六章 壱の鏡 <Ⅲ>結界

「あなや、が名を言い当つるとは。吾がすえなる者にやあらん」


 (口語訳:あらまあ、私の名前を言い当てるなんて。もしや私の縁者でしょうか)


「ええっ?」――アナヤって何?


 鏡の声は、間延びした関西弁のようなイントネーションだった。


「さあらば狼藉ろうぜきうまじ。いちの鏡は、世に聞こえたる魔鏡なれば、わざわおよぶこともやありぬべし。重ねておもてを覗くべからず」


 (それならば、無礼とは申しますまい。壱の鏡は、その名も高い魔力がありますことゆえ、そなたに災いが及ばないとも限りません。二度と鏡の面を覗いてはなりませんよ)


 ――なんだ、なんだ? ベカラズって言った? なにがダメなの? 


 おっとりとした柔らかな口調。何となく単語が聞き分けられる。でも意味は全然解らない。これって昔の言葉かな?


「こはされば、何事ぞ」


  (これはいったい何事ですか)


 ――何か訊かれてる気がする。どうしよう。


くるしゅうない。こたたまえ」


  (遠慮しなくていいから。お答えなさい)


 困ったぞ。早く返事しないと、また怒るかも。

 ここは取り敢えず謝らないといかんよね。もう! リンのバカ。

 あたしは覚悟を決めて(鏡に)思い切り頭を下げた。


「ごめんなさい! あたしが連れて来た猫の子が、鏡をって転がしました。ひどいことをして本当にごめんなさい」


 謝るときには捨て身で謝れ。ふくれっ面で、ごめんなさいを言うような奴は二度と許しません。――お母さんにいつも云われてる。

 つかみ合いの兄妹喧嘩の末に、奥歯噛みしめて「すーみませんでーしたねー(殺」とか謝ったりすると、七割増で怒られる。

 謝ってるあたしが、鏡の中から見えるかな。

 それよりなにより、あたしの言葉通じるのかな?


「こはいかに。うつくしき童女わらわめなり。猫とな。とがめまいぞ。あんたもうな」


  (まあなんてことでしょう。可愛らしい女の子の声だわ。猫では仕方ないわね。怒ったりしませんよ。怖がらないでね)


 ヒミコさまの声が、おばあちゃんみたいに優しくなった。

 許して貰えたのかな。あんなガンガングルグルひどい目に遭ったのに。

 きっと神様みたいに優しい人なんだ。てか神様か。人に謝らせといてリンはどこに行ったんだ。さっき逃げ出したきり戻ってこないけど。


「わごぜ、ところを、鏡の間とて、心得こころえて参るや」


  (娘や。ここを鏡の間と知って入って来たのですか?)


 鏡の間って聞こえたぞ。なにしに来たのか、質問されているパターンかも。


「ええとー、わたしはー、宝の鏡をー、探しにー、来ましたー」


 外国人か。


小童こわらわに、いかなる心願しんがんのあらんや」


  (おまえのような幼い子どもに、どんな望みがあるというの?)


 ――イカなるシンガン? なにそれ?


「だからー、宝の鏡を探して来てくれって頼まれたんです。あと、鏡に名前を訊かれたら、これを出せって云われました」


 さっき地面に落とした落雁らくがんを拾って、鏡に映るように(顔だけ横に向けて)差し出した。


形代かたしろとな。しからず。さかしき知恵よ」


  (いやだ。形代じゃないの。うさん臭いこと。なんて狡賢ずるがしこいんだろうかね)


 言い方がきつくなった。

 やっぱりまだ怒ってる? 急いで形代をポケットに隠した。


けがれを、許さぬ結界に、小童こわらわを、つかわすとは」


  (穢れた身では入れない結界に、子どもを身替わりに入れるなんて)


「ケガレ?」


「あはれ、穢れ知らざる小童かな。さて、この鏡の間に神妙しんみょう加護かごあり。結界けっかいとぞ申して、不浄ふじょうの身なれば、立ち入ることかなわず。まげて押し入らんとすれば、たちまち身を滅ぼす」


  (これはこれは。この子は、けがれというものさえ知らないのね。いいですか、この鏡の間は、不思議な尊い力に守られているのです。結界というものが張られていてね、心身が穢れている者は、入ることができないのですよ。無理矢理入ろうとしたら、忽ち命を取られてしまいます)


「ミーオ、ホボロス?」


 ――長い。最後のワンフレーズしか残らない。


「ものに心得こころえぬよ」


  (何も知らずに来たのですね)


 ――何か呆れられている。


「ごめんなさい。あたし、何も知らないんです」


「あなや」


  (あらまあ)


 ――今度は笑われている。

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