二日目 大阪(その二)

 「用件は済んだか?」


 児童擁護施設の門の外で、塀に寄りかかりながら待っていたさくらが、施設に隣接する道路の方を向きつつ、ぼくに視線をくれることなく口を開く。

 待ちくたびれた。といったネガティブな面を垣間見えなかった。


 施設の前の道路は、出先からの帰宅ラッシュだろうか?いつも以上に交通量は多いように思えた。

 ここに着いた時は、空は昼の名残を残していたけれど、今の大阪の街は夕暮れの空の下にあった。


 「おかげさまでね。さくらの方はどうだった?」

 「別に何も無かったわい。参拝はいつもより多かったみたいじゃがな」

 「そっか・・・それで、早速で本当に申し訳ないんだけど・・・」


 真実紗さんと二人きりでの密室会談の後、ぼくはその間に部屋の片づけを済ませたあいつらと少しだけ遊んでやった。


 途中で切り上げるのがすんなりといかなかったのはさておき、ぼくの言葉には、さくらと先に交わした約束より後に、あいつらと交わした約束を優先させたことへの謝罪の意味も込められていた。


 「分かっておる。もう一度封印すればいいのじゃろう?」

 その事を知ってか知らずか。さくらの口調はいつもどおりだった。


 真実紗さんの話を聞くにあたって、嘘の旋律を聞き分ける能力だけは必要不可欠だ。

 若草山では能力から解放されることへの喜びが先走って、真実紗さんの事を失念していたけれど、これが最初で最後のわがままだと封印の解除をさくらに頼み込んだ。


 ぼくの力の特性上、どちらか一つだけを解くのは無理だとさくらが言うので、仕方無く二つとも封印を解いてもらった。

 加えて、母さんの時のように、さくらが目の届く範囲に居るとどうしても心のどこかで頼りにしてしまうからと、一人だけで真実紗さんに話を聞きに行くことにしたのだった。


 待っている間にさくらが野良犬などの動物に襲われたりすることを危惧したけれど「それなら久しぶりにわらわも我がやしろに戻ることにしよう。すぐそこじゃからの」とさくらが言い出した。


 それなら気兼ねが無くなるということで、この旅に出て初めてぼくらは別々に行動することになったのである。


 「と、その前にじゃ。風太に未練は無いのか?」

 「未練て・・・何に対しての?」


 さくらの真意が掴めず、ぼくは聞き返す。


 「風太にとって二つの力がいかに負の物であったにせよ、お主の一部であることに変わりはない。それがもう納めになるのじゃ。やり残したことは無いのかという意味で未練は無いのかという意味よ」


 さくららしからぬ口上に疑問を抱きながらも、言われてみれば、嘘を聞き破る力のおかげでさくらに興味が持てたことを思うと、人生の要所要所を黒く塗り潰してきたこの力は、この時のためにあったのかな。という思いが湧いて来なくもない。


