1-3 一枚上手

 リリーナは、なだれ込んできたアシュレイをはじめとする軍人たちを見つめながら、面倒なことになったとため息をついた。

 王女の話し相手をするのが面倒になったので睡眠薬を飲ませたのが失敗だったらしい。

「面倒だったからって睡眠薬を飲ませるなんて……お前な……」

 アシュレイはぶつぶつと文句を言っていたし、近衛兵らしき人もひどく驚いている様子ではあったが、リリーナにとってはさして問題はない。ユフィが目覚めたら、きっと自分をかばってくれるだろうという公算もある。

「それで、そもそも王女殿下を救った経緯はなんだ?」

 切れ長の目をもつ整った顔立ちの青年アシュレイは、苛立ちを隠せない様子でリリーナを見ていた。

 正直に経緯を話したらおそらくアシュレイは怒るだろう。しかし、彼に嘘をつく気にはなれないし、嘘をついたことがばれたらもっと面倒なことになるのは目に見えていた。

「そうね……」

 男四人に囲まれて安らかに眠るユフィを横目で見ながら、リリーナはできるだけ簡潔に、必要な事実だけを順を追って話していく。話していくにつれてアシュレイの顔が歪んでいくのは分かったが、それはいつものことなので放っておいた。

「つまり、王女殿下に睡眠薬を盛ったのは、彼女の話し相手になるのが疲れたからということですか?」

 襟に黒い四本の線が入った制服を着た男が、丁寧な物腰で確認をとる。四本線ということは、王立魔法騎士団のドゥミルと呼ばれる位で、序列では上から二番目の上級階級だ。

 近衛隊長というだけあって流石それなりの階級は持っているようだ。

「そうです。一応、彼女が疲れているだろうということも考慮していなくはないですが」

「それを最初に言ってくだされば、私がこんなに騒ぐこともなかったというのに……!」

 最初にこの家にやってきたキャトルの男が、どこか非難めいた口調で言う。しかしそれには肩をすくめるしかなかった。

 リリーナは無駄なことが嫌いなのだ。同じことを二度も話すなどと言う不毛なことはぜひとも避けたいことだったのだ。

「まあ実際、こうやって一度話すだけで私の疑いも晴れて、すべての問題が解決したんだからいいじゃないですか。面倒事は省けたし」

 長い銀髪を耳にかけて、後ろに流し、リリーナはお茶とお茶請けを出そうと調理台に立つ。

 あらかじめ用意していた茶器にお湯を入れて、棚からお茶請けの菓子を出そうと体を反転させた時だった。

「リリーナ」

 鼻先がくっつきそうなほど近くに立っていたアシュレイが、おそろしく低い声を出す。深い緑色の瞳が怒りの色を帯びていて、反射的に調理台の方へと後ずさった。

「あ、アシュレイ……」

「お前は……! そもそもいつもなんでそういうことに首を突っ込むんだ! 誘拐犯を見つけたにせよ、一人で対処しようとするな! どうせ勘のいいお前のことだから、殿下とそのペンダントを見た段階で、王女殿下の出自に気づいたんだろうな! だがな、分かっていて睡眠薬を盛ったんなら、害意がなかったことだけでも兵に伝えればいいだろ! 下手をすれば殿下の誘拐犯としてその場で処刑されるかもしれないんだぞ! 言動がそんなんだから、お前の善意は誤解されやすいんだ! しかも面倒だ面倒だって言いながら面倒事ばっかり引き受けやがって! それがお前自身の安全を揺るがすものかもしれないっていうことを考えたことはあるのか!?」

 アシュレイは切れやすいタイプの人間ではあるが、いつものことながらよく噛まずにそんな長い台詞を言えるものである。

 それにそんなに大声を出されては、せっかく眠っているユフィが起きてしまうかもしれない。

 そんな見当違いのことを考えながら説教を聞いているから、リリーナはいつも怒られる羽目になるのだが、それには気づいていない。

 しかし、アシュレイの怒りが自分への心配の裏返しだということはしっかりと理解できていた。そのためアシュレイに怒られても、不思議と恐怖心は抱けないのだ。

「アシュレイ……さすがに女性に対してそこまで怒鳴るのは」

 怒られながらも違うことを考えていたために黙っていたら、その沈黙を怯えと取ったドゥミルの男がアシュレイをなだめようと声をかけた。

「平気ですよ! こいつにはこのぐらい言わないと分からないんです!」

「ちょっと……あなたの上官でしょ? そんなに声を荒げたらさすがに失礼じゃない?」

頭を冷やさせようとして言ってみたのだが、逆効果だったらしい。

「面倒だからといって説明を拒否するお前には言われたくない!」

 余計にヒートアップしたアシュレイから視線を反らし、ドゥミルの男の方を見る。しかし声を荒げたアシュレイに気分を害している様子はなく、むしろこの状況をどこか楽しんでいるようにすら見えた。

