七章 鏡の呪い <Ⅱ>鏡の中へ


 鏡の中は、目が痛くなるような純白だった。

 またたきを繰り返すうちに、それが白い白い雪景色だと見分けられた。


 色を無くした空のもと。筆でいたような薄墨色の峰々を望む山間やまあいに、清き流れを見下ろして、雪に埋もれた家が十数戸並んでいる。

 崖を下りれば渓流の岸辺だ。今は流れも凍りつき、氷の道となってはいたが、雪解けには、せせらぎの賑やかなしらべが村に届くだろう。


 村の背後には、天を突く絶壁が岩肌もあらわにそそり立つ。その中腹から突き出した巨大な屏風びょうぶ岩に、一本の老松おいまつが根を下ろしていた。

 その天を差し示す仙人の指のような松の梢が、あたしの頬をかすめる。


「わあああ!」


 いつの間にか、あたしは上空から村を眺めていた。

 いつかの夢で見たように、両手を広げて、何の苦も無く空を飛んでいた。


「やった! あたし、飛んでる!」


 嬉しくて空中で身震いしたら、体にコマのようにスピンが掛かって、雲雀ひばりのように高く舞いあがった。


「きゃっほおー!」


「そのまま飛んでおいき」


 耳元で優しい声がした。

 両肩に掌の温みを感じる。背中にヒミコさまの気配がした。

 ――そうか。ヒミコさまが魔法をかけてくれたんだ。


「これなるは、われの生まれ育った里じゃ」


「ヒミコさまの? やったあ!」


 あたしは急降下を試みた。

 風にあおられるたびに、身をひるがえすのが楽しい。


 この村の家は、軒下のない屋根だけみたいな形だった。どの家も積もった雪が凍りついている。人の姿はどこにもない。寒いから、みんな家の内にいるのかな。


「わごぜは、吾が、なぜ鏡の内にいると思う?」


「なぜ?――」


 考えてなかった。飛びながら頭をひねる。


「ヒミコさまが、鏡の神様だから?」


 背中でヒミコさまが、くすりと笑った。


「これはこれは。おそれ多いことよ。吾はこの村に住まっておった、ただの婆じゃ」


「そうなの? そしたら。まさか鏡に名前を言って呪われちゃったの?」


「否。吾が鏡を呪ったのじゃ」


「ええっ? 呪った?」


 氷のような風が吹いて、野山に積もった雪がさらさらと舞い散った。




 屏風岩びょうぶいわの崖下に洞窟があった。

 狭い岩の隙間から、かすかに灯りが漏れている。

 洞窟の奧をのぞくと、岩棚にしつらえた祭壇に、見覚えのある鏡がまつられていた。


「ああ! あれはいちの鏡?」


「そうとも。日の女神様のしろじゃ」


 白い衣の後ろ姿が見えた。

 豊かな白髪を蒼い紐で束ね、祭壇の前に額ずいて一心に祈りを捧げている。

 その人は素足だった。何もかもが凍りつく寒さなのに。


 しばらくのあいだ、じっと動かずに祈り続けると、その人はこもかぶって岩屋から外に出た。小さな背を屈め、深く積もった雪をのろのろといで村に戻っていく。

 そして、屋根の先から細く煙が立ちのぼっている家の中に入った。

 よく見ると、煙の出ている家は村にその一つきりだった。

 

「或る年、冬が去らなかった」


 ヒミコさまの声がつぶやいた。


「待てども春は戻らず、草木は枯れ、川はてつき、魚も獣もいなくなった。食べ物を探しに行った者はただ一人も戻らなかった。大人も子供も皆飢えて、村は滅びるばかりとなった。年老いた吾が身はどうなろうと構わなかったが、幼い小童こわらわが哀れでならなかった。巫女みこなる身ゆえに、実の子は無かったが、村で生まれた子は、みな吾が子よ。吾はひたすらに祈り続けた。どうか可愛い真子まこ等をお救いくださいと。だが祈りはむなしかった」

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