間はすでに闇に包まれていたけれど、鏡たちが灯してくれる光は眩しいくらいに明るかった。
闇の行く手に
走れ。走れ。あと少し。
岩棚を蹴って駆け上がる。満月が分かれて、両開きの扉が大きく開いた。
あたしが外に飛びだすのと一緒に、背中でかたりと闇が閉じた。
「ありがとうございました!」
ヒミコさま。水神様。鏡の間の千の鏡たち。
あたし、一生忘れません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます