二日目 大阪(その一)

 「誰や思うたら、風太やないの」

 「ただいま。和代さん」

 「お帰り。何の連絡も寄越さんといきなり帰ってきて。何かあったん?」


 朝に雨降りの名古屋を出発。

 鳥羽ではさくらの過去と旅する理由を耳にした。

 その後の奈良において、さくらの神様らしからぬ弱点をはからずも目にしてから、若草山山頂にてぼくの苦難は過去の物となった。

 そしていまは大阪にいる。


 昨日の何気ない予言もどきが的中した格好だ。


 今日を振り返ってみれば、距離的にも内容的にも、何という強行日程の旅の二日目であることか。


 普通の旅行者ならば、世界文化遺産などの観光スポットの多い奈良で一泊するところだろう。


 それを、急行電車を使えば奈良から一時間もかからずに行けるとはいえ、ぼくとさくらはその日の内に大阪までやって来てしまったのである。


 日本で最も大きい半島である紀伊半島の中でも、一番に東西の距離が長い部分のほぼ端から端までを横断したことになるのだから、なおさらそう感じてしまう。


 それでもあえて過密な旅程を断行したのには、奈良のホテルや旅館が予約で埋まっているのが想像に難くなかったというのもあるが、ある人に問わなくてはならない質問を抱えているという理由からだった。


 他の人がどう思おうがぼくにとってそれは、とても重要な事柄なのだ。


 その地である大阪を目の前にして、立ち止まってなどいられない。

 今日はまだ、終わっていないのだから。


 「うん、ちょっと・・・それよりもこれは奈良のお土産です」


 ぼくが手にしている紙袋の中には、奈良のお土産の定番と言ってもいい奈良漬けと、柿の葉寿司の詰め合わせが入っている。


 高校を卒業した身でありながら手ぶらはないだろうと、ぼくが育った大阪の児童擁護施設に立ち寄る際の手土産として、若草山を下山した後で購入した物だ。


 奈良漬けとは、酒かすにあらかじめ塩漬けしておいたきゅうりや白うりなどを漬け込んだ物で、他の漬物にはない深いあめ色や真っ黒な色が印象的である。

 違うのは色だけではない。

 浅漬けは言うに及ばず、ぬか漬けよりもはるかに長く漬けていられるのも奈良漬けの特徴で、中には十年以上も漬け込まれた物もあるというから驚きだ。


 柿の葉寿司はその名のとおり、柿の葉っぱに包まれた押し寿司だ。

 奈良漬けには遠く及ばないが、一日寝かせれば更に味がこなれて美味しくなると、品物を受け取る時に、にこやかにおばちゃん店員さんが語ってくれた。


 若草山登山を終えた後だったので小腹が空いていたぼくは、お土産として購入した物とは別に、間食用として手に入れたお寿司を一時間もしない内に、さくらと分けあって食べてしまった。

 なので一日寝かせた物の味をぼくは知らない。


 上手く表現出来ないけど、香りだろうか?普通の押し寿司とはどこかが違う感じがして、空腹と合わさったことで美味しく頂けたのは確かだった。


 ぼくはいま名古屋に住んでいるので、ういろうなどの名古屋のお土産を本来なら持って行くべきなのだろうけど、奈良のお土産屋さんを目にして始めて気がついたのである。

 なので、大阪の人から見れば、お土産と言うには微妙な品物になってしまったむ。


 今、ここにいること自体が想定外なので、仕方ないと言えば仕方ないのだろうけど、それを全く知らない和代さんがどう思うのか?

 それなりに気を揉んでいた。


 「少しでも食事の足しになればと思って」

 「それはおおきにな」


 そう言って施設の職員の一人である和代さんは、玄関口でお土産をひとまとめにした紙袋を受け取る。

 合点のいかない表情を浮かべるも、和代さんは 追求して来なかった。

 

