2-10 王女からの贈り物


 親愛なる君へ

 君の天使は元気かな。

 美しい彼女には薔薇が似合いそうだが、薔薇にはトゲがある。気付かぬうちに送られた薔薇の花束を、不用意に触って、彼女の手を傷つけないように気を付けてあげなさい。

 ああ、そういえば黄色い花は嫌いだと言っていたね。でもどうやら最近ひそかにプルシアでは黄色い花が流行しているようだよ。

 嫌いな君は大丈夫だと思うけれど、流行にのまれてしまわないようにね。

 そういえば新種の虫も最近わいてきているようで、いつも以上に彼女に気を使ってあげてほしい。

 その虫は毒をもっているようだから。

 それと彼女が気に入っているペンダントだが、二つあるうちの一つは、あるべき持ち主に返すようにと伝えてあげてほしいんだ。

 あれは対になっていて、それぞれが一つずつ持つことでより強い効力を発揮する。

 それとね、月が昼に出るときは気を付けた方がいい。

 いつだって夜は月を抱くけれど、月は夜を置いていってしまうことがあるからね。

 私はしばらく戻れないけれど、君たちの平和を祈っているよ。

アルヴァより南、王都ミスティアの南西部の町シスクより、黒縁眼鏡。





明かりが煌々と光る部屋の中で、ろうそくの火が揺れている。

銀髪の女性は読み終えた手紙を、そっとろうそくへと近づけた。

紙に火が燃え移り、端から順に黒く焦げては縮んでいく。

「まったく……。警告文ばっかり送ってきて……。肝心なことは何も解決してないのね」

 レーナは少しだけ、期待していたのだ。エーヴェルトならば、すぐに事件の犯人を突き止めてくれるだろうと。

 しかしどうやら一筋縄ではいかないらしい。

「だいたいわかったけど……薔薇って何かしら?」

 手紙を丁寧に読んで、この手紙が本当は何を意味しているのか八割がた理解していた。

何せ情報屋から送られてくる手紙はいつだって、それが途中で他人の手に渡っても良いように暗号化してある。

 しかし最初の薔薇のくだりにはレーナには身に覚えがなかったのだ。

「……リリーナに聞くしかないわね」

 レーナはろうそくの火を消す。そして紙の燃えカスを手で集めた後、そっと部屋を後にした。









 空が朱色に染まり、太陽がゆっくりと山の向こうへと消えていく夕方。

背後から聞こえた枝を踏む音が、待ち人の訪れを告げる。

 木に囲まれた公園の端にあるベンチに座ったまま、銀色の髪の女性は後ろを振り返った。

 すると、どこか心配そうに女性を見つめる深緑の瞳に囚われる。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

 深緑の瞳に囚われて、リリーナがぼうっとしていたからだろうか。アシュレイは自然なしぐさでリリーナの隣に座り、銀色の髪に手を触れた。

 優しく触れられたその場所からアシュレイの体温を感じて、リリーナは不思議と気持ちが安らいで、小さく笑みを作った。

「大丈夫。急に呼び出してごめん」

「いや、それはいい。むしろ面倒くさがり屋のおまえに、宿以外の場所に呼び出されるなんてう――」

 嬉しい、という言葉を口に出す前に、アシュレイは自分の言おうとしていることを自覚して言葉を失った。

「――う?」

 リリーナはアシュレイが続けようとしていた言葉を読み取れず、反射的に聞き返す。普段よりも近い距離に動揺している彼女には、アシュレイが顔を赤くしていることに気づく余裕がない。

「う……いや、驚いた」

 しばし口ごもった後、アシュレイは無理矢理ごまかして、その手をリリーナの髪から離す。少しだけ身を引いていつもの距離に戻った二人は、互いに視線を反らした。

「そうね。外で会うっていうのは、珍しいかも」

 視線を下に下げたままリリーナはぽつりとつぶやく。

 アシュレイとは長い付き合いだが、二人でどこかにでかけるということをしたことがほとんどない。二人が会うときは、どちらかがどちらかのいる場所に向かうのが通常だ。そのため最終目的地が重なったとしても、それまでの行程を共に過ごすことはほとんどない。

