一章 思い出して <Ⅳ>失踪


 校舎脇の駐輪場に自転車を置き、青深はるみ陽蕗子ひろこは下駄箱に走りかけて、止まる。


「あれ? 時雨しぐれは?」


「どこ行った。あの野郎!」


 いつの間に消えたんだ。

 桐原きりはら時雨しぐれ。寝癖はねまくりの黒髪ボブ。

 遠い目をした天然。猫を見ると笑う。


 昼休みを図書室で暮らす変わり者。高校生なら部活だと、入学以来毎日言い聞かせたら、やっと美術部に入ったが(なんで文化系なんだ)上手くやってるんだろうか。

 幼稚園の頃からあいつは何も変わらない。頭は冴えてるのに、いつも使いどころが間違っている。莫迦バカとロマンチストは紙一重かみひとえというより同義だ。


「まさか、また転んでるんじゃないよねえ? 青深、どうする?」


「心配することないって。あいつは昔からこれなんだ。また猫でも見かけたんだろ。どうせ後から来るよ」


「でも。さっき不思議なこと言ってたし……」


 陽蕗子は時雨の現実離れしたところが好きだった。

 この子と一緒にいればトトロにも会えそうな気がする。でもあまりにもマイペース過ぎてハラハラさせられる。どうして世の中の視線があそこまで気にならないの。気にしていないのか、はじめからセンサーがないのか。

 あの子は私が守ってあげなくては。


 陽蕗子の思い詰めた眼差しに青深が苦笑した。


「分かった! 探してくるから、先に行け」


「あたしも行く!」


「なら、急ごう」


 二人は、いま来たけやき並木を戻りかけた。


石動いするぎ! 靱負ゆきえ! どこにいくんだ? もう始まるぞ」


 とがったテノールの声が二人を呼びとめる。


 二階の窓から、担任の権平ごんだいら先生が身を乗り出していた。

 大きな顔の中央寄りに、愛くるしい二重の瞳がまたたいている。

 肩からクールカットの頭が生えた猪首いくび体型で、常時ジャージの大柄な体躯たいく。外見は柔道部だが、実は生物学部の顧問である。バイオロギングを語らせると熱い男だった。


「権平先生! お早うございます!」


 陽蕗子が小鳥のように頬笑む。


「お早うございます」


 青深が青年将校のような敬礼をした。


「桐原が具合が悪くなったんですよ。いま向こうで休んでるから、二人で保健室に連れて行きます」


 青深はすらすらと嘘を言う。


「おお、そうか。具合が悪いなら無理をさせるな。すぐ行くから、俺が行くまで休ませといてくれ」


「はあい、待ってますう」


 陽蕗子がひらひらと手を振ると、権平もぶんぶん手を振り返し窓の中に消えた。


 窓越しにちらと艶ややかな黒髪の後ろ姿が見えた。

 権平がそちらにいたわるようにうなずくと、二つの人影はすぐに見えなくなった。


「転校生かな?」


 青深が呟いた。


「髪の長い子だったね」


 陽蕗子が答える。


「もしかしたら、白銀しろがねさんじゃないか?」


「そうかも! やっと出てこれたんだ! 良かったねえ」


「よし。この隙に、時雨と口裏くちうら合わせよう」


「口裏って……。時雨は大丈夫なの?」


 青深が横目でせせら笑った。


「賭けるか?」


 豈図あにはからんや。置き去りにされた自転車を見つけるのに、時間はかからなかった。

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