2-4 思わぬ再会
学生のいない閑散としたカーラッカの駅に、一人の女性が降り立った。
肩より少し長い銀髪は、結うことなく後ろに流され、自由に風に踊っていた。しかし癖のないさらさらとした髪は、どんな強風を受けても、さらりともとの形に戻る。
右耳に光るイヤリングには深い緑色の石があしらわれている。あまり大きなものではないのだが、どことなく惹きつけられる意匠のものだった。
リリーナの目的地は、言うまでもなく図書館の館長室であった。
しかしアシュレイと異なり、図書館への最短ルートはとらずに、違う道を選ぶ。リリーナが選んだのは、学生のための商店街のある道だった。
宿屋で、テーブルをふく布巾や窓を拭くときに使うクリーナーが切れていたため、値段の安いこの町で買ってしまおうと思ったのだ。レーナに頼まれてはいないが、そのうち頼まれることになるだろう。
できるだけ無駄を省くことが、のちの面倒を回避する。
それがリリーナの信条だった。
人通りのまばらな商店街で、リリーナは目的のものを手に入れる。店を見ていると、布巾とクリーナー以外にも買い足しておいたほうがよいものがあったので、それも買っておいた。
「こんなもんかな」
買い物袋を手に、リリーナは一人つぶやいた。あまり買いすぎては、帰りに荷物が重くて面倒だ。
そろそろ商店街を出て、図書館に向かってもいいだろうと足をそちらに向けた時だった。
「リリーナ・ファルク!」
甲高い声が自分を呼び止めた気がして、リリーナは眉をひそめた。
声の雰囲気だけでも、その相手が面倒かそうでないかは分かる。リリーナにとって関わりたくない人間の第一位はめんどくさそうな人間だ。
「ちょっと! 聞いてるの!」
ようやく声の主を見つけた。彼女はティオニーとかかれた店の前に仁王立ちになっていた。
名前を呼ばれたということは、おそらく魔道学校の同級生であろう。
しかしながら流行りの化粧をして、香水をつけ、どことなく型どおりの可愛さを追求した女は、リリーナの記憶に残っていない。
この手のタイプは、学生時代も流行を追い、個性を主張しつつも大衆に埋没しているタイプであろうから、リリーナにとってはめんどくさい集団の中の一人という記憶でしかない。
しかし、ティオニーという店の名前には記憶があった。いつのことだったか、学生時代にめんどくさい集団に絡まれていた時、リリーナのハンカチがティオニーブランドでないことがさも流行おくれであるかのように言われた記憶がある。
その時リリーナが持っていたのは、ティオニーという店のハンカチの数十倍の価値があるエイセルの流行最先端のハンカチだった。お嬢様である母が、実家から送られてきたといってリリーナに渡したものだったのだが、おおよそ学生が持てるような品ではなかったので、めんどくさい集団の誰もそれの価値に気づけなかったようだ。
もちろん面倒になるのが見えていたのでリリーナはそのことを黙っていたし、ティオニーなどという商家は知らないということも黙っていた。
しかし今思い返せば、あの中の一人にティオニーがいたのだろう。
そうでなければ、あの集団がこぞってティオニーというさして有名でもないブランドを持つのはおかしい。
「何か用?」
リリーナは慎重に言葉を選んで問いかける。ここで間違っても誰などと言ってはいけない。
この手の女は、自分が特別であり、世界が自分を中心にまわっているのだと信じて疑わない。そういう女にとって、名前を忘れられるということは、自分の特別性を否定されたに等しく、その点よりも高い鼻っ柱を折られたに等しいのである。
「何か、ですって? 私が声をかけてあげたのに? ……まあいいわ。ところであなた、私の名前は? 覚えてないなんて言わせないわ」
「あーあ……」
あえて避けた話題を振られて、リリーナはこっそりとため息をつく。
こうなってしまえば逃げ場はない。ティオニーの家から出てきたが、彼女の服はどこかに出かけるようなよそ行きの服で、店員のそれではない。
そのため、ティオニー事件のとりまきの誰かかもしれないし、ティオニーその人かもsれない。いちかばちかティオニーと言ってみる手もあるが、覚えていない以上に間違えることのほうがリスクは高い。
「あなたは……誰?」
ためらいがちに聞いてみたその一言が、リリーナの覚悟していた以上の破壊力があったことにすぐに気づいた。
高慢な女の顔は一瞬青ざめ、その後すぐに朱に染まっていく。その細い体は怒りに震え、唇はかみしめすぎて紫にちかくなってきていた。
彼女の中で音をたてて崩れ落ちたプライドは、リリーナが触れれば触れるほど、粉々になってゆくだろう。
「しんっじられない……! あなたもわからないっていうの? ローズ・ティオニーを? 私はティオニーの娘よ! カーラッカじゃ一番大きな商家じゃない! この商店街のほかに、ちゃんとした本店も構えているのはうちくらいなものなのに!」
「いや、興味ないし」
「なんですって!?」
