四章 一生に一度ひとつだけ <Ⅳ>開いた扉

「この扉の向こうには、鏡の間と呼ばれる部屋がある」と少年は言った。


「美しい部屋だ。鏡の間が現れるのは、百と二十一年目に三日だけ。僕らが出会えたのは奇跡というものだ」


「このドアが?」


「常ならば、この扉の向こうには、当たり前の部屋が在る。ところが今だけ、鏡の間へ通じる扉となったのだ。逃げないように、こうして捕まえておこう」


 少年のてのひら真鍮しんちゅうのドアノブを大切そうに握った。


「鏡の間には、宝物が隠されているんだ」


「宝物って?」


「鏡だ。どんな望みも叶う鏡だ。ただし、鏡は部屋のどこかに隠されている。鏡の間に入った者は、三つの謎を解き明かし、宝の鏡を探し出さなければならない」


「面白そう! 早く探しに行こうよ!」


 この人と一緒に宝探し。パズルや謎解きは大好きだ。


「その前に、君には知るべきことがある」


「知るべきこと?」


「三つの謎というのも、すなわち鏡なんだ。探す鏡は三つある。一つ目の鏡を『いちの鏡』という。壱の鏡は二つ目の『の鏡』の在処ありかを教えてくれる。弐の鏡が三つ目の『さんの鏡』の在処を教えてくれる。参の鏡のまことの名を『望みの鏡』と云う。望みの鏡におのれの姿を映した者は、どんな望みでもかなうのだ」


「どんな望みでも?」


「一生に一度ひとつだけ」


 あたしなら何を願おう。


「不思議な話だろう。この家に住んでいたおじいさんが僕に教えてくれたんだ」


「その人は望みを叶えたの?」


「いや。百と二十一年に巡り合えなくて、死ぬまで扉が開かなかった。おじいさんには子どもがいなかったから、望みを僕が譲り受けた。――鏡の間に行きたいなら、私が死んだ後で探すがいい。そう言い遺して、僕にこの家の鍵をくれたのだ」


「なに、それ。悲しい」


「そうだね。悲しいことだ」


 そう言いながら、この人は幸せそうに微笑んでいる。


「おじいさんが亡くなったのは、もう何年も前のことだ。僕はここで鏡の間を探し続けてきたのだが、とうとう一昨日おととい、この扉が現れた」


「おととい?」


 ヒデランとヨッシャーが、夜中に明かりを見たのは一昨日だ。ということは――。涌きあがりかけたわずかな疑惑とかすかな恐れを、その人の優しい声音がかき消してしまった。


「だからね、時雨に、鏡を探してきて欲しいんだよ」


「ええっ? 一緒に行くんじゃないの?」


「僕には入れないんだ。帰り道の目印に、ここでカンテラをともして待っているから」


「やだよ。どうして? 背が高いと入れないの?」


 この人は、また、ふふと笑う。


「鏡の間には結界けっかいがある。十歳にならない小さい子しか入れないんだ。よこしまな者から宝を守る為に、そういうまじないがかけてあるんだ。長い年月、扉が開く日を待ち続けてきたというのに、僕は中に入れない。開いた扉を前にして、二日がむなしく過ぎた。そこに時雨が来てくれたんだ」


 ――長い年月? 頭の奧をまた疑問符のかぎがひっかいた。


 少年の黒い眼があたしをひたと見据える。


「今日が三日目だ。今にも扉は消えてしまう。一刻も早く入らないと、また百と二十一年閉ざされる。時雨、頼む。ぼくを助けてくれないか」


「あたしが?」


「望みの鏡を見つけられるのは、時雨しかいないんだ」


「わかった! あたし、絶対見つけてくる!」


 今にして思えば、詐欺の手口そのものに引っかかった。今だけここだけ自分だけ。今なら子猫もプレゼント。でも、躊躇ためらう気にはなれなかった。不思議な話に魅せられて、宝探しに行きたくて堪らなかったんだもの。


「ああ、時雨が来てくれてよかった」


 美しい人が微笑んだ。黄昏よりも暗い廃屋の片隅で。

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