 「立ち話もなんやし、中に入りや」

 「はい」

 「そんで。名古屋の大学はどうなん?元気にしとるん?体壊してへんやろな?」

 「大学の勉強は真面目にやっていますし、元気でもいます。あいつらは元気ですか?」


 靴紐をほどき、靴を脱ぎ終える。

 その後できちんと靴を揃えることも忘れない。

 施設の先生たちの躾のたまものである。


 「それはもう元気過ぎるくらいやで。やんなってまうわ」


 言葉とは裏腹に、和代さんは嬉し楽しそうだ。

 ついに子どもを授からなかったという彼女からしてみれば、あいつらは本当の子どもみたいなものなのだろう。

 あいつらがこの施設で養われているからこそ、和代さんが救われている。

 なんともやりきれない救い話である。


 「あっ、風太兄ちゃんだ」

 「えっ?お兄ちゃんが来ているの」

 「あ、本当だ。風太お兄ちゃんだー」


 一人の男の子が、廊下の曲がり角の奥から顔を見せたのを皮切りに、その声を聞きつけた他の子どもも集まって来た。


 「ただいま。いま帰ったぞ」


 遊んでとぼくに飛びかかってくる男の子二人に、女の子一人の三人の子どもたち。他にもいるが、いまは三人だけのようだ。


 皆、ぼくと同様、親と何らかの事情と軋轢を抱えている子らである。

 膝をついて、目線をほぼ同じにしてから、およそ一ヶ月半ぶりに胸元へと呼び込んだ。


 「名古屋ってどう?」

 「おいしいものある?」

 「今度行ってもいい?」

 

 まだ見ぬ名古屋の街に想像をかきたてられているのか、三人から矢継ぎ早に質問される。


 「名古屋はいいところだぞ。美味しい物もいっぱいあるけど、今度行けるかどうかは・・・お利口さんにしていたら行けるかもしれないぞ」

 「うん。お利口さんにするから、ゲームして遊んでよ」

 「いいよ。でも、後でな」

 「えーっ」

 「つまんないー」

 「ほら、あんたらまだ部屋の片付けが済んでへんやろ。兄ちゃんと遊ぶのはそれからやで」


 演技ではなく、本音でぶうぶう文句を垂れる三人に、施設の大人としての毅然とした態度を和代さんは示す。

 躾に関しては結構厳しい和代さんだ。

 はぁい。と、半ば渋々といった様子で従う三人の子どもたち。


 「そんで。名古屋やのうて、奈良の土産を渡すためだけにわざわざ戻って来たんやないんやろ?何や理由があったんちゃうん」

 「そのことなんですけど、真実紗さんはいます?」

 「院長?院長は携帯の調子が悪い言うて大分前から出かけとるんやけど、いつになったら帰って来るんかは分からんな。間が悪いなぁ」


 腕時計を手首に巻いているところを見たことがない和代さんは、廊下のアナログ掛け時計を見ながら言った。


 本当に間が悪いなとぼくは思った。

 いまどき携帯電話の調子が悪いなど、数年に一度あるかないかのくらいのものだろうに、何だってぼくが帰って来たタイミングに被ってしまうのだと。


 真実紗さんに限って、携帯電話の使い方がよく分からないだけでショップに向かうということはないはずだ。

 そういう場合は、まず説明書から当たってみる人なのだから。


 「じゃあ、どうしようかな・・・」


 不在ということも考慮すべきだったが、考えていなかったのでぼくは頭を捻る。施設の子どもたちがそれぞれの学校から帰って来るこの時間帯に真実紗さんが居ないというのは、ほとんど記憶に無かったからである。


 「別に気にせんでええんちゃう。いますぐに名古屋にとんぼ帰りする訳でも、市内にホテルをとった訳でもないんやろ?」

 「そうですけど」

 「なら泊まっていけばええ。その内、院長も帰ってくるやろうし、宿代も払わんでええし。一石二鳥やんか・・・あ、でも急やったから晩飯の支度が出来とらんか。寝場所はあんたが前に使うてたベッドが空いとるからええんやけど・・・」

 「問題無いですよ。晩ごはんくらい外で食べて来ますし」

 問題が存在しないことは誓って真実だ。


 「堪忍な」

 「急に帰ってくる僕が悪いのだから気にしないで下さい。先約もあるし」

 「先約?誰と?」

 「あ、こっちの話、です・・・」

 「彼女?」

 「ち、違うよ。和代さん」


 施設を出たからには遠慮は無用とばかりに、ぼくが施設にいた頃には、目にしたことが無いようなノリで迫る和代さん。

 こちらの方が、保護者の肩書きを下ろした、本当の彼女なのだろう。


 「冗談に決まってるやん。かわいいなあ」

 「・・・・・・」


 気を取り直してぼくは、これからの予定を思案する。


 晩ごはんの時間には少し早いから、部屋に荷物を置いて久しぶりに大阪の街を見てこようかな。さくらのお陰でやってみたいことも出来たから、ちょうどいいかもね。真実紗さんに会うのはそれからでも遅くないか。あいつらと遊ぶのも。