 これまでに支払って来た対価はあまりにも大きすぎるけど、最後という言葉にぼくは心を突き動かされる。

 最後なんだから、まぁいいか。と。


 嘘専用のテレパシー能力は常に発動しているので、ぼくは風を吹かせる力を、言うなれば卒業前の旅行と同じような位置づけで使うことにした。


 吹け。


 これで終わり。

 もう二度と感じることのない風が、大阪の空気を纏いながら吹き抜けていく。

 その時だった。


 「え?・・・」


 ぼくの目の前を、大量のたんぽぽの綿毛が風に乗って夕焼けの空へと飛び去っていく。

 その光景が、記憶の土に埋もれていたさくらの言葉を唐突に芽吹かせる。


 「・・・花に、風?」


 名古屋のアパートでさくらがぼくに課した、問題の答えの片鱗をぼくはこの目で捉え、追う。見えなくなるまで、どこまでも。


 「・・・もういいのではないか?」


 髪の毛と着物をはためかせながら、さくらは言う。


 「あ、うん・・・」


 止めとぼくは、自分の物でないような頭の中で唱える。

 最後の感慨と未練も、どこ吹く風だった。

 さくらの課題の答えを導き出すことに気を取られていた。


 「ては、封じてやろう」


 そんなぼくを後目に、若草山と同じ儀式がここでも行われる。


 「再封印完了じゃ・・・むふふ。さて、対価にお好み焼きとたこ焼きを奢ってもらうという約束、いますぐにでも果たしてもらうぞ」


 意地が悪そうな笑顔でさくら。

 あって無いような条件でさくらは、ぼくの身勝手な要求を了承してくれたのである。

 この件が無かったとしても、札付きの大阪名物として、その二つは食べに行ったはずなのだから。


 「・・・う、うん・・・だったら、道頓堀に行こう。ここからなら、徒歩と電車を乗り継いで行けばそんなに遠くない距離にあるし、ぼくも行ってみたいから。イヤホン無しで」


 今のぼくの耳に、音楽のふたはされていない。

 ぼくは生まれて初めてイヤホン無しの状態で、食い倒れの二つ名をほしいままにする大阪の中にあって、そのシンボル的存在の街へと繰り出したのだった。


 もちろん二枚のお好み焼きを残すことなく平らげたぼくらは、道頓堀界隈の雑居ビルの中に入っていたお店を後にした。


 「どうじゃ。風太さえよければ、たこ焼きを食う前にちと散歩でもせぬか」

 「大いに賛成だよ」


 柿の葉寿司を間食していたこともあって、ほぼ満腹のぼくはさくらの言葉に賛同する。

 これまでの旅の中でも一、二を争うくらいの人で溢れている道頓堀商店街。


 無数の明かりできらびやかな商店街の本筋に背を向ける形で道頓堀に架かる橋を渡り、その先にあった階段から堀沿いの遊歩道へと下りた。


 水が流れているけれど、道頓堀は自然の川ではない。

 一から十まで、人の手によって造られた水路だ。


 名称の由来は、江戸時代に奉行として最初の工事の陣頭指揮を執っていたが、その半ばに大阪の陣の戦役において戦死してしまった安井道頓の名前を冠したことから来ている。

 それから四百年経った現在もなお、道頓堀は水上交通の道として使用されている。


 本筋からすれば比較的静かであり、ほどよい闇に包まれている遊歩道。

 だけど、それでも道頓堀と言われれば大抵の人が頭の中で思い描くと思われる、色鮮やかで大小様々な電光看板の数々が対岸に建ち並ぶ光景は、カメラを構えた大勢の観光客らを惹きつけていた。


 看板の光が道頓堀の水面に映し出される幻惑的な様は、人が造りだした物であるせいだろうか?