「でも、悪くない」

 アシュレイの言葉に思わず顔をあげると、いつもの距離にアシュレイがいた。遠くもなく近くもない、友人としての距離。

 普段なら一番安心できる距離が、何故か今日は物足りなくなっている気がする。

「これを……」

 そんな思いをごまかすかのように首を横に振り、リリーナはカバンの中からペンダントを取り出した。

 それはティルダがリリーナに託した、夜明け前の深い空の色のペンダントだった。本来あの日に渡すべきものだったが、ミーシャとアシュレイの関係を誤解して、図書館から飛び出してきてしまって渡せなかったのだ。

 その直後にリフルテシアの毒に倒れ、忘れてはいなかったものの、ペンダントを渡す機会を失っていたのだ。

「これ、ティルダさんから」

「母さんが? ……この魔法具、これだけか? 対になるのがあるんじゃ……」

 さすがというべきか、魔法具を自分でも作れるだけあって、見ただけでどんなものか分かるらしい。

 リリーナは服の下に忍ばせていたペンダントを表に出して、アシュレイに見せた。深い緑色の石は、アシュレイの瞳の色と一致する。

「なるほどな……まったく自分の母親ながら敵わない」

 アシュレイはペンダントを受け取ると、それを首からかけて、服の下に落とし込む。リリーナも同じように服の下に戻し、そして口を開く。

「これ、私が襲われた時に光を放って、少しの間だけ守ってくれたみたい」

「ああ。たぶん片方が正規の所有者じゃなかったから、本領を発揮できなかったんだろうな」

「どういうこと?」

 迫りくる炎を防ぐように立ち上がった光の柱を思い出す。あれは確かにリリーナを守るように働いたが、違ったのだろうか。

「これは作り手が指定した二人の所有者がそれぞれ持つと、その所有者のどちらかに危険があった時に、もう一方にその危険を知らせるものなんだよ。そして、二人の物理的な距離が大きければ大きいほど、より強い守りの力を受けられる」

「要するに、私が二つとも持っていて、距離がとても近かったから、守りが弱かった?」

「それもあるな。あと、この魔法具は俺たち二人にしか作用しない。そして、相手の魔法具を持っているときは、力を発揮はするが、かなり弱まるんだ」

「……なんか、ティルダさんらしいわね」

 いつだって彼女はアシュレイとリリーナに必要なものを作ってくれる。二人が離れていても、互いの安全を確認できるように。そして、何かがあったときは、無事なほうがかけつけられるように。

 魔道高等学校を出てないとはいえ、リリーナはそれなりに戦う手段を持っている。この前は魔力を封じられてしまったため、倒れてしまったが、普段ならそうそう負けることはないのだ。

 なんだかんだ文句を言いながらアシュレイはここ一番というところで助けに来てくれるが、一方的に助けてもらうだけでは申し訳ない。

「まあ一応……こいつもそういう役目はあるんだけど」

 考え事をしていたら、アシュレイの動作に対応できなかった。

 リリーナの右耳の周りにあった髪をかきわけられて、その中に隠れていたイヤリングをアシュレイが触れる。

 毎日つけていることを知っているくせに、アシュレイはそのイヤリングを見つけて、すごく嬉しそうな顔をした。

「ちゃんと、つけてるんだな」

 言葉にはらんだ熱が甘い。

 アシュレイからこういった時にわかりやすい好意を感じるのに、彼は言葉にすることはない。それともこれは恋心ではないのだろうか。そうでないとするならば、リリーナには恋が分かりそうにもなかった。

「つけてるわよ」

 中途半端に期待させるアシュレイに、リリーナはあえてそっけなく対応する。

「ありがとな」

 予想外に素直なアシュレイの反応に、小さく息をのんだ。深い緑色の瞳が、やわらかくリリーナを見つめている。

 それを自覚した途端、身体の奥がかっと熱くなり、頬が上気するのが分かった。

「これ……いったい何の魔法具?」

 それを悟られまいと、リリーナは視線を反らして話を戻した。

「……秘密だ」

「あの時もそう言ったわね」

 このイヤリングを受け取ったのは、魔道学校時代だ。ずいぶんと前のことではあるが、あの日のことは鮮明に覚えている。

 イヤリングにまつわる一連の出来事は、アシュレイとリリーナが互いを認めることになったきっかけだった。それまではお互いに嫌っていたと言っても過言ではなかったのだが、その出来事を通して互いの本質に気付けたのだろう。

