二日目 奈良(その一)

 お店を後にした時、太陽の眩しさが目をついた。

 朝から降り続いていた雨の名残をほとんど感じさせないほどに澄み渡った青色が、空の半分以上を占めている。


 赤だしの登場で中断した、ぼくも寄り道してもいいかという申し出に対するさくらの答えは「も、もちろん良い」だった。


 声をうわずらせながらのうろたえ気味のさくらが気になりはしたが、雨後の鳥羽を後にしたぼくらは電車で一路奈良を目指した。


 当然のことながら目に映る光景は、海から山へと移り変わっていく。


 その道中でぼくは、おや?と思った。

 さくらが途中下車しようとは、一度も言うことがなかったからである。


 三重県を旅する計画を立てるために情報を収集したのなら、その候補に加わらないはずがないのが、伊勢神宮だろう。


 こうして神様と旅をしているのだから、伊勢神宮に寄ろうとさくらなら言い出すだろうと予想していたし、そうなら寄るつもりでぼくはいた。


 しかし乗車後、神宮によるとは、さくらは一言も口にはしなかった。


 切符を買った時からぼくは、何でぼくはその事を切り出さないのだろうと疑問に思っていた。

 神様なのだから寄るのは当然なのだと、勝手に思い込んでいたのである。


 そうこうする内に、特急電車はお伊勢さんのある伊勢市の駅を通過した。

 疑問を抑えきれなくなったぼくはさくらに言った。

 「伊勢神宮に寄らなくてもいいの?」と。


 さくらの返答はこうだった。


 「人間関係にいろいろあるように、神関係にもいろいろあるのじゃよ」


 その言葉だけでぼくの疑問を解消させるには足りないと思ったのか、更にさくらは続けた。 


 「どうしてもというのなら理由を言ってもよいが、日本の歴史とこれまで培ってきた国柄を根本から崩壊させる内容も含んでおる。それを知った上で聞く覚悟があるのなら言おう」と。


 予告の爆弾発言!