 自然の光にはない、どこか人を想う優しさとやすらぎを感じさせる美しさで、何の気兼ねもなく街中を歩けるようになったぼくの目に映る。 


 街の喧騒は、これまで不快と同義だった。

 だけど、嘘に付随する不協和音が取り除かれる。


 たったそれだけで、こんなにも賑やかで道行く人々の未来や希望に満ち満ちている調べになる。

 新しくて鮮やかな響きだった。


 この中にも嘘をついている人は、恐らく何人かいることだろう。

 しかし、嘘イコール悪だと一方的に断罪していたぼくの潔癖な考えは、すでに過去のものとなっていた。


 真実紗さんが言外に教えてくれたことだ。


 真実紗さんは嘘をついていた訳ではないが、彼女なりに気遣って、母さんが自首したことを今日までぼくに伏せていた。


 ならば、人を気遣うためにやむなくついてしまう嘘は、真っ白な善ではないにせよ、真っ黒な悪とも言い切れないのではないか。


 嘘は出来ればつきたくないけれど、どうしても不可抗力でつかなくてはならなくなった人の気持ちと事情に寄り添うことさえしない正しさは、偽善でしかないとさえ思う。


 自分で自分の目と耳を塞いでいた蒙が取り除かれる。


 ぼくは、劇的なまでに生まれ変わったと言っても大言壮語ではない、この道頓堀界隈を心底楽しんでいた。

 さくらと一緒に、喜びを分かち合いたいと思った。


 「街の活気って、こんなにも人を楽しい気分にさせるものだったんだね。和代さんが、ぼくたちから元気をもらうって言っていたのが、いまなら分かるかな」

 長年の苦役からの開放感があることを差し引いたとしても、この気持ちに偽りと強要がないことは確かだ。


 「いい若者が、何を年寄りじみたことを言っておるか」

 呆れ気味のさくらは、上目使いにぼくの顔を見る。


 「思ったものは仕方がないだろ・・・でも、これも全部さくらのおかげだよ。真実紗さんから本当のことを教えてもらえたのも全部」

 「ふ、わらわはけじめをつけるためにしたのじゃからな。感謝される謂れなどないわい」


 さくらが言うように、若草山での出来事は確かに彼女自身のけじめだったのかもしれない。が、それでもぼくとしては、さくらがぼくの重荷を取り払ってくれたことの感謝の念の方が大きい訳で。


 でも、これ以上の謝辞はさくらも望まないだろうから、ぼくは心の中で感謝することにした。ありがとうと。


 ぼくは目線を斜め上に傾け、道頓堀に架かる橋の一つであるえびす橋を往来する群衆に目を向けた。


 何十人もの人の歩みが、絶えることなく右に左にと流れ続けている。

 男の人。女の人。

 若い人。年老いた人。

 一人で来ている人。

 仲間で来ている人たち。


 性別も、年齢も、考え方も、生き方も、まるで違う人々。

 人の数だけ意志があり、その人の世界がある。


 「さくらがぼくのアパートで出した課題の答え、分かった気がするよ」


 さくらを振り返って足を止める。


 「申してみよ」


 さくらもまた歩みを止め、すぐ近くにあった堀の欄干に背を預けて、ぼくの言葉を待つ。


 水面の反射がどこか神秘的な道頓堀を挟んだ向こう岸には、電光看板がさくらの後光であるかのように輝いていた。


 あまりの神々しさに気後れしそうになる心を懸命に押し留めながら、真実紗さんの時と同様、ぼくは言葉を選びに選ぶ。

 施設からここへの道すがら、練り続けた思考の中から慎重に。


 「・・・さくらは、人の世界は数え切れないくらいの人たちの考え方が合わさることで成り立たっていると言いたかったんだよね。法律とかの話じゃなくて個々人の単位で」


 「・・・・・・」

 さくらは神妙な顔つきのまま何も言わない。

 いまは、あくまで傾聴に徹するようだ。


 「さくらが言っていた月にむら雲。花に風。前半はともかく、後半の花に風。諺の意味どおりに解釈すれば、きれいな物には邪魔が入りやすいことの例えになるけど、それは人間からの一方的な物の見方だということをさくらは言いたかった。違う?」


 「そのとおりじゃ」


 さくらは鷹揚に頷く。


 「全てではないが、花は風がなければ種を遠くには飛ばせんというのにのう。わらわが言いたかったのはそこじゃ。諺の意味がどうのこうのではなく、一つの考えや見方、気持ちに固持しておっては、結局は別の側面を見落としてしまうのじゃよ」


 「・・・あの時のぼくには自信が欠けているとさくらは言った。もちろん自信が欠けたままで良いなんて言うつもりはないけど、ぼくはどうせこんな人間なのだからと、ネガティブの面をそのまま受け入れてしまっていた。見方を変えれば、それまでずっとマイナスだとばかり思っていたものが、プラスに転ずるかもしれないというのに」


 劇的なまでに鮮やかな現在がプラスで、色がくすんでいたままの過去がマイナスだ。その差を見比べることで、ぼくはその事に思い至ったのだ。


 自分の事を信じられない気持ちも、ただの心の重りではなく、高みに至るための重くて頑丈な踏み台として捉えれば、そこに前向きな意味が生まれる。


 「そこまで気がつけたのなら百点じゃの。自分の枠に他者を当てはめては、上手く世間は回らないとは言ったが、それは自分自身にも言えることじゃ。自分にはこれしか出来ぬと、自分で自分に当てはめた枠から一歩も外に出ようとはしない。世の中には、目線を変えれば至るところに自分を成長させるための考え方ややり方が溢れているというのにの。自分の枠組みの中に閉じこもっておっては、みすみすそれらを取り逃がすことになる」