 「じゃあ、和代さん。ぼく外に出て来ますから。遅くならない内に帰って来ます」

 「気ぃつけるんやで」


 とりあえずは即興で自分が納得する予定を立てられたので、そのとおりに動こうとした時だった。

 玄関のドアが外から開いて、一人の見知った人物が中に入って来た。


 「あら?」


 予定は未定の好例だ。

 ぼくは、できたてほやほやの予定を即座に脳内で破棄する。


 「風太。いつ帰って来たの?」

 「いまさっきです。真実紗さん」


 金木真実紗さん。

 さんづけすると舌を噛みそうになる名前の女性だ。

 実際、ぼくも何度か噛んだことがある。

 噛みたくないからだろうけど、和代さんは彼女を院長と呼び続けている。


 その和代さんが言うように、ぼくが育った施設の一番の責任者であり、まさしく親代わりの人だ。

 離婚歴ありの独身。

 ぼくとそんなに歳の差がない息子さんが一人いて、すでに親元を離れ、埼玉県で働いている。

 彼とは歳が近いということもあって、今でも一番に仲がいい友だちだ。


 彼女の年齢は四十代後半らしい。

 年齢について、それ以上は詳しく知らない。

 白髪が少し混じっている短めの黒髪に銀縁眼鏡を掛け、外見こそ細身で華奢な感じを受けるけど、いつも冷静沈着で慌てふためいたところを一度も見たことがない、実に芯の強い人であると同時に、


 「何の連絡も無しに帰って来るような風来坊に育てた覚えはありません」


 と、和代さん以上に躾に容赦がない厳しい一面を持つ人でもある。

 レンズの奥の目が鋭い光を放つ。


 「ほんまやわぁ」

 真実紗さんに大きく同意する和代さん。

 どちらか一人だけでも頭が上がらないというのに、そんな二人にタッグを組まれてしまえば、ぼくには太刀打ち不可能だ。


 「そ、それは、ごめんなさい」


 こうなってしまったからには、謝らないと話が先に進まないことは骨の髄から知っている。

 下手に言い訳しようものなら世にも恐ろしい事態が待っていることも。


 「・・・何か用があって来たのでしょう?言ってごらんなさい」


 だが、筋をとおせば、犯罪行為に足を突っ込んでいるようなことをしでかしていない限りは、すぐに許してくれることも知っている。


 ただ厳しいだけの人ではない。

 厳しく接する以上に、例えば急に熱を出した時は本気で看病してくれるなど、血の繋がりが無いというのは関係ありませんと、無償の愛でぼくらをしっかり包み込んでくれることを知っているがゆえに、ぼくもあいつらも彼女を本当の母親のように思っている。


