三日目 京都(その一)
「これだけは言っておきます。ここはあなたの第二の実家、育った家です。帰って来たいと思った時はいつでも遠慮なく帰って来なさい。きちんと連絡を取った上で」
「はい。では、いってきます」
「いってらっしゃい」
いつもどおりの真実紗さんを始めとして、和代さんや子どもたち施設の全員に見送られて、僕らの旅の三日目の幕が上がった。
見送られた後で最初に僕がしたことは、さくらが四百年前にもらって、僕が二日前にもらった三枚の小判の質入れである。
大型連休の真っただ中であったため質屋さんが閉まっているのではないかと危惧したが、スマホで調べてみると、年中無休。二十四時間営業とあったので、ひとまずはほっとした僕だった。
背に腹は変えられないとは言っても、ただで頂戴した、しかも大変貴重な物を売り払うという、一掴みの罪悪感を心に忍ばせながら。
どうしてこのタイミングかと言うと、財布の中にはいまの僕の全財産であるところの、七千円しか入っていなかったからである。
大阪から京都に行くだけなら充分に事が足りる金額だけど、名古屋に帰らなくてはならないことや、今後の生活費などがこの額で工面出来るはずがない。
幾らで売れるのだろうかと、鼓動を昂らせながら僕はスマホ画面に表示されている地図を頼りにたどり着いた質屋さんに入った。
入念なお店の方の鑑定の結果、三枚の小判と引き換えに僕が手にした現代の日本のお金。
なんと、百万円を軽く越えていた。
予定外の旅の経費(特に食費)をそこから差し引いたとしても、僕は一朝の内に、いままで手にしたことの無い紙の束の持ち主になってしまったのである。
これまでの旅で僕が得たものを考えると、その費用対効果はとても数字に表すことは出来ない。
お金では買えないものばかりなのだから。
しかし、質屋さんを後にした僕は、大事なことを失念していたことに気がつかされた。
僕名義の預金口座を、名古屋の信用金庫以外に作っていなかったことである。
調べたが、大阪にその信金の支店はない。
預け入れ手数料のこともあるので、名古屋にも支店がある大手都市銀行か郵便貯金の口座を作ろうにも、今度こそ窓口は営業していなかった。
他行のATMにしても、まだ営業開始前だ。
すなわち、これまでお目にかかったことのない全財産がいま、僕が背負っているありふれたザックの中に収められている。
これが不安でなくて何なのか。
そんな僕の不安を払拭してくれたのもまた、さくらだった。
わらわの威信にかけて盗人など近寄らせはせん。
大船に乗った気分になる一方で、僕自身が無性に情けなくなった。
これまでの旅を振り返れば、さくらにはずっとおんぶに抱っこされたままではないか。
些細なことでもいい。
少しでもさくらに何かを返したくなった。
いまの僕に出来るのはこれしかない。
奈良での一コマが脳裏をよぎる。
やがて、僕らが乗る電車は目的地に到着した。
名実ともに、日本国を代表する観光都市、京都。
その玄関口である京都駅。
さくらのためにすぐに出来る一つのことを、朝早くから国の内外を問わない大勢の観光客とおぼしき人たちで溢れかえる駅の改札口をとおり抜けるやいなや、隣接する地下のお土産売り場にて行動に移した僕だった。
「お待たせ、さくら」
目印としては申し分のない赤い和傘に、赤いマットが張られた大きな長方形の椅子が四つと、昔ながらの茶店風の佇まいを見せる休憩スペースで待っていたさくらに、僕が差し出した紙袋の中身。
ベタ極まりないけど、押しも押されぬ京都銘菓生八つ橋のそれぞれ味が違う三箱に、ペットボトルの緑茶が二本入っている。
人から見れば本当に些細なことなのだろうけど、僕はさくらが食べたいという前に生八つ橋を食べさせてあげたいと思ったのだ。
「何を買って来たのかと思いきや、気が利くではないか。風太の気配り、わらわは嬉しいぞ」
生八つ橋と一口に言っても、基本のあんこを始め、いちご味や抹茶味。チョコレート味に、変わったところではサイダーにブルーベリーなどなど、食べ物や飲み物、洋の東西を股にかけた物まで、豊富なラインナップがある。
