二日目 奈良(その二)

 若草山に登るためのルートには大きく二つある。


 一つは自家用車かレンタカーなどで行くのが前提の、登山というよりはドライブ感覚のルートだ。


 なので、マイカーはおろか運転免許すら保有していないぼくに残されているのは、奈良公園を通過して登山口に至る、徒歩のルートだけである。


 奈良公園は、大仏の廬舎那仏像で超有名な東大寺。仏像愛好家には常識の阿修羅像がある興福寺。三勅祭の一つに数えられる春日祭の春日大社など多くの名所に溢れているが、今回はゆっくりとそれらを見て回る時間は残念ながら無い。


 伊勢神宮に寄らなかったからには、遅くならない内に大阪まで行く腹積もりでいるのだから。


 寺社以外に奈良公園を語る上で忘れてはならないのが、野生の鹿の存在だ。


 通常、野生の鹿と言えば夜行性であり、警戒心は自ずと高い。

 人や車が近づけば余程のことがない限り、向こうから勝手に退散してしまうが、長きに渡って人間と共存してきた奈良の鹿は昼間でも行動し、人が近いてもなんら怖れることなく悠々と足元の草を食んでいる。


 ぼくの知識に間違いや抜けが無ければ、このような場所は日本でも二ヶ所のみ。

 ここ奈良公園と、厳島神社のある宮島だけのはず。


 「風太は何故に若草山に登りたいのじゃ?良ければ聞かせてもらえぬか」


 さくらはぼくにぴったりと寄り添いつつ、常に辺りを警戒の目で見ている。

 パトカーで警邏中の警察官であったとしても、ここまで血眼にならないだろう。

 それこそ天敵の見落としが落命に直結してしまう、札付きの野生の鹿のような警戒ぶりだ。


 世間一般では不審ではない人(例えば宅配業者の人とか)なのだけど、幼い子供から見れば初対面の大人は、個人差はあれど恐れの対象になる訳で。


 そんなシチュエーションに置かれた子供が、荷物の受け取りに対応する母親の後ろで隠れるようにして離れない構図を思い浮かべれば、ぼくらの状況は理解しやすいと思う。


 ぼくの脳内劇での子供と同じことをしているのが、いまのさくらである。

 

 「き、気持ちの整理がしたいからだよ。母さんと和解出来たのは正直嬉しいけど、それでもまだ拭いきれていないものがあるというか。それとは別にわだかまるものがあるというか。とにかく心がもやもやしているから、一度リセットしたいんだ」


 ぼくとしては、真摯に自分と向き合って出した結論を真剣に述べている場面のはずなのだが、こうなっては無駄に虚しく空気を震わせただけとしか思えない。


 「そ、それと若草山がどう結びつくのじゃ?」


 さくらは全く警戒を緩めようとしない。

 荒れ狂う天気の日の風見鶏のように、ぐるぐると視線を一ヶ所に留めるということをしない。


 「何歳頃だったかは覚えていないけど、ぼくは昔、施設の先生たちや仲間と一緒に、一回だけ若草山に登りに来たんだ。それが初めての登山だったんだけど、心が軽くなったというのか、高いところからの風景を目にしたら、それまで心に抱えていた不安などが吹き飛んでいって。あっという間に心の整理がついたことはいまでも覚えてるんだ。どうしてこんなにつまらないことで悩んでいたんだろうって」


 「山からの風景は、道中だろうが頂上だろうが、それぞれに変化がある分だけ個性的じゃからな。良いものを良いと思うその心に、神と人間の違いなどありはせんわい・・・」

 最早、血眼と言っても差し支えない目でさくらは言った。


 「・・・さくらはこれまで山に登ったことはある?」

 山というキーワードを元にぼくは、ある意味、異様とも言える雰囲気を少しでも和らげる意味も込めて、さくらのこれまでを問う質問を繰り出した。


 「もちろんじゃ。富士山には何度も登ったこともあるし、山で言うたら播隆上人ばんりゅうしょうにんじゃな」

 「播隆上人?」

 「槍ヶ岳の開祖となった僧侶じゃ。わらわは上人とともに登頂の瞬間に立ち会ったのじゃ。天明の頃じゃったと記憶しておる」


 天明といったら江戸時代の後期だったはず。

 登山経験がいまのところ若草山の一回だけの、登山の造詣が全く無いぼくには、槍ヶ岳と言われた所でどんな山なのかは、ピンぼけが著しい望遠鏡のように頭の中でイメージが像を結ばない。

 うろ覚えで北アルプスのどこかにある山だとしか。


 三千メートル級の山々が連なる北アルプスの一角を成す山が、まさかこれから登ろうという若草山と同等の難易度であるはずがない。


 現代ほどの登山装備が無かった中で、そんなに昔から北アルプスの山が登頂されていたんだと、ぼくはその人が成し遂げた偉業の凄さに同じ人間として胸のすく思いがした。


 「富士山と槍ヶ岳以外にも、日本のめぼしい山には全て登っておるわい」


 さくらは胸を張って言ったつもりだろうけど、挙動不審な分だけマイナスだ。

 加えて、野生動物のように警戒心をあらわにしているからだろう。

 語気は荒い。


 ぼくらはそのまま青信号を渡り、何故かさくらがずっと気にしている奈良公園へと足を踏み入れた。


 山体の大部分が立木の無い草地となっているため、麓の奈良公園からでも若草山の山頂は望めた。


 公園内もまた、ゴールデンウィーク真っ只中の人出の中に埋もれている。

 朝の名古屋駅の通勤通学ラッシュほどではないにせよ、それでも人混みの渦中を縫うようにして進むことは避けられそうもない。


 昨日の高山でも感じたことだけど、名実共に日本の古都の元祖と言うべき奈良にも、鹿と日本人に混じって、ガイドブックやカメラ、ソフトクリームなどを手にする外国人観光客の姿が目についた。