 さくらの一言一言が心にずしりと響く。

 ぼくのしていたことは、ややもすると、いずれはその考えに行き着いていたかもしれなかったからだ。

 いや、すでに行き着いてしまっていたのかもしれない。


 ぼくはいままで気がつかない内に、いったいどれだけのものを手のすき間から取りこぼして来たのだろう。


 「自分で自分を囲った枠を取り払えとは言わん。それはそれで生き抜くための指針という意味で、絶対に必要なことでもあるからの。風太の母親が罪を償った後で医者になったのはその好例じゃ。大事なのは、世の中には自分とは違う考えが確かにあって、他人が自分とは違うということを前提に、それでも認め合おうとすること。相容れないものであったとしても、それでも共存しようという想いなくして争いは決して無くならぬ。さっきのお好み焼きのようにな」


 と、口上の最後にさくらは思いもよらない単語をつけ加えた。


 まだ、ぼくの口の中にはお好み焼きのソースの余韻が若干残っていた。


 じゃがいもともちとチーズの入った物と、シーフードミックスの物をぼくらは食べた。

 具材の一つ一つの味が口の中で際立ったと思えば、それらの全てが渾然一体となって広がる。いろいろな具材を一緒に混ぜ込んだ状態で焼き上げる、お好み焼きの料理の特徴がまさか、そのまま神様の説法と被ろうとは。


 これから食べに行く、たこ焼きにしても同様のことが言えるのかもしれない。

 乳化と言うのだったっけ?これ。


 「あははっ。本当に食べることが好きなんだね。さくらは」


 ここにきてお好み焼きの話がいきなり蒸し返されると思っていなかったぼくは、二つの能力からの解放感も手伝って、思わず吹き出してしまう。

 人生訓のような硬い話が続いていたから、なおさらだった。


 「何をいまさら。わらわが食べる姿を散々見てきたくせに」


 飛騨牛フィレステーキ、ひつまぶし、伊勢えびとあわび、葛きりと柿の葉寿司、お好み焼き。


 昔食べた記憶のある、ぼく一押しのお店のたこ焼きはこれからだ。


 けれど、さくらがどんな顔をして食べるのかの絵面は、これまでの食事風景と焼きたてのたこ焼きが熱々であることを知っていれば、簡単に想像がついてしまう。

 きっと、今度もまたぼくの心を和ませてくれるに違いない。


 「長々と話してしまったの。そろそろ腹に何かを入れとうなってきたわい。風太が勧めるたこ焼きを食べに行こうではないか」

 「そうだね。じゃあ、行こうか」


 ぼくとさくらは横に並んで歩き出した。

 でも、その前に一つだけ。


 「施設の前でのたんぽぽの綿毛。あれ、さくらの仕業だったんだよね?」


 在来種のたんぽぽは春の花である。

 したがって、春の神様であるさくらなら容易に用意出来ることだろう。


 「なんじゃ、とうにばれておったか」

 両手を頭の後で組むさくらは、見破られたことが嬉しそうでいる一方で、悔しげでもあるように見える。


 「そりゃあ、いくらなんでもね。さくらにしては物事を押しつけてくる感じが変だと思っていたから。ぼくにヒントを出してくれたんだろうなって、道すがらに考えていたんだ。施設の周りにあれだけ大量の綿毛が飛ぶほどのたんぽぽが群生している場所は、ぼくが知る限り無いはずだし」


 「わらわとしたことが、あからさま過ぎたかの」

 「そうだね。分かりやすくはあったかな。でも、ありがとう。さくらには教わってばっかりだ」

 「苦しゅうない。対価はその謝辞だけでよい。さ、行くぞ。たこ焼きがさっきからずっとわらわを待っておるのじゃからな」

 「じゃあ、こっちだよ」


 こうしてぼくらは大阪、道頓堀の夜をたこ焼きで締めくくったのだった。

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