 ただ、今日この時ばかりは、ぼくは真実紗さんに百パーセントの信頼を寄せることが出来ないでいた。


 「真実紗さんにどうしても聞いておかなくてはならないことがあるんです」

 真実紗さんの顔は見ていたけど、ぼくは和代さんの顔を見ることなく言った。


 「はいはい。そろそろ夕食を作り始めんといかん時間やね」


 真実紗さんと二人で話したい。

 ぼくの意を完全に汲み取って、スリッパでフローリングの廊下を叩く音を立てながら、和代さんは台所のある方に向かってくれた。

 ぼくと真実紗さんだけが後には残される。


 「その用件、電話では済ませられなかったの?」

 「そう、です。とても電話なんかで済ませる気にはなれなかったから。直接会って真実紗さんの口から話を聞きたかったんです」


 もっともなことを口にする真実紗さんだったが、ぼくの口調と態度から事の重大さを感じ取ったのか、いつも以上に表情と気持ちを引き締めたようだった。


 「私の部屋に来て頂戴」


 長い間、大阪に住んでいるというのに標準語で話す真実紗さんの後に続いて、ぼくはこれまで数えるほどしかない彼女の仕事部屋に入った。


 簡素なスチール製の事務机に、背もたれとキャニスターつきの椅子が彼女の机だ。

 十何年と変わってはいない。


 部屋の中の木製の本棚には、子どもの教育論や心理などについて記された物を中心に、数多くの書籍が収められている。


 自らが手塩にかけて育て上げた子どもといっても、何の準備も無しに、自分の部屋に成人間際である異性を招き入れるあたり、彼女の人物像が伺える。

 おのずと教育方針も。


 「・・・言いにくいことなの?」


 ぼくの迷いを見透かしたかのように真実紗さん。

 右手に持っていた、白い手提げ鞄を事務机の脇のフックに掛けてから真美紗さんは、椅子に座ってぼくに向き直る。


 恩師であると同時に、母親も同然である彼女を疑うようなことをこれから聞くのだから、心に迷いが生じない訳がない。


 つき合いの長さで言えば、十数年の空白を越え、昨日再会した母さんよりも、真実紗さんの方がずっと長いのだから。


 さりとて、あるにはあるが、いまさら、やっぱり言うのを止めました。なんて選択肢を選べるはずがない。

 実質は一択だ。

 迷いを背負ったまま、前が闇に閉ざされた一本道を突っ切るしかない。

 ぼくは覚悟を決めて口を開いた。


 「・・・名古屋でぼくの母さんに会ったんです」

 「そう・・・」


 彼女からしてみれば、予想の範囲内だったのか。驚いた素振りをほとんど見せなかった。


 それもそうか。

 ぼくに関わることで、電話では済ませられない事案とくれば、両親がらみであることを可能性の一つに挙げるのは、それほど難しくないだろう。


 真実紗さんほどの人が、その事に思い至らないはずがない。


 ぼくの語りを聞いた後に、感情の発露である言葉を無闇矢鱈と多用しないあたりも実に彼女らしい。


 「その事でどうしても教えて欲しいことがあるんです・・・真実紗さんはぼくの母さんが自首していたことを知っていたんですか?」


 母さんが自首したのは、ぼくを捨てたすぐ後だと本人は語っていた。

 警察がこの施設に、母さんが自首した情報を報せに訪れたとしても、当時のぼくはまだ、あいうえおすら理解出来ない赤ん坊だった。


 もとより、ぼくの代理で真実紗さんら、施設の大人の人たちが聞くしかない。

 だからぼくは、百パーセントの確信をもって真実紗さんに話を切り出すことが出来たのだ。


 「・・・知っていたわ」

 やや俯き気味に。ぼくと目を合わせることなく真実紗さんは奥歯を、言葉を噛みしめる。


 「刑事の方から聞かされていたことよ。あなたはまだ幼かったから、私が代わりに聞いたの」

 「やっぱり・・・それを今までぼくに伝えなかったのは、ぼくの母さんがしたことを怒っていたからですか?それとも、ぼくが聞くまで言わないつもりだった・・・」


 ぼくは彼女との信頼関係をもう一度確かめたかったのだ。

 母さんに再会を果たした時からずっと。


 もちろん疑義よりも、育ててくれた恩義の方が圧倒的に強くて大きい。

 時間にすれば昨日のことだが、まさに一日千秋の思いでぼくは真実紗さんに会いに着たのである。


 「両方ね。親が我が子を捨てるなんて行為、どんな理由があっても許せるはずがないし、当時のあなたはまだ赤ん坊だった・・・」


 ここで真実紗さんは、一拍の呼吸を入れる。

 心の整理がついていない印象を受けた。

 ・・・無理もないか。


 ぼくが今日帰って来るなど、流石の真実紗さんも予想出来るはずがないのだから。

 ましてや、この話を引っ提げて来るとは。


 「あなたが成長した後でも何度も迷ったわ。本当のことを私から言うべきかどうかを。けど、無責任なようだけと、最終的にはあなたの意志に委ねることにした。聞かれればもちろんすぐに言うつもりだった・・・でも、そのせいであなたが不快な思いをしたというのなら、謝ります」


 ぼくの言葉を待たずに、真実紗さんは椅子から立ち上がって頭を下げた。


 その行動はいつもの、ぼくがよく知っている、潔く誇り高い真実紗さんだった。


 自分の意志で選び取った行動の末に発生した責任は、何があっても人のせいにしてはいけない。 


 彼女はよく、その言葉をぼくらに語っていた。


 その言葉どおりに彼女はいま、なんら自分以外のせいにすることなく誠心誠意、謝罪することで責任を取ったのだ。


 なんと格好いい大人であることか。

 ずっとその背中を追い続けて行きたいと思わせるに足る、彼女の対応。

 彼女への疑念はあとかたもなく霧散した。


 「本当の話が聞けて良かったです。これで、これからもぼくは真実紗さんを心から慕っていくことが出来ます。ありがとうございました」

 「こちらこそありがとう。語らせてくれて・・・」


 冷静に、ほっとした表情を浮かべる真実紗さん。


 「それと・・・真実紗さんたちは、幼い頃のぼくの事をどう思っていたのですか?その、怖くはなかったのですか。母さんは恐れをなしていたそうです。ぼくが泣く度に風が吹き荒れていたことに」


 母さんは、それを理由の一つにぼくを捨ててしまったと悔やんでいた。


 ならば、真実紗さんら施設の大人たちも、そう思っていたとしても不思議ではない。

 なのにぼくをここまで育ててくれた。


 何を思いながら、ぼくを育んでくれたのだろう?