名前は分かった。ローズ・ティオニーだ。しかし、自分が有名店の娘だと信じて疑わないということは、二十一にもなってあまり頭が回らないらしい。これ以上話をしたところで、リリーナの気力がそがれるだけである。
穏便に済ませることを諦めたので、言いたいことを言うことにした。穏便にすませようとすることの方が、面倒であると判断したためだ。
「私に用があるわけでもなく、ただ喧嘩相手を探してるなら、他をあたって。私には予定があるの」
そっけなく言い放ったリリーナに、ローズは一瞬反応が遅れた。おそらく予想外だったのだろう。
「めんどくさいこと嫌いなのよ」
そう言い放った段階でリリーナはその場を足早に立ち去った。
掴みかられたらどうしようかとひやひやしたが、その心配はいらなかった。リリーナはその後何に煩わされることなく図書館まで歩くことに成功した。
しかし、残されたローズ・ティオニーの瞳に宿る狂気には、気づくことはできなかった。
図書館の館長室の扉を開けると、そこにいた思いもかけない人物に、アシュレイは固まった。
その人物を見た人は、彼女に関して二つしか印象に残らない。
大きな猫のような目と薄手のシャツのボタンをはじきとばしそうなほどの大きな胸だ。
「アッシュ!」
その女性の奥の向こう側に、苦笑している父が目に入る。その瞬間、アシュレイは正気に戻って、扉を勢いよく閉めようとした。
「あら、なんのつもり?」
思いっきり扉を引いたつもりだったが、ドアを握りつぶすのではないかという勢いで扉を掴んだ女性がそれを阻止した。
馬鹿力は健在らしい。
腕も腰も足も細いと言うのに、どこからその馬鹿力が発揮されるのかアシュレイには謎だった。体型だけは女らしいと言うのに、そういう部分の女らしさはどこかに置いてきているらしい。
「やめろ! 離せ!」
扉だけでなくアシュレイの腕も掴んだ女性に、思わずアシュレイは叫んだが、容赦なく部屋の中に引きずり込まれる。
後ろで扉が閉められた音がした時には、ライオンと一緒に鉄格子の檻の中に入れられたウサギのような気持ちになった。
「人の顔を見て逃げるなんて、最低なんだからねっ!」
アシュレイを一睨みしてから、ふてくされたような子供っぽい仕草で腕を組みそっぽを向く。
世間ではこれを可愛いと形容するらしいが、幼いころから彼女の生態をよく理解しているアシュレイは、一度その言葉の意味を辞書で引きなおしてこいと思わずにはいられなかった。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「お前じゃないわ! ミーシャ・ラルセンっていう名前があるの!」
「アシュレイ。ミーシャは弟に頼まれておつかいに来てくれたんだよ」
穏やかな声で二人を止めたのは、ほかならぬアシュレイの父レナードだった。
「叔父さんに? こいつがいるって知ってたら来なかったのに!」
「仮にも従妹だろう? もうちょっと歩み寄りなさい」
レナードの声は低音だが不思議と良く通り、人を安心させる声だ。父の声を聞いていると高ぶっていた神経が少し落ち着いた。
改めてアシュレイは、黒髪以外全く自分と似ていない父を見つめなおす。
アシュレイとティルダは冷めた印象を与える整った顔立ちであるが、父は人に安心感を与える雰囲気の柔らかい顔立ちだ。
目はアシュレイのものと異なり垂れているし、口元にはいつも穏やかな笑みが浮かんでいる。
なによりアシュレイやティルダと違って、少々のことで声を荒げたりしない。
「そうよ。でもちょうど良かったわ、あなたに頼みがあるの」
薄手の長袖シャツに長いスカートという格好なのに、どこか花街の女のように見えるこの従妹は、その派手な顔立ちを少しだけ引き締めてこちらを見た。
「……何だよ?」
「魔法具を作ってほしいの。魔力を増幅する類のならなんでもいいわ」
「……別にいいけど」
普段なら従妹の頼みをあっさりとは承諾しなかったかもしれない。
しかし、魔法具を作ると言うことはアシュレイの趣味でもあり、最近あまりそういう作業をしていなかったのでちょうどよいと思ったのだ。
なにより、アシュレイの女嫌いの元凶とも言えるミーシャが、普段よりは真面目な顔をしていたというのも素直にうなずけた理由だろう。
「ほんとに!?」
「嘘ついてどうする!」
アシュレイとミーシャは会話をするとどんどん声が大きくなって行ってしまう。
「承諾したふりしてつくらないとか!」
「あんまり言うと本当に作らないぞ!」
「ほんとなのね!」
「作るって言ってるだろ!」
「やだ、嬉しい!」
ミーシャは飛び跳ねるようにしてアシュレイに思いっきり抱き着いてくる。
直前の言い合いに疲れていたアシュレイはそれを躱すことはできず、されるがままになってしまった。
「おい離せ……!」
アシュレイがそれを振りほどこうとした時だった。
「あ」
小さな、しかし聞き覚えのある声が、扉の方から聞こえてきた。
いつの間にか開いていた扉の向こうには、大きく目を見開いた銀髪の女性が立っていた。
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