2-3 目に見えぬ相手の心
学問の町と名高いカーラッカ。王都ミスティアの一都市であり、ミスティアの西部に存在するその町は、国内最大級の王立図書館がある町だった。王立高等学校はないものの、九年間の義務教育をする王立中央学校と王立魔道学校が並んで建てられていた。
王立を掲げるだけあり、国内最大級の学校二つは、カーラッカの子供のみならず多くの留学生や、近隣の町の子供たちを受け入れていた。
二校の高等学校進学率は九十五パーセントと、国内の平均進学率が六十パーセントであることを考えれば、驚異の進学率を誇っている。
どうしても子供を高等学校に入れたい親は、学校付近にある民間の学生専用寮に子供をいれてまでしても、この二校に通わせるほどだ。
しかし逆に、職人や農家の子供たちは、楽に進級できるそれぞれの町にある小さな学校に通わされることが多かった。
そんな学生のための町カーラッカの駅は、客の鉄道の利用時間がかなり固定化していた。そのため、お昼を少しばかり過ぎたこの時間帯は、乗降客はとても少ない。
黒髪の青年アシュレイは、そんな少数派の降車客であった。少し疲れを見せる彼は、もし女学生がホームにいる時間帯であれば、熱い視線を浴びてさらに疲れることになったであろう。
「やっとカーラッカか」
王女誘拐から三週間。
グランフェルトのあと、ベイロン、イェルムを経てこの地に足を踏み入れたアシュレイは、精神的に疲弊していた。
なぜかといえば、その三つの町で王女誘拐に関する有力な情報を得ることが出来なかったからである。
しかもグランフェルトの町で友にすすめられて買ったブレスレットを、どんな理由をつけて渡せばいいのかという難題まで抱えてしまっており、行く先々の宿で、包装紙越しにブレスレットを眺めていた。
そのおかげで、ブロムダールの睡蓮の花を象った商業印を覚えたほどだった。
プルシア王国では雑貨や魔法具を含む装飾品類には、それを取り扱う商家の印を刻むことが義務づけられている。国内製品は商業印を見れば、どこの商家が売っていたものか分かるようになっているのだ。
ベイロンとイェルムでは、それぞれその土地を統治するヴェリアード伯爵家とカートライト侯爵家を、表向きの理由を用意した上で訪問した。
両家ともに王女誘拐は知らされておらず、その表向きの理由がトロワの人間が来るほどのものでもないために警戒されてしまっていたようだった。
アシュレイが手に入れたと思しき情報は、ティーカップやテーブルクロスなどに記されていた商業印くらいである。
ヴェリアード伯爵家は薔薇の商業印のものを使っており、カートライト侯爵家は鷹の商業印のものを使っていた。
薔薇のほうがどの商家かはわからないが、鷹の方はプルシア王国で一番大きな商家であるエイセル家のものである。
これが事件につながるとは思えないが、ブレスレットの包装紙で商業印を見慣れていたアシュレイには、とても目につくものだったのだ。
裏を返せば、そのくらいしか情報を得られなかったとも言える。
「エーヴェルトさんに頼るしかないのか……?」
ファルク家の宿にひっそりと滞在する情報屋の顔を思い浮かべ、ためいきをつく。
かの情報屋は対価に金をとるときももちろんあるが、アシュレイに対しては別の無理難題をおしつけてくることも多い。
アシュレイがエーヴェルトの正しい素性を知る数少ない人間であるということも関係しているのだろうが、アシュレイとしてはいい迷惑である。
おそらくエーヴェルトはある程度の情報を所有しているし、決定打にならないまでにしても、証拠につながる情報を持っているだろう。
しかし彼を頼るのは負けな気がして、アシュレイは憂鬱な気分だった。
「とりあえず……図書館だな」
考え事をしていても無意識のうちに足は動く。
それくらいよく来たこのカーラッカの町は、学生時代の思い出の町であると同時に、アシュレイの父の職場でもあった。