「ねえ、アシュレイ」

 話しかけながら、リリーナは耳元にあるアシュレイの手を掴む。アシュレイの深い緑色の瞳が大きく見開かれた。

「このイヤリングにペンダントと似たような役割があるとするなら……私を守ろうとしたってこと?」

「……ああ」

「どうして私にこれを? あの時のあなたは、私を守りたい理由なんてなかったはずでしょ?」

「それは……」

「今ですらも、あるのかどうか知らないけど」

 答えをためらったアシュレイを見て、リリーナは思わず自嘲する。

 純粋に不安だった。リリーナが思う大切と、アシュレイが思う大切は違うのではないかと。アシュレイは確かにリリーナを助けてくれはするが、それは一体何に基づいてのことなのか。

「あるに決まってるだろ」

 だから、アシュレイが即答したのが信じられなかった。

 もともと近い距離にいたのに、アシュレイがさらに近づいてきて、互いの額がくっつきそうなくらいにいることも不思議だった。

「どう、して?」

 心臓の音がうるさかった。アシュレイの手を掴む自分の手がかすかに震えている。

 いまなら、リリーナの望む答えが聞ける気がした。

 それが良い答えであっても、悪い答えであっても、アシュレイにとってリリーナが何なのか、アシュレイは答えてくれる予感があった。

「どうして、私を守る理由があるの?」

 問いかけながら、自然な風を装って、リリーナはアシュレイと距離をとった。そうしなければ、心臓が破裂してしまいそうだった。

「そんなの決まってるだろ……。俺が――」

「――ファルク殿。ここにおられましたか」

 二人の肩が同時に揺れる。間の悪いとはこういうことを言うのだろう。

 二人の会話に割って入り、声をかけてきたのは、魔法騎士団の制服を着た男だった。ベンチの後ろの茂みからやってきたため、おそらく木に隠れていた二人のやりとりは見えていなかったに違いない。

「ハイル殿。お一人で来られたのですか?」

 動揺を隠して、先に立ち直ったのはアシュレイだ。ベンチから立ち上がってすっと敬礼する。

「分かっているのに宿に引き止めておかなかったのか」

「近年稀に見る奇跡を逃したくはなかったので」

 どことなくハイルがここに来ることを知っていたかのような口ぶりに、リリーナは眉をひそめる。説明を求めるように視線を送るが、逸らされた。

 それを見ていたハイルがわずかに口の端をあげてアシュレイにうなずいた。どうやら二人の間には暗黙の了解があるらしい。

 ハイルの用事が何か考えてみるが、思いつかない。ユフィを助けたことにたいする栄誉はすべてハイルに譲ったので、今更リリーナに何かを与えるということはないだろう。

 しかし特に罰せられることをした記憶もない。

「ここで話すのは少し、都合が悪いので宿の食堂を使わせていただいても?」

「それはかまいません」

 下手に静かな公園で話すよりも、騒がしい宿で話した方が、情報は漏れにくい。それは理解できるが、どうして秘密の話をされるのかが分からない。

 そういう秘密は、時にして面倒ごとを呼ぶ芽となる。そういう種は蒔かないにすぎる。

 そもそも、アシュレイとの話をあと一歩のところで邪魔されて、リリーナは機嫌があまりよくなかった。そういうときほど、面倒なことには関わりたくなくなる。

「その話、聞かないという選択肢は?」

 歩き始めたハイルを呼び止めるようにして、リリーナは尋ねた。振り返った彼の顔は、何故か笑いをこらえたような顔だった。

「残念ながら。いくら面倒であろうとも、彼女からの伝言は聞いていただかないと」

 どうやら逃れられはしないらしいと悟ったリリーナは、大人しく宿屋に向かった。

 苛立ちも、先ほどのアシュレイの言葉の続きも、どちらもリリーナの頭から離れてはくれなかった。しかしそれをハイルにぶつけてしまうのは、いささか大人げない。

 三人とも宿屋まで何も話さなかった。

 リリーナは何の話かを考えていたし、アシュレイはリリーナの様子をうかがっていた。ハイルは、いつのまにかそんな二人の後ろについて歩き、二人の様子をじっと観察していた。