 しかも生半可な威力と被害規模ではないときている。


 人ならざる二つの能力の反動から、普通の人間だと強く信じていたいぼくに聞く覚悟があるわけない。


 好奇心は膝をついて屈してしまったのである。


 電車が奈良に着いた時、ここも朝から雨だったであろう天候は、雲がちらほら浮かんでいるものの、九割がたの青空がぼくらを出迎えてくれた。


 ぼくはほっと一息をついた。

 これなら奈良に来た目的が十分に果たせると思ったからだ。


 「ま、待て」

 いざ出発と思いきや、待ったをかけたのがさくらだった。


 「あそこに甘味屋があるのじゃ」


 神様とはいえ女の子。

 さくらが指差す方を見たら、和菓子屋さんのような佇まいのお店があった。


 「そ、そろそろ甘い物でも食べたいのう」


 奈良に寄りたいと言ってからのさくらの言動には、急に不審な点が目立つようになってきたけど、ぼくはそのことに深く考えを巡らすことはなかった。

 単に甘い物を口にしたくなっただけだろうと。


 さくらがテーブル席の壁際に座り、ぼくは通路側の席に座る。


 あめ色に煤けた木目の模様が美しい柱と梁。明るい色合いの土壁。奥座敷の畳。


 食べ物を頂く場なのだから、お香などの香りは全く感じられないけれど、十分に奈良の雰囲気に調和した店内は、教科書どおりの和の趣だ。

 テーブルに用意されているお品書きを見ても、そこから洋の要素を匂わせるシナモノはほとんど記されてはいない。


 「さくら。メニュー表があるけど、見る?」

 「心遣いはありがたいが、要らぬ」

 「食べたい物はもう決まっているんだ?」

 「奈良の甘い物といえば、なんと言っても吉野葛。これしかないわい」


 ご当地名物を食べることのこだわりは、甘い物でも決してぶれることがなかった。


 無言で右手を上げることで女の店員さんを呼び、さくらが所望する和スイーツを注文する。ぼくは抹茶ラテがあったので、それのみを頼むことにした。


 オーダーを取り終えた店員さんは、ぼくに向かってあからさまに怪訝な表情を見せてから離れていった。

 理由は分かっている。

 男一人で甘い物を食べに来たぼくを蔑視した訳ではないはずだ。

 耳のイヤホン以外に考えられない。


 さくらの春霞が遮断してくれるのは、ぼくが受信アンテナ人間ではないということだけであり、身につけている物はありのまま他の人には見えるという。


 「この場で店員が嘘を言うわけでもなかろうに」

 呆れたようにさくらは、左腕のみで頬杖をつきながら言った。


 「それは分かっているけど、他人がいる中では着けていないとやっぱり怖いんだ。嘘は悪意の始まりだから」

 「・・・望んで身につけた訳ではないから酌量の余地がないとは言わんが、それは風太が他人を信用していないともとれるな」

 「う・・・」

 正論が鳩尾に入ったぼくは言葉に詰まる。


 「そんなに嫌いか?」

 「嫌いだよ。こんなもの。捨てられるなら、いますぐにでも捨てたいに決まっている」


 ぼくは、わざと語気を荒げた。


 風を吹かせる能力はまだコントロール可能だからいい。

 けど、これまでの人生の中で、体内にありながら制御不能な、心臓のようなこの能力があって良かったと思える出来事など一つもないと、自信を持って断言出来る。

 逆は枚挙に暇がない。


 「ふむ・・・」

 さくらは真剣に何かを考え込む。

 両腕を胸の前で組み、背もたれに体を預ける。

 思うところがありすぎるぼくも、何も言えずに押し黙ってしまう。


 先ほどの店員さんが抹茶ラテを、愛想のない顔と一緒に持って来てくれた。


 レンガのように気まずさが上積みされる。

 ぼくは彼女と目を合わさなかった。

 逃げるようにぼくは、ラテを一口含む。

 抹茶特有の苦さの中に甘さがある味わいは奥深かったが、なんとなくぼくの人生に重なるようで、心の中で苦笑いを浮かべた。


 やがて、吉野葛の葛きりが運ばれて来た。

 値段は九百円ほどと、ようやくの庶民価格にぼくは胸を撫で下ろした。


 さくらはすぐさま箸を手に取り、透明で、薄くて、長い葛きりをあんみつに浸し、麺をすするかのように口へと流し入れた。


「んー、やっぱり甘い物はいいのう」


 幸せいっぱいといった表情のさくら。


 「食べるか?」


 と、さくらはぼくに葛きりを勧めてくれたが、嫌いではないけど好きでもないという、甘味については中途半端でしかない舌のぼくだ。


 そんなぼくがさくらの楽しみを少しでも奪うのも悪いので「さくらが全部食べなよ」と、ぼくなりに丁重に断った。


 「ふむ。ならば、わらわが全て頂くとしよう」


 という訳で、ぼくは葛きりの味を知らないまま、店を後にしたのだった。


 「で、奈良に来たのは何処へ行くためなのじゃ?そろそろ教えてくれんかの。まさかとは思うが、奈良公園に行くのではあるまいな?」

 箸を置いてさくらは言った。


 「ぼくが行くのは若草山だよ」

 やっぱり、おかしい。


 奈良市街の中心部からでも徒歩で行ける圏内にあって、標高も三百四十二メートルと、ピクニック感覚で登れる若草山。


 ぼくは天候が回復してくれたので、心の底から嬉しく思っているのだが、それとは対照的にさくらの心模様は芳しくないようである。


 「奈良公園は通過するだけなんだけど」

 「そうか。なんにせよ、行くのか・・・」


 がっくりと肩を落とすさくら。

 先ほどからのさくらの怯えようというか、落ち込み様はなんなのだろう?


 伊勢神宮と似たような事象が、この先の奈良公園にも待ち構えているのだろうか?


 そう思っただけで、ぼくの心にも暗雲が立ち込め始める。

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