アシュレイの父は王立図書館の館長をしている。王立図書館の館長の職は通常ならば五十を過ぎた博識のどこかの教授が務めることが多い。しかしアシュレイの父は、無類の本好きで、あらゆることに対する好奇心が強かった。
そのおかげか、彼は数多の候補者の中で群を抜いてトップの成績をとり、三十歳という若さで王立図書館の職を得ていた。
幼いころから父に憧れていたアシュレイは、何か困ったことがあれば父の判断を仰ぐことが多かったのだ。今度のことは軍の機密情報であるため話すことはできないが、父と話せば何か見えてくるものがあるかもしれないという期待は抱いていた。
「変わらないな……」
駅から徒歩十分の場所にある王立図書館は、アシュレイの学生時代と変わらない姿でそこに立っている。
赤レンガを積み上げて建てられた建物は、ところどころに土の魔力をこめられた魔道石が埋め込まれており、建物の強度を補っている。
石造りではあるが、風が通るように贅沢にガラスを使った窓は美しく磨かれており、魔力を持ったものが見れば、水の力が込められた魔道石がちりばめられていることが分かる。
そんな王立図書館の中に足を踏み入れれば、ふわりと香るのは紙の匂い。
初めてこの図書館にくるものであれば、その蔵書の多さのみならず、内壁の装飾の精巧さにも目を瞠るだろう。
プルシア王国のかつての王が、この国の知識の権化としてこの図書館を建てた。その際、国力を示すために、一つの宮殿を建てるのと同じだけの費用と人材を注ぎ込んだらしい。
しかしそれらに見慣れたアシュレイは、何に目を移すでもなくまっすぐに目的の場所へと足を運ぶ。
大理石で作られた階段を二階分登れば、その階の端にアシュレイにとってはなじみの深い部屋があった。
一度ノックして、中から父の声が返ってくる。
アシュレイは館長室の扉を開けて、そして、固まった。
歩くたびに腕に抱えている酒瓶が水音を立てる。一度も開けていないはずなのにおかしいと一度立ち止まったが、それが杞憂であったとリリーナはすぐに悟った。
二本は既製品であったが、一本はレーナが作ったものであったようだ。
それならそうと言ってくれればいいのに、とリリーナは思ったが、母レーナの楽天的な性格を思い出して首を横に振る。
母ゆずりの銀髪に、どこか儚げな美しさを持つリリーナは、見た目こそは良く似ているものの、中身は全く違う。
リリーナはある一定範囲の人間にしか興味がないが、母レーナは誰に対しても興味を持っている。
面倒なことが嫌いなリリーナと違い、母レーナは面倒なことが好きなように思える。
そうでなければ、とある名家のお嬢様であったレーナが、宿屋を切り盛りしあまつさえ酒をも作るなんて芸当を発揮するはずがない。父との結婚で縁を切ったのだと聞かされていたが、自ら働いているあたり、お嬢様という肩書きが性に合わなかったのだろう。
もしリリーナであれば、父と結婚した段階で職につかず家庭に入ったであろう。相手が自分を養ってくれるだけの稼ぎがあるのに、わざわざ働くレーナの心情は理解できない。
今現在リリーナが宿を手伝っているのは、バイトを雇っているとはいえども、母一人に宿屋経営を任せるのが不安であるためである。
母の趣味ともいえる宿屋経営を続けさせてあげたかったし、手伝うことで給料ももらっているから、文句はなかったのだ。
しかしもし自分が結婚するときになれば、宿屋をどうするかは、リリーナの中でまとまりきっていない課題であった。
できれば働きたくないリリーナだが、母のためだと思うと、働いていた方が良い気もする。
「そもそも……相手がいないんだった」
将来に対する夢想をしたところで、リリーナにはその相手がいない。
そしてふと、相手が自分を養えるだけの給料があると、それはアシュレイを前提にした夢想だと気づいて、リリーナは首をふるふると横に振った。
「あれで好きじゃないなんて……、なんなのあいつ」
アシュレイは女嫌いである。
それは学生時代の大半を彼と関わりながら過ごしてみて、良く分かっていることだ。しかしリリーナに対しては、ある事件をきっかけに、他とは違う態度をとるようになった。
