一章 思い出して <Ⅱ> 二度目

「おはようございまーす!」


 この道を毎朝叫びながら疾走してくる自転車は、埴輪山はにわやま高校の生徒です。


 顔馴染みのウォーキングのおじちゃん、おばちゃんたちが、孫を愛しむ眼差しで手を振ってくれる。眠たげに流れる汐見川しおみがわさかのぼってカモメが飛んでくる。このまま5キロほど下れば海に至るのだ。埋立地の人工海岸だけど、テトラポットの隙間すきまにはカニもたわむれて大歓迎。


 先を行く二人のセーラーカラーが風にひるがえる。

 埴輪山高校の制服は、えりだけ水色の白いブラウスに、グレーのハイウエストのスカートだ。指定のブレザーは着ないで、三人ともカーディガンを羽織っている。あたしのは紺で襟と二の腕に白いライン。


 陽蕗子ひろこのライラック色のモヘアが、小鳥のようなソプラノで話しかけてくる。


「ねえ、知ってるう? 学校の前のコンビニに、お化けが出たんだってえ!」


「知らないい! なにそれえ?」


 自転車三台が縦一列で走りながら会話を交わそうとすれば、全力シャウトになる。


一昨日おとといねえ、深夜のバイトの子があ、店の裏でえ、廃棄処分の商品片付けてんだってえ! そしたらあ、いきなり背後にい、髪の長い女が立ってえ――その牛乳、捨てるならください――って言ったんだってえ! 怖くなあい?」


 爆笑。


「怖くねええ!」


 先頭の青深はるみが、アイボリーのアランニットの背をのけぞらせて叫ぶ。


「近所の貧乏な人だよ、きっとお!」


 あたしも青深に同調する。


「えええ、そうかなあ? だって、牛乳だよお? あたし、メッチャ怖かったあ!」


「そこかよお?」



 海に近いこの街には、ひと昔前まで一面の菜の花畑が広がっていたらしい。

 今では妙に真っ平らな住宅地が一面に広がっている。

 ただ、今でも街の北東側の丘陵には、小さな田畑が点在し、古墳時代からあるという神社と、ならくす鎮守ちんじゅの森が、奇跡のように昔のまま残されている。あたしたちの高校はそんな聖域のふもとにあった。


 橋のたもとでサイクリングロードを折れ、急坂を一気に下ると我が埴輪山はにわやま高校であります。

 青深、陽蕗子、あたしの順に校門を抜ける。

 毎朝この時刻に登校する常連たちの群れに混ざると、全員が一団となってペダルを踏み込む。タイムリミットはあと5分。

 校門から始まる長いけやき並木の向こうに、無愛想なベージュ色の校舎が待っている。うちの高校はとても敷地が広い。


 前髪を初秋の風のくしく。木漏れ日が並木道の石畳をいろどる。

 左右から差しのべられたけやきの梢が、青い中空なかぞらで重なる。

 鋸歯きょしをもつティアドロップ型の葉が、穏やかに色づきはじめていた。


 朝日に暖められた土の匂いがする。

 テニスコートの向こうから金木犀の香りが誘いかける。

 硬質な青さを秘めた空をふりあおいで、胸一杯に深呼吸していたら、周りに誰もいないことに気づいた。校舎を目指す集団の最後尾が遠くに見える。


 ――しまった。遅刻しそうなんだっけ。


 昨日も青深に「真剣に生きろ」と言われたばかりだ。またなぐられる。急ごう。




 行く手では、並木が一所ひとところだけ途切れる。

 ぽかりと開けた円形のスペースを、小菊やはぎ紫苑しおんの咲く花壇がまるくふちり、木製のベンチがいくつか置かれている。

 そして、この小庭園の持ち主のような顔をして、赤い屋根の小さな西洋館がたたずんでいた。



 クリーム色の下見したみ板張りの壁に艶やかな緑色の細窓が並び、窓の左右には同じ色の鎧戸よろいどが備え付けられている。二階から張り出した出窓の下が玄関ポーチで、玄関扉はチョコレート色だ。

 県立高校の校庭には明らかにそぐわない景色だが、これには諸々の事情があった。


 昨年、この市内の何処どこだかで、長いこと無人で荒れ果てた廃屋が取り壊されて高層マンションになろうとした。ところが破壊される寸前になって、その家が実は由緒のある貴重な文化財だと判明したんだ。

 それで壊すのはもったいないと県が引き取って、敷地の余っている県立高校(うちです)に移築したんだって。工事の大半は夏休みに済んで、落成式は昨日のことだった。


 移築のついでに傷んだ部分を修理したせいで、見た目は新築である。ガラスはピカピカ。壁はツヤツヤ。木の香とペンキの匂いが鼻につく。由緒はどこに行った。

 お洒落で可愛いって、みんなは喜んでるけど、あたしはなんとなくこの家が気にくわない。



 自転車がけやきの木陰を離れると、さえぎるものの無くなった朝日を浴びて、自転車の影が真横に長く伸びた。


 ――違和感。


 自分の影が変。あたしの頭、でか過ぎる。


 肩になにかが乗っている。


 毛並みの感触が首筋にしな垂れかかる。あいつの声が耳たぶの後ろでわらう。



 ――しぃ ぐぅ れぇ



 ――思い出してよ。ねえ 思い出して。


   きみが殺した僕を 思い出して。




 世界が暗転。あたしは目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る