「私は軍人じゃないから、偉い人に睨まれても困らないもの」

「そういう問題じゃない! 誤解を招いて投獄でもされたらどうするんだ!」

「まあまあ……王女殿下が無事だったんだから、良かったじゃない」

「それは結果論だろ!」

「あ、お茶がいい具合」

「聞いてるのか!」

 怒鳴りっぱなしで疲れているであろうアシュレイに、お茶を押し付けてから、盆に載せて三人の魔道騎士たちにもお茶を渡す。

 そうしてから、同じ茶器で自分の分も淹れて、一番最初に飲んだ。

「ほら怒鳴りっぱなしで疲れたでしょ? とりあえずアシュレイも座りなさいよ」

「誰のせいだと思ってるんだ……! まったく……」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、怒鳴りつかれたのだろう。進められるがままに椅子に座り、リリーナの淹れたお茶にためらいなく口をつける。

 軍人としては少々不用心であるとは思うが、それが自分に対する信頼だと思えば悪い気はしない。

 その様子を見ていた他の三人も、ようやくお茶を口にする。

「美味しいです。ありがとうございます」

 ドゥミルの男が丁寧に礼をし、そして、ゆっくりとカップを机に置き、姿勢を正してこちらを向き直った。

「ところで、先ほどから気になっていたのですが、あなたは一体何者なのですか? ただの一般人女性が賊を取り押さえたということに違和感があるのですが……」

「名乗るのが遅くなってすみません」

 慎重に名を名乗り、これから言うべきことを整理する。あまり嘘をつくのは好きではないが、自分が人並み以上に強い理由は、おおっぴらにできる類のものではない。

「「アルヴァの中心部にある宿屋の娘の、リリーナ・ファルクと言います。アシュレイとは、義務教育時代に同級生だったんです」

「こちらこそ申し遅れました。近衛隊長を務めさせていただいております、ハイルと申します。キャトルの二人は右からディノとフェルナンです」

 最初にリリーナを糾弾した男がディノ、後から来た男のほうがフェルナンのようだ。

ドゥミルという高い地位のわりに、威張ったところがないハイルは、ずいぶんと丁寧な口調で話を続ける。

「義務教育時代、と言われると、高等学校は違う学校に?」

「私は……」

 素直に高等学校に行っていないと言えば、あの戦闘能力と度胸はどこから出てくるのかと疑問に思われるだろう。

 しかし、だからと言って、嘘を言えばあとあと面倒なことになるのは目に見えている。そもそもリリーナが嘘をつかないのは、後に起こる面倒事を回避したいがためなのだ。

 何か良い案が思いつかないかと、リリーナは右耳にしているイヤリングに手を伸ばす。それはほとんど無意識の行動であったが、アシュレイはその様子をしっかりと見ていた。

 そして一度だけ、その深い緑色の瞳をリリーナに向ける。

「彼女は首席で学校を卒業したにもかかわらず、諸学校からの勧誘を全て断って、宿屋を手伝うために宿屋に戻ったんですよ。彼女を引き抜こうとした中には、あのナウマン博士もいましたから、魔道という面では彼女は天才的なセンスを持っています」

 アシュレイの言葉に嘘はない。多少リリーナを持ち上げすぎではあるが、それはアシュレイなりにリリーナを助けようとしてのことだろう。

「ナウマン? アルノルド・ナウマンか? 君はまさか、アルが欲してやまなかったあのファルクか!」

「ハイル殿はナウマン博士とお知り合いですか?」

「ああ。アルとは幼馴染だ。まさかこんなところに、あの男が欲するほどの優秀な女性がいるとは……」

「それほどまでに彼はリリーナを?」

「ああ。魔道高等学校の学費を全額援助するとまで言っていたからな」

「そこまで……それを断るなんてさすがだな」

「褒めてないでしょ、それ」

「まあな」

 アシュレイが少しだけ表情を緩める。リリーナを庇う方に気がいって、怒りの方はだいぶ収まっているのだろう。

「ところで、アシュレイは近衛隊ではないんですよね?」

「ええ。彼の仕事はどちらかと言えば、各地方の治安維持部隊と言ったところでしょうか。今回はたまたま彼の出身地だったので、同行してもらったのです」

 どうやら話をそらすことが出来たようで、ハイルはディノやフェルナンと何やら話している。

 誤魔化すことが出来た故の安堵か、少しだけ緊張が解けて窓の外を見ると、もうすっかり日が落ちて暗くなってしまっている。窓に近寄ってカーテンを閉める。そうしてから、部屋の明かりを少しだけ明るくした。

