2-2 忍び寄る面倒ごとの影

 列車から降りて、石造りのまだ新しい駅に降りる。

 古き良き町グランフェルトの駅は、数年前に補修工事を終えたばかりなので、古い街並みに反して新しい駅があるのだ。

 王女誘拐から一週間と二日。アシュレイはハイルに指示された通り、王女誘拐に関与している人間がいそうな町四つを順番にめぐることにしていた。

 乗車券を駅員に渡し、駅の改札を抜ける。

 土を固めてつくった道が多いアルヴァに比べ、グランフェルトは石畳の道が多い。それが駅から放射線状に六本の道が伸びているため、ひどくきっちりとした印象を与えるのだ。

「アシュレイじゃない! 久しぶり! 会いたかったわ」

 目的の場所を探すべく地図を開いていたアシュレイは、突然聞こえてきた甘い声に眉をひそめた。

 顔を上げてみれば、若い割に化粧の濃い女が、にこにこと笑顔を貼りつけて経っている。

 女嫌いのアシュレイは、基本的に女の顔を覚えられない。仕事上必要な人間の顔は覚えるので問題ないのだが、学生時代のクラスメイトなどほとんど誰も覚えていない。

 アシュレイにとって、存在を認識する価値がある女はリリーナだけだった。

「今は何してるの? 主席だったもんね、王立魔道騎士団かしら? それともお父さんと同じく王立図書館の館員? 私はね、今カーラッカに住んでいるの。あ、そっか。そこで会わないってことは図書館ではないわね。あ、でも図書館って――」

 アシュレイの無言をどうとったのか、女はペラペラと話続ける。しかもなれなれしくアシュレイに近づくものだから、女のつけている甘ったるい香水の匂いが鼻をつく。あまり我慢のきかないアシュレイは、首を振って話し続ける女の話を容赦なく遮った。

「――あんた、誰だ?」

「……え、どういうこと? やだ、まさかアシュレイ、私のこと忘れちゃったの? ローズよ。ローズ・ティオニー。ティオニー商会の娘よ!」

 一瞬、笑みが驚愕に変わったが、すぐに気を取り直したように笑みを作る。名乗られてみれば、ローズという名前には憶えがあった。しかしそれはアシュレイにとって良い思い出ではない。

「ああ……。リリーナとユリアが言ってたあのティオニーか」

 学生時代、リリーナの何かが気に入らなかったらしく、必要以上にリリーナに絡んでは、面倒だとあしらわれていた少女の名だ。リリーナとその親友のユリアは、よくこのティオニーの取り巻きに絡まれて面倒事を引き起こしていた。

 アシュレイがリリーナを認めて、リリーナと行動を共にするようになってからはだいぶそういうことは減っていたようではあったのだが。

「……! リリーナとユリアのことは覚えてるの?」

「リリーナは今でも……だ。ユリアはその親友だからな。流石に忘れはしないな」

「そんな」

「俺は仕事中だ。悪いが話し相手なら他をあたってくれ」

 まだ追いすがってこようとするティオニーを振り払い、アシュレイは目的地へと足を進める。

 アシュレイにとって、女に言い寄られることも、女をあしらうことも日常茶飯事だった。

 さすがにアシュレイの切れ長の目で、冷たく睨まれれば追いすがる勇気はなかったようだ。アシュレイが歩き出しても、特についてくる様子はなかった。

「……この道か」

 駅からまっすぐ北に延びている道を選び、歩きはじめる。

 グランフェルトは歴史のある町だ。

 ミスティアに王都が移されたときにはすでに繁栄していた町で、代々グランフェルト伯爵家がこの地の治世を任されている。

 いつの時代もこの地が揺るがずに穏やかな繁栄を築いているのは、グランフェルト家の力によるものが大きい。かの家は伯爵家ではあるものの、歴史ある名家であり、プルシア王国でもそれなりに力のある家だ。