最初は友人に対するそれであったが、歳を重ねていくうちに、ある程度意識されていると思えるような態度に変化していった。
リリーナはいつでもそれを甘んじて受け取っていたし、他の男に対して気持ちが向いたことはなかった。
しかしアシュレイは、リリーナに対しているだろう想いを明確に言葉にする気はないようなのだ。
リリーナとしては好意を示している気である。本来ならこちらから想いを告げてもいいのだろう。しかしそれは、学生時代に聞いたアシュレイの考えを曲げるものである。
自分から告白するのが煩わしいというよりは、アシュレイの考えを尊重したいがために、リリーナは行動することができないでいた。
本来ならば、もし振られるにせよ、想いを告げてしまった方が楽であるし、何より面倒でない。しかし、どうやらリリーナはアシュレイのためであれば、ある程度の面倒は我慢できるようなのであった。
「それとも全部私の勘違い? あんなあからさまなのに?」
「ねえリリーナ、そんな難しい顔してどうしたの?」
「え!」
突然話しかけられて、リリーナは飛び上がらんばかりに驚いた。驚きすぎて、魔法が切れてしまって、ずっしりと酒瓶三本の重さが腕にかかる。
しかし一瞬後には、その重さが腕から消える。リリーナを驚かせた張本人がビンをかっさらったためだ。
「さっすがレーナ! お酒持たせてくれたのね!」
どうやら考え事をしている間に、アシュレイの実家にたどり着いてしまっていたらしい。
酒好きのアシュレイの母ティルダは、まるで少女のように生き生きとした表情で酒瓶を抱えて喜んでいる。
くるくると癖の強い金髪に、深い緑色の瞳。髪の色合いこそアシュレイと異なるが、整った顔立ちはアシュレイとよく似ている。
特に切れ長の目の形はそっくりだ。
見た目だけではつんとすました女性にみえるティルダも、話してみれば年頃の少女のようにおしゃべりで、無邪気だ。
見た目と中身が違うと言う意味では、彼女がレーナと親友だと言うのもうなずける。
「とにかく中に入って! リリーナにあげたいものがあるの!」
あっという間に家の中に引きずり込まれ、だだっぴろい作業室へと連れて行かれる。
魔法具職人の中では伝説と言われたティルダは、結婚を機に引退したものの、趣味として魔法具を作っている。
アシュレイはどうやらティルダの才能を受け継いだらしく、彼もまた魔法具を作るのが得意である。
王立魔法騎士団のトロワという階級もそれなりに名のある職だが、実はそれ以上に魔法具職人としてアシュレイは職人の中で有名なのだ。
そういった魔法具に関するさまざまな器具が並ぶ中、作業台の一角に、今回のティルダの作品らしきものが二つ置かれていた。
「これは……ペンダント?」
二つのペンダントが、紅い布の上に置いてあった。その二つにはそれぞれ、夜明け前の空の深い色をした石と、深い緑色の石ついている。
手に取って光にかざしてみると、それぞれの石の中でまた違った色が生まれるようだ。
「リリーナとアシュレイに作ってみたの。こっちがリリーナで、こっちはアシュレイに渡してね」
深い緑色の石の方をリリーナのものだと言って手渡してきた。瞳の色に合わせたのかと思ったのだが、どうやらそういう意図ではなかったようだ。
ティルダの中でアシュレイに渡すのは当然のようにリリーナの役目らしい。おそらくレーナもそれをよんでいたから、おつかいはそのまま行って来いと言っていたのだろう。
「風便(《テレフォネ》に連絡が来てたわ。アシュレイはカーラッカに向かうみたいだから、図書館に行ったら会えるはずよ」
「これ……何の魔法具なの?」
「ひみつ」
ティルダはにっと口角を上げて、その冷めたような顔立ちからは想像できないような無邪気な笑顔を浮かべたのだった。
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