六章 壱の鏡 <Ⅴ>いまはこう


の鏡は、みずがみ殿が、守りたまいぬ」


  (弐の鏡は、みずがみ殿が守っています)


「ミズガミどのが持っている? ミズガミ殿って、水の神様なんですか?」


「正体は心得こころえぬ。かれもこれも、鏡に封じらるるゆえ、かつ相見あいまみえざりぬ」


  (何者かは存じません。向こうもこちらも鏡の中に封じられておりますから、一度も会ったことがありませんからね)


 ――ちがうのかな?


「みずがみ殿は、鏡の間の、心柱しんばしらの内に、ともし侍るとぞ聞こゆる」


  (みずがみ殿は、この鏡の間の、心柱の中に、灯りをともしていらっしゃるはずですよ)


「カガミノマのシンバシラ? ミズガミさまは、そのシンバシラというところにいるんですか?」


「鏡の間の、天地をば支えたる、高き太き柱なり」


  (鏡の間の天地を支える、高く太い柱です)


「天地をばささえたる、たかき、ふとき、はしら?」


 あらためてドドンとそびえ立っている水晶の大樹を見上げる。鏡の間の天地を支えているって言ったら、あれしかない。

 かぐや姫の竹みたいに幹の一所にそこだけ明るい場所がある。ミズガミさんが火を灯しているのは、きっとあそこだ。


「ヒミコさま、光ってる太い柱なら、あれ。すぐそこです」


「それこそ、弐の鏡の在処ありかに、違い有らざらんや。弐の鏡を頼りて、此方こなたよりまかり出でよかし。童女わらわめや、く帰り給え」


 (それこそ、弐の鏡の居場所に間違いありません。弐の鏡に頼んで、ここから出るのです。娘や、さあ急いでお帰りなさい)


 ――「帰りたまえ」は分かった。


「はい。そうします。でも帰り道なら、弐の鏡に訊かなくても大丈夫ですよ。ここまで来た道は分かってますから」


 水晶の小径は一本道だったから、迷うわけない。簡単に戻れる。

 ヒミコさまにも勧められたことだし、もう帰ろっと。

 あたしは肩の荷が下りた気分になった。


「あはれ、童女や。よもや返ることかなわじ」


  (かわいそうに。娘や。来た道を引き返すわけには、いかないのですよ)


 ――きーん きーん


 ヒミコさまの言葉が終わらないうちに、上空からかねを叩くような硬質の音色が降ってきた。それは御堀川おほりがわのほとりで聞いたのと同じ音だったが、今度は二回だった。


 見上げると、左右の二本の柱がふわりふわりと揺れていた。


「いまはこう。二目ふためとえまみえじ。吾がすえよ、真幸まさきくあれよ」


  (もはやこれまで。二度と逢えますまい。わたしの娘や、どうか幸せでいておくれ)


 ヒミコさまが、悲しげに告げる言葉の意味が分からない。

 パラパラと何かが振ってくる。高くそびえる二本の柱に同時に、天辺から真下に向かって、一筋光る亀裂が走った。


「ええっ?」


 グラリ。二本の柱が互いにもたれかかろうとするかのように、斜めにかしいだと思うと、天辺からさらさらと崩れはじめた。


「わあああ!」


 棒立ちになる。

 水晶の粒が、砂時計を返したように降りそそいでくる。


 ふたつの柱に閉じ込められていた鏡が、空中に解き放たれて、一瞬キラリと輝いた。二枚の鏡は、枯れ葉のようにひらひらと宙を舞って、降り積もる水晶に埋まっていく。


 ヒミコさまが鋭く叫んだ。


まいれ!」


  (早く逃げて!)


 その声に、あたしの金縛りが解けた。ここから逃げなきゃ! 

 ヒミコさまの鏡を、胸のポケットに突っ込んだが、重いっ。前にのめる。

 あたしはポケットを抱えて走り出した。


 目の前のライラック色の水晶の小山を乗り越えると、急な登り坂を駆けのぼった。

 この先に水晶の大樹がそびえているはずだった。


 きらきらと光る水晶が、土砂降りの雨のように降りそそぐ。足元がぐんぐん埋まっていく。たちまち砂浜を走る感覚になった。一足ごとにスニーカーが柔らかな粒子に沈み込む。


 そのとき背後から風が、どっと吹いた。

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