 これも名古屋の夜から真実紗さんに聞いておきたいと心に決めたことだった。


 「決まっています」

 真実紗さんは迷いなく言いきる。


 「確かに、あなたは私がいままで見てきた他の子たちとはその点で違っていた。けど、それがなんだというのです?私たちが育てなければ、確実に命を落としてしまうことに関しては、あなたと他の子どもたちになんら違いはありません。それが理由です」


 母さんを責めるとかそんなんじゃなくて、ぼくは胸の奥がじんと熱くなるのを感じていた。


 人外の力のあるなしに関係なく、ぼくを他の子どもと同じように見てくれていたことに感動していたのである。


 もしかすると、真実紗さんもかつて、いまのぼくと同じような経験をしてきたのではないか?

 それならば、異常なぼくの力に寛容過ぎる対応にも一応の納得がつけられる。


 けれどその考えを口に出そうとは思わなかった。

 もう真実紗さんを疑いの目で見たくはないのだから。


 「・・・私に聞くことはそれだけ?」

 「はい。他にはないです」

 「なら、逆にこっちから聞かせてもらいたいことがいくつかあるわ。時間とかの問題はあるかしら?」


 ぼくは即座に心を身構えた。

 これから親と大人というものを極めた、真実紗さんの本領が発揮されることを。


 「分かりました。予定は特にないので問題はないです」


 主導権が交代してからというもの、一気に重みが増していく空気が痛くさえある。

 やはり、真実紗さんはぼくよりも大人なのだ。

 人生の厚みが違い過ぎる。


 「風太はこれから母親の人とどうするつもり?」

 「・・・・・・・・・」


 この事は、真実紗さんの立場からすれば、いの一番に聞いておかなくてはならないことだろう。

 その責任と資格が、ぼくを育て上げた彼女にはある。


 もちろん適当に答えるなどあり得ないことだ。

 ぼくは自分と向き合って、きちんとした答えを確立させようとする。


 真実紗さんを納得させるだけの、絶対に揺るぎがなく、自分にいささかの嘘もつかない答えを模索する。


 そうでなければ、いまの真実紗さんなら一瞬にして考えの薄っぺらさを看破してしまうことだろう。


 「・・・母さんと、一緒に暮らしたいです」


 といっても、結論はすでに出ている。

 ぼくがしたのは、その結論の確かさと堅牢さを再確認しただけだ。


 「本当に、心からそう思っている?」

 児童養護施設の長として、これまで何度もこれと似たような状況に接してきたはずの彼女。

 気を抜くと、ぼくを一心に見据えるその視線に易々と心を射抜かれてしまうことだろう。


 高校を卒業して大学生になったとはいえ、大人の階段のはるか頭上を真実紗さんは、僕に先行して登っていることを。そして、一生、目標とするその背中に追いつけないことを痛感する。


 「本当です。自首もせずにのうのうと暮らしているというのならあり得ませんが、母さんは、自業自得とはいえ、これまで本当に苦しい思いをしてきたみたいですし、自分にも罰というか試練を課して生きて来ました。これからもきっとその事を悔やみ続けると思います。だからこそ、ぼくはもう一度、そんな母さんとやり直してみたいんです。当たり前の親子の姿というものをぼくは知りたい。いまならそれが出来ると思いますから」


 ぼくは気持ちをミリ単位も偽ることなく、全てを語り尽くす。


 「母親の人は何と?」

 「ぼくと同じで、やり直したいと言っていました。そのために再婚もしていないとも」

 「・・・仕事と名前を聞かせて」


 勘ぐるまでもなく、明らかに真実紗さんは、母さんを疑ってかかっている。

 探偵にでも調査を依頼するつもりなのだろうか?


 しかし、ぼくは何も言えない。

 超常的な力を持たないはずの真実紗さんが、立場上そう簡単に、一度過ちを犯してしまっている母さんを、簡単に信用する訳にいかないのも頷けるからだ。


 「・・・医者をしています。名前は五十嵐美歩」


 わずかに迷いながらも、ぼくは聞かれたことに答えていく。


 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 熟考を重ねる真実紗さん。


 三十秒くらい経っただろうか?

 これほど考え込む彼女は、未だかつて見たことがない。

 沈黙の時間が流れる。


 「・・・風太の思い、分かりました。嘘でないのなら母親の人の気持ちも。そう決めたのなら、私は何も言いません。進むべき道を選ぶのは常にあなたなのだから。でも、これだけは絶対にあなたの母親に伝えてもらえますか?」

 「はい」


 ぼくは返事と頷きを答えとした。

 一瞬の間を開けて真実紗さんは、重厚な鉄の門扉のような口を開く。


 「もう二度と裏切ってはいけません。自分の子どもも、自分自身も」

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