六章 壱の鏡

六章 壱の鏡 <Ⅰ>御堀川

 ポンポンはずむ子猫と一緒に、シンデレラ城の大階段みたいな岩床を降りてゆく。


 剣の結晶が、あちらにひと群れ、こちらにひと群れと生えている。色ちがいのニョロニョロの群れに見える。マジックで目を書き足したい。

 あたしが立ち止まると、リンが急いで足元に戻ってくる。これが嬉しくて、わざと立ち止まったりしてみる。


 のんびり猫散歩の行く手は、程なく細い流れにはばまれた。

 小高い丘のすそをぐるりと小川がめぐっている。古墳を守る御堀みたいだから、この川は「ほり川」だ。小学校の前の横断歩道ぐらいの川幅に、きらきらと浅い水が流れている。


 手を浸す。――わあ、冷たくて気持ちいい!

 澄んだ水の底に濡れた水晶がいくつも輝いている。

 うっとり見とれていたら、どこかで、キンとかねの鳴るような音色がして、リンの白桃色の耳がパチリと立った。


 子猫と一緒に澄ました耳に、さざ波のような音が届いた。

 鏡の森から、さらさらと風が流れてくる。


 子猫が走り出した。風に流れる白いリボンのように。


「リン? どこに行くの?」


 呼びかける声に振り向きもしない。水面にせり出した結晶を飛び石にして、向こう岸に渡ってしまった。周章あわてて追いかけたら二個目で滑った。

 浅い流れは膝までないけど、置き去りにされた心に深いダメージ。水をしたたらせて向こう岸に立つと、リンの姿はもうどこにも見えなかった。


「ひどいよ。一人にしないでって言ったのに」


 河原でスニーカーを脱いで水を出す。もう帰りたい。

 振り返ると、半開きの扉が見えた。あの人は本当にリンをくれるのかな。不思議なことに、靴も服もたちまちさらさらと乾いてしまった。


 ――どうしよう。


 せっかくここまで来たんだし、この上までは行ってみようかな。

 あたしは、もうちょっとだけ根性を見せることにした。誰にか分かんないが、念頭にあったのは幼馴染みの青深はるみちゃんだった。


 水晶がデコボコと突き出た崖をよじ登る。ボルダリングみたいで意外と面白い。

 せっせと登っていたら、斜めに突き出た凸に、カンと額をぶつけて目がくらんだ。その結晶の中には銀色のシガレットライターがいた。――おのれ、ルパン。


 崖の上には、孟宗竹もうそうちくみたいな、細く丈の高く伸びた結晶が林立していた。ミクロになってタンポポの中に入ったら、こんな景色かも知れない。


 リンはどっちに行ったのだろう。うろうろしていると、子どもと猫専用みたいな細い小径を見つけた。小径の先はくねって曲がって水晶の林の奥に消えている。

 優しいおじいさんが、スズメのちゅんを尋ねていった竹藪みたいだ。あたしもおじいさんのように、リンの名を呼びながら歩き出した。



 見通しの悪い小径は、くねくねと折れ曲がる。どこを目指しているのか分からない。とにかく登りだ。くねくねじわじわ登っていくと、ぽっかり空間が開けた。

 目の前に、なつかしいシッポが揺れている。


「リン!」


 そこは、ライラック色をした円形の空き地だった。

 淡い紫色の細かい結晶の粒が敷きつめられている。なぜか分からないが、ここは特別な場所だと感じた。もしかしたら太古の遺跡かも。


 円の中心にリンが前足を揃えて坐って、何かを熱心に見つめている。


 ――スズメ?


 リンの左右には、二本の太い柱が門番のように屹立きつりつしている。

 敷きつめられた結晶と同じライラック色をした高い柱は、上空で交差し、先端は天井の暗がりに飲み込まれていた。


 リンの正面には、同じ色の結晶の粒が大量に積もった三角の山になっていた。

 サラサラと足元を崩しながら、リンがその小山を登り始める。


「何、どうしたの?」


 驚いて見守っていると、小山の中腹で、子猫は前足を使って砂をき始めた。


「え、トイレ?」


 振り返ったリンが、はっきりと嫌な目つきであたしをにらんだ。


 猫が掘りかえした足元には、古ぼけたお鍋のふたのようなものが顔を出していた。あおびた汚いかたまりが、水晶のキラキラした粒に埋もれている。


「何だ、それ?」


「にゃあ」


 猫の隣に並ぶ。なぜこんなところに不燃物の日のゴミが。

 あたしは、その変なお鍋のふたを砂から引き抜こうとした。


 ――あれ、抜けない。


 予想以上にずっしりと重い。冷え切った金属の感触に指先がしびれる。


「リン、ちょっと退いて」


 あたしは大きくまたを開いて足を踏ん張り、お鍋の蓋的な何かを両手でしっかりつかんだ。


「むん!」


 手応えとともに砂から出てきたものは、CDよりも大きい円盤の形をしていた。

 真ん中が山形に盛り上がっていて、エッジの高い同心円が幾重にも描かれている。


「これ、見たことある!」


「にゃあ!」


 あたしの肩に登ってきたリンが頬を寄せた。ヒゲがくすぐったい。


 遠足で行った博物館に、これとそっくりのものが飾ってあった。

 古墳に埋めてある宝物で、平たい方がおもてなんだって。学芸員の先生が、これで壁に光を反射させるたら、鏡の裏側の亀や文字が壁に浮かび上がって、ビックリしたんだ。


 抱え直して砂粒を払い、指先でデコボコをなぞると、亀や舟の模様がたどれた。


「リン、これって鏡だよ! 銅鏡っていうんだよ!」


「にゃあ!」


 リンが得意気に目を輝かせる。


「え? 鏡――うそ!」


 落とした。


 砂の山の斜面に、ぱたりと落ちた鏡の面が上向きだった。

 子猫がすかさずフンフンと匂いを嗅ぎはじめる。


 ――やめろ! 猫! 今すぐやめろ! 


 止める暇もなく、子猫の影が鏡に落ちた。


「あな、むくつけ!」

  (やだ! 気持ちわるい!)


 コワイおばあさんの声で、銅鏡が叫んだ。

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