 「いまは日の本の何処に行っても外国人の姿を見かけるのう」

 幾分、穏やかになった眼差しでさくらは辺りを見渡す。


 「いまや国全体をあげて観光に力を入れているからね」

 「・・・時代の流れじゃな」


 神様のさくらが言うと異常なまでの重みがある台詞だった。


 「あっ、忘れてた」


 真っ黒なレンズのサングラスが良く似合う、恰幅のいい一人の男性外国人の言葉を耳にしたことで、大事な用件を忘れかけていたことにぼくは気がついた。


 「何をじゃ?」

 「トイレだよ」


 先ほどの彼はぼくのすぐ近くで旅の連れと思われる人たちに、トイレット。と、流暢な英語で言っていたのだ。


 電車の中で若草山についての情報を収集する中で知ったけど、徒歩ルートの登山道の途中にトイレは一切無い。山中のトイレは山頂から登山道とは逆方向に行った場所にある駐車場の一ヶ所のみ。


 公園にこれだけ人が溢れているのだ。

 登山道も、いつも以上に賑やかになっているのは百パーセント間違いのないところだろう。


 そのような中でなくとも、途中で用を足したくはないわけで。

 その事態を回避するためには、前もってトイレを済ませておくのが最も効果的であるのは、論を待たないところだ。


 「ごめん、さくら。ちょっとだけお手洗いに行って来るから、ここで待ってて」

 ぼくは首を出来る限り後ろに捻りながら、背中のさくらに言った。


 「な、なんじゃと。では、わらわも中までついて行くぞ」

 「な・・・」

 ぼくは言葉に窮する。

 さくらの返答は、全くの想定外だったからだ。


 「だ、駄目だよ。別に男の神様なら構わないけど、女の神様のさくらがトイレをついてこられちゃ・・・」


 こればっかりは、たとえさくらの頼みであっても譲ってはいけない部分だ。

 断固として阻止しようとする余り、後半の日本語がおかしくなっていたが、構っていられない。

 他の人に見えないからと入っていい訳でもない。

 ぼくが大いに困る。


 「風太とわらわは、旅のパートナーではなかったのか?」


 どういう訳か、ぼくらの関係を引き合いに出してまで食い下がる、わずかに目を潤ませてまでいるさくらだったが、駄目なものは駄目である。


 「そ、それとこの話は別だよ・・・神様だからこそ品位は保たないと」

 「むむむ・・・」


 口を真一文字に結びながらうなるさくら。

 苦し紛れに発したぼくの言葉は効果てきめんであったようで、さくらはぼくが一人でトイレに入ることを渋々承諾した。


 「ならば、入り口までなら良かろう?そのかわり、用を足したらすぐに戻ってくるのじゃぞ。一生のお願いじゃ」


 何とも小さく軽い一生のお願いであることか。

 だが、懇願するさくらの視線は切実そのものだった。

 明確に切羽つまっていた。


 「わ、分かったよ。出来るだけ早めに済ませて来るから」


 極端にもよおしている訳でもないのに、目に見えないさくらから発せられるプレッシャーに急かされてぼくは、必要以上に早足で最寄りのトイレに駆け込んだ。


 早く出ろ。早く出ろ。

 手早く用を足し終えて、ぼくがさっと手を洗っていた時だった。


 「や、止めぬか。こら」

 広義では悲鳴とも取れる知った声が聞こえて来たので、ぼくは手をハンカチで拭うことも忘れて公衆トイレを飛び出した。


 「大丈夫!さく、ら?」


 飛び出した先には、トイレの出入り口から少し離れた場所で、五頭の野生の鹿と戯れているというよりは、絡まれているとしか思えないさくらの姿があった。


 公園のあちこちで売られている鹿せんべいを手にしているならまだしも、餌になるような物は何一つ持っていないというのに、何故かピンポイントで鹿につけ狙われている神様がいた。


 「小突くな。わらわはこのとおり、鹿せんべいなど持っておらぬと言っておろうに・・・ひゃっ。く、首筋をいきなり舐めるでない。この畜生どもが。あっ、よせ。よさぬか。裾を噛むな。引っ張るなー」


 さくらは鹿の一群を懸命に追い払おうとするも、効果は無いどころか、まるで赤い物を目にした牛のように、益々その行動をエスカレートさせている。

 中には後ろ足だけで立って、さくらに寄り掛かろうとしている鹿もいた。


 周りの観光客や土産物屋さんなどで働いている人たちの一部は、奇妙な動きを見せている鹿の集団を訝しげに見ている。

 が、遠巻きにしているだけで何も手を出そうとしないところから、さくらの姿が見えている心配はないみたいだ。


 だけど、さくらの姿が見えているぼくがこのまま黙って見ていていいはずがなく、急いで近くの鹿せんべい屋さんでせんべいを購入し、さくらの元へとって返した。


 すると、ぼくが近くに寄った途端、ずっとさくらに群がっていた五頭の鹿が、木星の引力に引っ張られた隕石のようにぼくめがけて迫って来た。


 早くせんべいを寄越せと言わんばかりに、鹿たちはそれなりの勢いと威力でもって、容赦なくぼくに頭突きを仕掛けて来る。

 想像以上の激しさだ。

 これでは鹿の角を切らざるを得ないなと、ぼくは変なところで感心する。


 奈良が培ってくれた文化のお陰で、労せず五頭の鹿を全部さくらからぼくの方におびき寄せることには成功したが、まさか鹿せんべいを買うことが神助けに繋がろうとは・・・


 これが、花より団子というものだろうか?

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