七章 鏡の呪い <Ⅲ>ヒミコさまの呪い


 轟々と激しく風がたける。

 天から大渦を巻いて吹雪がやってきた。

 雪片はたちまち空をうずめ隠す。


 戸口が開いた。頭もおおわずに外へ出た人影に風雪が襲いかかる。

 よろめく姿は、今にも風にさらわれそうだった。


 天地もさだかでない中を、その人は這うように進んでいく。

 一瞬でも余所見よそみをしたら、小さな姿を見失いそうで、あたしはまたたきさえできない。


 のろのろと時が経つ。見守っているのが、ひどく息苦しい。気が遠くなるほどに長いことかかってようやく、その人はさきほどの洞窟に辿たどりついた。


 灯明とうみょうの明かりに、いちの鏡が浮かびあがる。

 そのおもてに映しだされた顔は、やはりヒミコさまだった。


 ヒミコさまは雪にまみれたまま、凍りついたように鏡を見つめている。

 痛々しくげた頬。その眼差しが、あまりにもうつろで、あたしは思わず目をそむけた。


 そのとき灯明が風に吹き流されて消えた。時をおいて、また灯りがともったとき、ヒミコさまは祭壇の前で細い布包みを手に取っていた。

 幾重にもくるんだ布を開くと、黒い小刀が現れる。ヒミコさまの華奢な掌が、そのつかを握りしめると、濡れたように黒いやいばが灯りを鈍くはじいた。

 そして、白いたもとひるがえったその刹那せつな、鏡の面が朱く染まった。

 小さな体が横様よこざまに崩れ落ちる。

 白かった衣がみるみる朱く汚れていく。

 あたしは口を開けたまま声が出せなかった。


 体が石になってしまった。

 助けて! 誰か、助けて!


「村を救わぬ神を、吾はこの血で呪ったのじゃ」


 再び灯明が消え、岩屋は闇に沈む。

 その在処ありかを消そうと、雪が降りつもる。


「滅ぶ村は珍しくもない」


 ヒミコさまの声がかすれた。


「だが――。頭は承知しようとも、胸が聞き分けぬ。

 吾が村ばかりは、吾が子ばかりは諦めきれぬ。

 吾は真子等まこらを救えなかった。

 ――なぜ、救えなかった。なぜ、救わなかった。

 吾は手立てを尽くしたのか。思い至らぬだけではなかったか。

 愚かだったのか。祈りが足りなかったのか。神の御験みしるしを見落としたのか。

 無念で、切のうて、苦しゅうて。ついには神を呪ったのじゃ」


 吹雪は、巨大な魔物が絶叫するような咆哮を上げる。

 光が失せた常闇とこやみに雷鳴がとどろく。

 世界を引き裂いた稲妻が、屏風岩を貫いた。


 山が雪崩た。


「げに浅ましき妄念もうねんかな。吾が魂は無念を抱いたまま、鏡に宿った。

 一生ひたすらに守ってきた鏡のうちに」

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