一章 思い出して

一章 思い出して <Ⅰ>女子高生の日常

 死んだー。


 人生これからなのに。まだ沖縄にも行ってないのに!

 あたしったら、人の話を聞かない猫に襲われて黒焦げ焼死体に! 


 悲しすぎる! 号泣! ……って焼死体が泣いてたら怖くない?

 いや、自分だけど。 ……なんだ、このオールウェイズな感覚は。


 太腿ふとももがじんわり冷たい。

 ふと見ると、制服のスカートが周囲に丸く広がっている。


 うああ! あたし、なんで地べたに坐ってんの?


 立ち上がってバタバタとスカートの土を払う。


 ――あれ? 手がある。足も二本。燃えたはずでは。


 ふんふん(匂いを嗅いでいます) ――コゲ臭くない。

 猫はどこ? てか、あれは猫?


「待て!」


 いきなり凶悪な腕に、襟首えりくびをわしづかみにされた!

 あたしはとっさに――身をかわせなかった。

 助けてー。じたばた。今度こそ殺される!


 すべての望みを失ったあたしの後ろ頭が、音高らかにはたかれた。

 このキツい衝撃には馴染みがあるぞ。


青深はるみちゃん?」


 そっと振り返れば、我らの石動いするぎ青深が、凛々りりしい男眉をひそめてにらんでいた。

 幼稚園から変わらないボーイズカット。すくすくと育った長身は既に179センチに到達。体重は知りません。本当です。


 青深は女子サッカー部の新人エース。膝下の長い足でフィールドを疾走する。

 ピンチに見せる不敵な笑みが、幾度もチームに奇跡を呼んだ。今や全校生徒に絶大な人気だ。

 そんな男前は部活だけでない。物事は白か黒。言いたいことは歯にきぬ着せず、さらに手も出る熱血漢。いつでも爽やかな君が好きだ。鉄拳制裁は勘弁してください。


「なんだあ。時雨しぐれ、大丈夫そうじゃん。良かったねえ」


 栗色の巻き髪を揺らして肩を寄せてくるのは、靱負陽蕗子 ゆきえひろこ

 柔らかな前髪の下から、ひとなつこい瞳が頬笑みかける。

 小柄でふっくらした陽蕗子が小首を傾げるとネザーランドドワーフ(ウサギ)にそっくりだ。


 陽蕗子は合唱部の歌姫。天使の美声に加えて、担任の凍えるジョークにも爆笑する愛され気質。

 アイドル要素満載なのに、気の毒なほどの人見知りでコーラスも最後列だ。守ってやりたいぞ。


 日頃から、いるかいないか分からないまでに存在感が半透明でありながら、部室で写真を撮ると必ずその片隅に半身が写り込み、美術部のたたらない地縛霊とおそれられる、あたしを加えた三人は、県立けんりつ埴輪山はにわやま高校一年七組で同級生になって以来、毎日仲良くつるんで行動している。


 今日みたいにテスト前で青深の朝練がないと、登校する道すがら、三人の自転車がばったり遭遇するパターンが発生するので嬉しいのだ。


 ――そうだよ。思い出しましたよ。

 今朝も、あたしは自転車で高校に向かっていたんだった。


 二人と行きあって、いつもの川沿いのサイクリングコースに差し掛かかったとき、あたしは何かを見た気がする。その後はどうしたんだっけ。


「時雨、大丈夫? いきなりコケて動かなくなったから、心配したよー」


 ちっこい陽蕗子に抱きしめられると、胸元からシャンプーの甘い香りがのぼる。


「コケた?」


「まさか、覚えてないの?」


 道の真ん中に、緑色の自転車が倒れている。 ――あたしのだ。

 前カゴから通学バッグがこぼれ落ちている。


「うぎゃあ! 弁当が!」


「大丈夫? 救急車とか呼ぶ?」


「いや、全然大丈夫! このパッキン最強。染みひとつ無いわ!」


「弁当箱じゃねえよ!」


 うちのジャイアンに、またはたかれる。


「陽蕗子が心配してるだろ。まともに返事しろ!」


「はい。すいません! どこも痛くありません。――後頭部以外は」


 青深が胡乱うろんなものを見る目であたしをにらむ。


「さっきから、なぜ逃げる?」


「だって。だってさ、猫かと思って」


 自転車をたてにして青深の鉄拳をよけながら、あらためて辺りを見回した。

 化け物はどこにいったんだろう。いましがた、あたし、殺されかけなかったっけ?


「猫だと?」


「今、ここにいたでしょ? たぶん猫じゃないけど」


「時雨ってば、猫見てコケたの?」


「猫に、なぜそこまで動転するんだ」


「ちがうよ! さっきのもの凄いやつ、見てなかったの? 猫が空からボーンって」


「空からボーン?」


 てめえら、なんで腹抱えて笑うんだ。


 陽蕗子があたしのオデコにてのひらをあてた。


「熱はないねえ」


「だから! 猫が襲ってきたんだよ!」


「猫が空から?」


「ボーン?」


 ツボを突いたらしい。二人とも笑い転げる。

 こいつらも人の話を聞かない。


 確かにわけが分からないけれども。

 さっきのは何だったんだ。思い出しただけで目先がクラッとする。

 頭打って変な夢見ちゃったのかな。自分が心配になってきた。大丈夫か、あたし。


 現実に打ちのめされている友人の背中に蹴りを入れて、青深が叫ぶ。


「行くぞ! 遅刻だ!」

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