 そのため、王女を誘拐する動機は弱い。しかしそれはアシュレイが最初に思いついた動機であればの話である。

 他の理由であるならば、その理由から探す必要がある。

「お兄さん! ちょっとこれ見ていかないか」

「これも安いよ!」

 アシュレイの選んだ道が、ちょうど繁華街であったため、道の両サイドから元気な声がかかる。

 それらを適当に躱しつつ、アシュレイは商品やその値段に目を走らせていく。政治的に乱れているところは、市場価格も乱れがちである。

「あ、お前、アシュレイじゃねえか!」

 先ほどとは違い、どこか懐かしい声に呼び止められて、アシュレイは思わずあたりを見回す。

 すると、華奢な銀細工を扱う店の軒先に見知った顔があった。

「ランディか。久しぶりだな!」

 がっしりとした体躯に、こんがりと焼けた肌。髪は短く切りそろえられていて、黙っていればどこかの用心棒の様だ。

 繊細な銀細工の店はとことん似合わない男だが、なにやらここの店員をしているようだ。

「これ、ちょっと見ていかないか?」

「ここが実家なのか?」

 グランフェルトは、アシュレイたちが通っていた魔道学校があるカーラッカからはそれなりの距離がある。グランフェルトにも魔道学校は存在したので、もしここが実家だとすれば、カーラッカまで通う必要はないはずだ。

「や……それがさ」

 大きな体に見合わず、急に視線を反らしてそわそわしだしたランディに、アシュレイはわずかに首をかしげる。

 しかしその後すぐに、彼がどもりはじめた理由を悟った。

「あの、ディーのお友達ですか?」

 ランディの後ろからひょっこりと顔を出したのは、小柄な女性だった。大柄なランディの後ろから頭だけ顔を出す様子は、まるで岩場から顔をだすウサギのようだった。

「はじめまして。ランディの魔道学校時代の友人で、アシュレイと言います」

 女嫌いであるとはいえ、友人の大切な人に対して最低限の礼儀は持ち合わせている。できるだけ丁寧にあいさつをして、一応笑みも浮かべて見せた。

「げ、お前そんな芸当ができるようになったのか」

 さきほどまで照れて視線を漂わせていた男は、アシュレイの笑みを見て心底驚いたという顔をした。甚だ失礼な話である。しかし、そういう顔をされる覚えがあるアシュレイは、ランディを咎めることはできなかった。

「二十一にもなれば、礼儀はわきまえる。……相手にはよるが」

「あの女嫌いのアシュレイが、女に礼儀をわきまえられるようになるとはなあ……」

「それで、紹介してくれないのか?」

 学生時代を懐かしむように目を細めるランディに、意趣返しとばかりに問い返す。すると再び顔を赤くして気まずそうに視線を漂わせる。大きな身体の割には、そういうところは気が小さいのかもしれない。

 呆れたアシュレイはすっと視線を女性の方にずらした。

 すると女性も少し呆れたように笑って、そして会釈する。

「はじめまして。シャロン・ブロムダールと言います」

「ブロムダールさん? つまりランディ・ブロムダール?」

「う……そうだよ! 婿養子に入ったんだ。俺は次男だからな」

 ようやく認めたランディは照れてはいたが、婿養子であることに対する卑屈のようなものは見受けられない。純粋にシャロンを愛しているのだろう。

 二十一歳にもなると、かつての同級生でもちらほらと既婚者が出てきはじめる。リリーナの親友のユリアも結婚したという話を聞いている。

 周りがそういう話になると、アシュレイの中で焦りも出てくる。業を煮やしたのか、レーナにまで突き放されかけたときにはひやりとした。

 ここまで行動できないアシュレイもアシュレイなのだが、どうにもリリーナの本心が見えてこないのだ。リリーナに打ち明けて面倒だと切られようものならば、アシュレイは立ち直れないだろう。

