五章 鏡の間

五章 鏡の間 <Ⅰ>シグレ


「これを持っていくんだよ」


 少年は懐紙かいしの包みを、あたしの手に握らせた。


「開けてごらん」


 厚みのある紙の折り目をひらくと、立ち雛の形をした白い落雁らくがんが二つくるまれていた。甘やかですがしい匂いがふわりと漂う。


「わあ、お菓子だ。美味しそう。くれるの?」


「食べちゃ駄目だよ。これは形代かたしろ。――息を吹きかけてごらん」


 言われるままに息をふっと吹くと、落雁のお雛様が薄桃に色づいた。


「あれ? 色がついた!」


「鏡に名を訊かれたら、自分の名を告げながら、ひとつ差し出すんだ」


「ええ? 鏡が口をきくの?」


「さっき、鏡が次の鏡の在処ありかを教えると云っただろう? 形代なしに答えれば、鏡の中に取り込まれてしまう。だから、これを使いなさい」


「やだ! 怖い!」


莫迦ばかだなあ。だから、これが君の身代わりになるんだよ」


「でも、怖いよ」


「どうしてさ。差し出すだけだ。簡単じゃないか」


「だって――。間違ったら、取り込まれちゃうんでしょ?」


「間違わないよ。その為の形代だもの。これさえあれば、恐ろしいことはない」


「でも、あたし。やっぱり……」


「二つしかないからね。一つ目と二つ目の鏡で使いなさい。最後の鏡を見つけたら、鏡の面を見ずに、大きな声で僕を呼んでおくれ」


 少年はうたうように告げた。


 ――困ったなあ。すごく気が進まないんだけど。


「さあ、扉を開けるよ」


「え、待って。あの……」


「なんだい、時雨?」


 ああ、なんて優しい声なんだろう。


「――あの、なんて呼べばいいの?」


 少年は驚いたように目を見開いた。そしてぐううっと口角を上げた。これって笑顔? 唇の形は笑っているのに、瞳孔が怖い。


「僕の名は、シグレ」


「ええっ? うそ」


「嘘なものか。きみと同じ名前だ」


 少年は口元に笑みを残したまま、睫毛を伏せて視線を流す。

 嘘だと思った。この人はあたしをからかってる。なんだかすごく悔しい。 

 キイときしんでノブが回った。左右のドアが、同じ角度で内側に開き始める。


 月が二つに分かれる。


 子猫が、少年の腕から飛び下りた。

 薄く開いた扉の隙間に、白いしっぽの先が消える。


「ほら、追いかけて!」


「ええっ?」


「鏡はリンが知っている!」


 あたしは、夢中でリンの後から扉を抜けた。

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