五章 鏡の間 <Ⅳ>冒険の始まり
ふと気づくと、足元の結晶が、ぽおっと淡く光っていた。
その
――これが、
――名前を問われたら、こいつを差し出すんだよね。間違ってないよね。
そのまましばらく待ったが、いつまでたっても何も起きない。
――どうしよう。
こちらから話しかけるのかな。なんて言えばいいんだ。いきなりキレたりしないだろうな。胸の
――あれ? あんなところにも鏡が?
宝石で縁取られた手鏡だった。
――まいったな。あれを取るのは無理じゃね?
それでも足場を探していると、さらに隣の結晶の中に、八角形の渋い
――まさか。
あたしは目を閉じた。
――もしかしたら。
目を開けて、手前の結晶から、ひとつずつ順番に覗いていった。
すると、鏡の間の水晶は、どれもひとつずつ鏡を抱いていた。
なるほどね。それで「鏡の間」っていうのか。……いや、納得している場合か。
だいたい、これって室内じゃないし。「間」じゃないし。水とか
――いや、そんなことより。鏡だらけなんですけど。
振り返ると、さっき転げ落ちた岩棚の上に、丸い飾り窓の扉が、薄く隙間を開けていた。
――そこか。そこから見てるのか。
いたいけな少女が異界の水たまりで転んでも、お前は安全圏から見てるだけか。
心になんの痛痒も感じないのか。どこのネット愚民だ。
ムカッとして駆け戻ろうとしたあたしの足に、柔らかいものが体をすり寄せた。
「リン?」
ニーソックスのずり落ちた膝小僧を、子猫が温かい舌でざりざりと舐めた。
――痛い、痛いよ。こいつめ。でへへへへ。
しゃがんで抱きしめると、柔らかな毛並みからお日様の匂いがした。
リンは魅惑の眼差しであたしを見上げ、あたしの頬に冷たい鼻先をチョンと押しつけると、あたしの腕からするりと逃れて地面に下りた。そして猫ハミングを甘く繰り返しては、あたしの足に体をすりつけては、行ったり来たりを繰り返す。
「いやだよ。こんなおかしなとこ行きたくないよ。リンも帰ろうよ」
ついて来ないあたしの膝に、リンは額を擦りつける。子猫のヒゲがくすぐったい。
「リンはそんなに行きたいの?」
「にやあ!」
子猫が元気に返事をした。
「そういえば、シグレ(仮)が、鏡はリンが知ってるって言ってたよね? ――リン、道案内できるの?」
(もちろん)と言いたげに、リンが甘え声でまた鳴いた。
――猫と会話が成立している。しあわせ。涙出そう。
「しょうがないな。リンが行きたいなら一緒に行くかあ」
立ち上がると、リンがひとつ跳ねた。可愛いやつ。よしよし。感謝しろ。
あたしは飾り窓の扉を、もう一度振り返った。帰ろうと思えば、いつでも帰れるよね。リンが可愛い声であたしを呼んでいる。
「待って。いま行くから」
もう少しだけ先に行こう。冒険は始まったばかりだ。
冷え冷えとした空気が、あたしの胸を満たした。
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