六章 壱の鏡 <Ⅱ>ヒミコさま

そ! 名乗りたまえ。狼藉者ろうぜきもの!」


  (口語訳:あんた、誰? 名前を言わんかい。この無礼者!)


「えええー?」


 銅鏡が何か言ってる!

 ヤバい。超怖い! 帰りたい!


 リンは前足を上げたままの姿勢で固まっている。

 まん丸く見開いた瞳で、こっちを見上げられても、今さら困るんですけど。

 どうするんだよ! ここまでしでかしといて!


 そうか。カタシロだ!

 周章あわてて貰ってきた落雁らくがんを、鏡の上に、ひとつ載せた。


名乗なのらぬか! 吾が呪い、下さむほどに!」


  (名前を言いなさいってば! 我が呪い、受けてみよ!)


 銅鏡がカンカンだ。落雁はそのままだ。カタシロ効果無し! ガーン! 

 はっと我に返ったリンは、そこから身をひるがえす。

 逃げるはずみに後足で鏡をぽーんと蹴った。


 鏡は縦になって小山をくだり、ライラック色の聖地を勢いよく飛び出すと、坂道をゴロゴロ転げ落ちていった。


「待って!」


 あたしは必死にその後を追いかけた。


 鏡は立ち並ぶ水晶に次々にぶち当たり、その度ガンガン鳴りながら、段差を四五段、はずんでくだって、突きあたって跳ねかえって、戻って裏返って、落ちた所が平らだったので、クワンクワン鳴りながらコマ回転して、パタパタパタ……パッタパッタ……やっと止まった。


「うぬれ、許さむべきかは!」


  (おのれ、絶対に許さぬ!)


 自分の余韻を消し飛ばし、鏡の中からおばあさんが咆える。

 伝説のヒミコさまの逆鱗げきりんに触れてしまった! 猫のバカ!


 あたしは鏡に飛びつくと小脇に抱えて走って戻り、最初にあった所に据え直した。


「ごめんなさい! ヒミコさま!」


 ああっ! ヒミコさまとか言っちゃった!

 急いで目をらしたんだけど、一瞬だけ見えちゃった。

 鏡の中に、小さい目をまん丸く見開いたおばあちゃんがいた。


 可愛らしい口元が驚きのあまりわずかに開いている。そのしわが寄った色白の瓜実顔うりざねがおは、うちのおばあちゃんにちょっと似ていた。

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