「ああ、いらっしゃい」

宿に入っていくと、レーナがリリーナの後ろにいる二人の客人に向かって声をかける。

「部屋が必要かしら? それとも、ここで?」

「ここで構いません」

 レーナの質問の意図を正しく読み取ったアシュレイが、愛想の良い笑みを浮かべながらそう答える。

「そう。じゃああの席を使って」

 窓側にある四人席をレーナが指さし、三人はそこの席に自分で移動した。普段ならきちんと客を誘導するのだが、リリーナがいたから不必要だと判断したのだろう。リリーナが客としてここに来た以上、そういうことは比較的きっちりする人なのだが、アシュレイもいるからだろうか。それに、いつもよりもレーナの微笑みがいたずら味を帯びているような気もする。

「本題に入りましょう」

 席に着いたあともまだもやもやと考えていたリリーナは、ハイルの声にはっと我に返って前を向いた。

 周囲の騒がしい話声も聞こえないくらいには、考えに没頭していたようだった。これだけ周りに音があれば盗み聞きされる心配もない。

「彼女のお願いのお話です」

「お願い……?」

「恩を返したいとのことで、あなたに王都一周鉄道の旅を与えるように、と」

「王都一周?」

 あまりにも急な話で理解の追いつかないリリーナに、ハイルは順を追って話した。

 それらをまとめると、鉄道で王都ミスティアの東まで行ったあと、二日間王城付近に滞在。二日目の夜は王家の別荘――非公式のものらしい――に滞在し、晩餐でもてなされたあと、行きとは違うルートで鉄道の旅で帰るといったものだった。

「だいたい十日間の旅となります。ちなみに、この宿の仕事に関しては心配無用です。すでにレーナ殿の許可は頂いております」

「……やられた」

 笑みの理由に思い当たって、ため息をついた。どうやら外堀から埋められてしまっているらしい。

 おそらくリリーナが宿の仕事を理由に断ろうとすることなどお見通しだったのだろう。しかしそれがばれてしまっているなら仕方がない。他にも断るのに使えそうなネタはある。

「当然、十日間の旅行にかかる諸費はすべてこちらで持ちます。しかし、一般の客にはあなたが王家の賓客であることは伏せておきますのでご安心を。これ以上、不必要なやっかみをあなたに浴びせることはこちらとしても不本意ですから」

 まさにこれから言おうとしていたことを言われてしまい、リリーナは茫然とした。そしてようやく、ハイルへの協力者の存在に思い当たる。

「アシュレイ……、裏切ったわね?」

 どこか楽しげな黒髪の青年を睨む。

 あって二度目の人間にここまでリリーナの思考が読めるはずがない。だとすれば、絶対に彼に要らぬ知恵を吹き込んだ協力者がいるはずだ。そしてそれをできるのはアシュレイしかいないのだ。

「まあ……悪くないだろ? 一度、王都の中心部に行ってみたいって言ってたし」

「嫌。鉄道で十日も旅をするなんて面倒すぎる」

 ついにリリーナはお約束の言葉を口にして、その提案をはねのける。そもそも本人が嫌がる恩返しなど、恩返しではないではないか。

「荷造りにどれだけ時間がかかると……」

「荷造りはレーナ殿がしてくださるそうですよ。それに、もし忘れ物があっても、ほとんどのものはこちらで用意できますから」

 とりつくしまもなく断ったリリーナをなだめるようにハイルが言葉を続ける。どうやら彼はリリーナが面倒だと思うことに関しては全て先手を打っているらしい。

「でも、一人で鉄道旅なんて暇なんですけど」

「ああ……それはご心配なく。護衛を兼ねて、あなたの話し相手にアシュレイも同行してもらいますから」

「え? アシュレイ?」

「どうでしょうか? 気の置けない《《幼馴染》》だと伺いましたが」

 斜向かいに座っているアシュレイの顔をちらりと窺う。どうやらアシュレイはこの話を承諾しているようだ。それに、護衛の仕事とはいえ、その対象がリリーナであれば彼にとっても旅行になるだろう。

「……はあ。アシュレイは行きたいの?」

「そりゃもちろん」

 整った顔立ちをくしゃりとゆがめて笑うアシュレイに、リリーナは敗北を悟った。こんなに嬉しそうにしているアシュレイをないがしろにできる気がしない。

 一体全体ハイルはどこまで分かっていてやっているのだろうか。全て偶然なのか、それとも悟られてしまっているのか。

「ちなみに、お二人は恋人同士という設定で乗車していただきますので、ご了承ください」

「え」

 にっこりと笑って設定とやらを言い足したハイルを見て、リリーナは後者であることを確信したのだった。





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