三章 お化け屋敷 <Ⅲ>ぬうんの窓

 生垣の内側では、こんがらがったカナムグラのやぶが待ちうけていた。


 ちくちくとトゲにひっかかれながら、木立の根元を這って進む。頭の上には、つぶらな赤い実をびっしりつけた、イチイの枝がかぶさるように茂っている。


「おにい。前にもここに来たことあるんだ?」


「まあね」


「何しに来たの?」


「何って……、カナブン採ったりとか。いいだろ、何でも」


 口をにごしたな。ここでお母さんに怒られそうなことやってるんだ。


「ここって、前からお化けが出るの?」


「夜中に窓が明るくなるって噂は、前からあったんだよな。あと、月の無い夜にヒマラヤ杉の天辺に花嫁さんが坐ってるとか」


「いやだな、それ。――ぬうんは?」


「ぬうんは初耳」



 やっとやぶを抜けると、さっきの錠の下りた門扉の内側に出た。

 門番のような月桂樹が、ガオーと放射状に枝を広げている。その隣に蜜柑みかんの古い実が、いまにも折れそうな枝をしならせていた。


時雨しぐれ、この赤い葉っぱ、なんだか知ってるか?」


「ナナカマド」


「こっちのトゲトゲのは?」


「ヒイラギだよ」


「さすがは植物博士!」


 深雪みゆきが笑った。

 草木の名前は、おばあちゃんに習ったんだ。おばあちゃんは、田舎の家に一人で暮らしている。今度はいつ会えるかな。


「見ろよ。サバンナみたいだろ」


 深雪が得意そうに中庭を指差した。

 広々した庭一面にネコジャラシが波打っていた。金茶色に実った穂が、朝日をまき散らすように揺れている。


「すごい! 校庭より広いかも」


「そうだろう?」


 外から見えたヒマラヤ杉が、庭の真ん中にそびえている。

 深緑の針葉樹の枝が、とがった頂上からなだらかなカーブを描いて裾野を広げている。一本の木なのに高い山のようだ。


「大きな木だねえ」


「いつからここに立ってるんだろうな」


 深雪とあたしは、しばらくヒマラヤ杉の大木に見とれていた。


「お兄。これはなに」


 足元の枯れ草に隠れて、平たい石が顔を出していた。


「おお、気づいたか。踏み石だ。これを辿たどっていくと、お化け屋敷の玄関に到達するぞ」


「ほんとに?」


 草むらに埋もれた踏み石を探し出すのは面白かった。一個見つけては、はしゃぐあたしの後から深雪がのんびりついてくる。だんだんヒマラヤ杉が近づいてきた。


「クリスマスツリーみたいだね」


「ほんとだ」


 丁寧に絡みついた赤いサネカズラが、ヒマラヤ杉に華やかなデコレーションを施していた。杉の根元に並んだ小さなヤブコウジも、赤い実をげて、ディスプレイを盛り上げている。

 ヒマラヤ杉の梢の向こうに、緑の小山が見えた。


「あった!」 「あった!」 二人の声が揃った。


 三角屋根の建物のシルエットの形に、蔓草つるくさが茂っている。

 立ちつくすあたしの隣に、深雪が並んだ。


 カエルの水掻みずかきのような葉におおわれた陰に、汚れた白壁がのぞく。風が吹くたびに、一昨年おととしの枯れづたすだれがさらさらと揺れた。

 厚く重なりあった葉がひるがえると、固く閉ざされた鎧戸よろいど垣間かいま見えた。


「これは、呪われてるな」


 深雪がもっともらしくうなずいた。


「出そうだね」


 あたしは兄貴に肩を寄せる。


 二階にポコリとせり出した出窓が見える。茶色い鎧戸が下りている。

 真夜中、この鎧戸がぎぎぎと開いて中から、ぬぅーんと。


 ――だめだ。想像したらものすごく怖い。

 こんな時は、頭の中にエリマキトカゲを走らせる。


 出窓の真下が玄関ポーチだ。四隅を太い柱が支えている。

 風化した三和土たたきから、青いトカゲが、一瞬で消えた。

 黒々とした扉が閉まっている。扉の上には、半円を描くガラスの飾り窓があった。


「おい、時雨。あれ見ろよ」


 深雪が震え声で指を差す。玄関扉の脇に小窓があった。

 そこだけ鎧戸が開いている。

 あたしは急いでラガーシャツの後ろに隠れた。


「昨日の話って、ここ?」


「たぶん。あいつら夜なのに、よくここまで入ったな」


 深雪が草深い庭を振りかえる。

 暗い窓。あの中から誰かが見ていたらどうしよう。


「お兄、帰ろう」


 ここから先は、進んじゃいけない。あたしは深雪のてのひらをきつく握った。

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