「アシュレイ?」

「あ……幸せそうで良かったな」

 考え事に没頭していたことに気づき、ゆるく頭を振る。

「で、お前のことだから、恋人くらいいるんだろ? 何か買っていってくれよ」

「すっかり馴染んでるな」 

 案外しっかりとしている友人に苦笑しながら、もう一度銀細工に目を向けてみる。

 思い返してみれば、リリーナに魔法具を贈ったことはあったが、装飾品の類を贈ったことはなかった。

「何か気になるものはありますか?」

 シャロンもにこにこと笑って話しかけてくる。その顔は、夫の友人に対するそれというよりは、客に対するものだった。

「……これ」

 ふと、端にあったブレスレットに目が留まる。

 二重の細い鎖の間に、ところどころ深い青色の石があしらわれた品だ。その色がリリーナの瞳の色によく似ていて、無意識に手を伸ばしてしまう。

「お気に召しましたか? よろしければ、半額でお譲りしますよ」

「……じゃあ、これを」

「ありがとうございます」

 シャロンはてきぱきと、しかし丁寧にブレスレットを包装していく。そして瞬く間にきれいな袋を手渡された。流石はこの家の後継者というべきか。

「喜んでもらえるといいですね」

「大丈夫だろ。こいつは学生時代からモテてたからな」

 のんきに笑う友人夫婦に、アシュレイはあいまいに微笑んだ。







 薄緑色をした水が、美しい円を描いて揺らめく。昼前の空の太陽が水面で踊り、風は木にしがみつく葉をさわさわと揺らす。

 単調な自然の営みは、毎日の平和を象徴するようだが、裏を返せば刺激がないに等しい。

「……退屈だわ」

 プルシア王城の一角で、ぽつりとつぶやいたのは、十日ほどまえにひと騒動を起こした王女であった。

王女の身にまとうドレスは、複雑な刺繍がなされており、緩やかに波打つ美しい金髪には真珠が編みこまれている。

池の側に置かれたふかふかの椅子に腰かける様子は、非常に洗練され上品だ。

 はたから見れば、優雅な生活。

何に困ることもなくただ流れていくだけの平穏な生活。

 ユーフェミアはそれを一度たりとも不幸だと思ったことはなかった。

 自由がある程度奪われるにしろ、生きることに困らないことが幸せであると、王女として学んでいたからである。

「憂鬱なお顔をされていますね」

 そばに控えていたハイルに声をかけられて、ユーフェミアは小さくうなずいた。

「……贅沢だって分かってるわ」

 十日前、死すらを覚悟したあの時。ユーフェミアは今までの自分の生活がいかに満ち足りたものであったか再確認した。

 しかし、それと同時に思い出されるのは、リリーナの料理だ。

 王族である以上、冷めていないスープを飲むことも、焼き立てのパンを食べることもない。

 リリーナが出してくれた料理は、高価なものではなかったが、ユーフェミアにとっては手の届かないところにあるものだった。

 そしてなにより、母親にすらあのように抱きしめてもらうことはない。彼女はあまり子供が得意ではないようだったが、打算のない優しさを持っていた。

「リリーナに会いたい……」

「それは、彼女が望まれないでしょうね」

「……ええ。でも、十分にお礼もできないなんて……」

 本来ならば、ユーフェミアを助けたリリーナには、それ相応の報酬と名誉が与えられる。

しかしリリーナはそれらは必要ないからとハイルに手柄を譲ってしまったのだ。

ただ面倒だから、という理由だけでだ。

 城に帰るまでの道中で、リリーナと旧知の中だというアシュレイに聞いたところ、彼女のめんどくさがり屋は相当なものらしい。

 学生時代からその性格が災いして、多々の問題を引き起こしていたと聞いたときには驚いた。

 しかしだからといって彼女は非情な人ではない。むしろ情に厚い方だろう。そうでなければ、リリーナを助けるなどという面倒事はしないだろう。

「お礼ですか……。一つ、私から提案があるのですが……」

「提案?」

 ひらり、と風に揺られた葉が水の上に舞い落ちた。葉を中心として円状に波が広がっていく。

「その案、すばらしいと思うわ!」

 近衛の案を聞いた王女は、興奮した様子で椅子から立ち上がった。

先ほどまで憂鬱げな表情を見せていた顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

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