「ささやかだけどお礼にと思って。さくらに会わなかったら、絶対にこれほどいまが充実していなかったはずだから。いまも名古屋のアパートで母さんが同じ街にいることにすら気がつかないまま、悶々と生きていたはずだし。多分、そのままで人生を終えることになっただろうからさ・・・お礼と言っても、元は僕のお金じゃない上に名ばかりで。こんなことしか出来ないのが何とも歯がゆいけど」
「そんなことは決してないぞ」
さくらは僕の告白をしっかりと受け止めてくれた。
「わらわが旅の目的は鳥羽で話した。使命とも言うた。じゃがな、使命とは己への脅迫観念が言い方を変えたものでもある。いつもそんな心境でいて旅が面白おかしくなるはずがなかろう」
さくらの発言を聞いて僕が思い浮かべる実体験は、受験勉強だった。
僕程度の頭脳では、いい大学に入るだけでも大変なのに、学費や生活費が少しでも浮くように、特待生で入学することを使命に掲げた日々は正直きつかった。
同情などではなく、僕はさくらの言うことを百パーセント理解することが出来た。
「風太は久しぶりに、心が少なからずすり減っておったわらわの良き話し相手となってくれた。わらわの方こそ礼を言わせて欲しい。風太だけではない。わらわもまた、これまでずっと風太におぶさっておったのじゃよ」
「さくら・・・」
お世辞でもそう言ってもらえると助かる。
さくらは袋の中身を見ずに、箱を一つ取り出した。
チョコレート味の物だった。
「ほれ」
箱を開け、袋を破り、そこから生八つ橋を二つだけ掴み取ると、その一つをさくらは僕に差し出してくれた。
「金のことに関しては、わらわが持っておっても持ち腐れじゃし、お主の忌み嫌う力を封印したことも、わらわ自身のためでもある。じゃから率先して下手に出るものではない。さっきも言ったように、わらわも風太には充分に助けられておるのじゃからな」
はむっ。
さくらは八つ橋を半分だけ口にする。
しっかりと咀嚼してから、残りを口に放り込む。
「あ、ありがとう・・・」
ぱくり。
僕は八つ橋を受け取ったその流れで、まるごと頬張った。
甘味が口の中いっぱいに広がる。
お菓子にお菓子なのだから当たり前か。
「ふむ。やはり京都と言えば菓子じゃ。湯豆腐なども有名じゃが、流石に今日の陽気ではのう・・・」
いま居る場所。地下階から空そのものは見えないけど、到着した時の天気は雲一つない快晴だった。
天気予報でも、今日は気温が上昇していくとのことだった。
今日の陽気の下での鍋料理は、確かにちょっとだけ酷かな。
「まだまだあるからの。食うがよい」
今度のさくらは袋の中身を確かめてから、スタンダードなあんこの八つ橋を取り出した。
さくらのために買って来た物なんだけど・・・まぁ、いいか。
細かいことを考えずに僕は、神様直々の相伴にあずかることにした。
結局は、残る抹茶味を含めた、三箱全てをここで開けることになった。
洋菓子はもとより、他の和菓子と比べても決して華やかな見た目ではないけれど、くどすぎないその甘味は、じんわりと優しく糖分が脳にしみわたっていくかのようだった。
「お茶もあるからね」
僕はさくらにペットボトルを差し出した。
「すまぬ」
ふたを開け、中身を口に含むさくら。
僕も、舌が甘くなりすぎた口直しにとお茶を手に取った。
父である人に会いに行く前のほっこりとした、即席のお茶会の時間は、さくらが最後の抹茶味を食べきったことで終わる。
三分の二はさくらが食べた。
さくらのために買って来たのだから、僕としてはだいたい狙いどおりである。
「さて、そろそろ行くとするかの。準備は出来ておるか?」
「・・・・・・いいよ。案内を、お願いするよ」
空になった八つ橋の箱を袋に詰め、乾燥剤などのゴミが床に落ちていないかを確認しながら僕は、覚悟を固めていく。
「それで、何処に僕の父である人が居るの?」
「・・・その前に、もう一ヶ所だけ寄らなければならない場所があるのじゃ」
さくらは何故か、僕の足下を見る。
僕が履いているのは、有名スポーツ用品のメーカー製ではあるけれど、ごく普通のスニーカーである。
「それって、どこ?」
「登山靴を扱っておる店じゃ。いまの風太の靴ではこの先は難しいからの」
最後の目的地は山の中にあるようだ。
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