「う……ん」

 高い声が聞こえた気がして振り向くと、ちょうどユフィがソファから起き上がろうとしているところだった。

「王女殿下!」

 アシュレイ以外の三人が一斉に声をかける。

「……あ、ハイル」

 蒼い瞳がぱっちりと開くと、見知った顔を見つけて嬉しかったのか、勢いよく起き上がる。

「ご無事でよかった……」

「ありがとう。私もあなたが王城を離れているときにさらわれて良かったわ。そうじゃなかったらあなた解任されるでしょう?」

 突然、幼いと思っていた少女が、気高い王女に見えた。

 さきほどまで泣き崩れていた少女と同一人物かと疑うほど、ハイルに対するユフィの態度は王女らしいものだ。普通の十歳の少女の口からは、解任と言う言葉は出ないだろう。

「殿下にそうおっしゃっていただけるのは光栄ですが……」

「辞職なんて認めないわよ。私はあなたが気に入ってるの。あなたには何が何でも私の近衛隊長を務めてもらいつづけなくっちゃ」

 つんと顔を横に向けて、これ以上は話を聞かないと態度に出す。

 リリーナはそういうことには頭が回っていなかったが、王女が誘拐されたとなれば、彼女の身の回りの人間の相当数が罰せられるのだろう。

 王女という立場は、そういうものなのだ。

「あ、リリーナ!」

 ようやくリリーナの存在を思い出したユフィは、一番聞いて欲しくないことを、無邪気な笑顔で問いかけてきた。

 これは自業自得といえばそうなのだが、もう腹をくくるしかない。

「ねえ、私さっき急に眠くなっちゃったんだけど、どうしてなの?」

 何を答えるべきか悩んで周りを見回せば、近衛隊三人は、じっとリリーナの出方をうかがっている。アシュレイは、どうやら先が読めているらしく、かすかに笑って、うなずいた。

「あなたに睡眠薬を飲ませたからよ」

 悪びれずに笑ってそう言えば、近衛隊三人はぎょっとした様子でこちらを見た。どうやら彼らの中に、嘘をつかないという選択肢は存在していなかったらしい。

 しかし、ユフィの返答は、リリーナよりも数段上手だった。

「もしかして……私が話しすぎて面倒になった?」

 さすがのリリーナも、十歳の子供にここまで図星を指されるとは思わず、目が泳いでしまう。しかしここまで来て嘘をつく意味もないので正直にうなずいて、言葉を足した。

「もともとあんまり子供は好きじゃないの」

「私と話すのが面倒だったのは、私が子供だから?」

「もちろん。あなたがあと七歳くらい大きければ、睡眠薬は飲ませなかったと思うわよ」

 面倒なことは嫌いだ。しかし、子供心を平気で傷つけられるほど、無情な大人ではないと思っている。

 厳密には良くしゃべる人が面倒で嫌だったのだが、ユフィの言葉を否定すれば、彼女はきっと違う意味にとっただろう。それが彼女が一番危惧していた問題であり、おそらくいつでも一番の誇りでありながら負担である部分なのだ。

「本当に?」

 純粋な蒼い瞳にしたから覗き込まれて、良心が痛まないわけではない。

 しかし完全な嘘でもないこの心は、やはり曖昧にしておくのが、ユフィにとって最善であることに違いはないのだ。

「本当」

「……ふふ。私、あなたのこと好きだわ。あなたにとって、私は王女じゃなくって、子供なのね。だから、敬語も使わない」

「不敬罪に問う?」

「いいえ。問わないとから、敬語を使わないのでしょう?」

 思わずアシュレイの方を見ると、アシュレイも驚いたような顔でユフィを見つめていた。どうやら彼もリリーナと同じく、ユーフェミア王女という人間を侮りすぎていたらしい。

「叶わないなあ、もう。……最初に使わなかったのは、単に面倒だっただけだけどね」

「それも分かってるわ」

 通常ならば、王女に対してこのような口のきき方は許されないだろう。しかし、泣き崩れたユフィを見て、どうしてもユフィ相手に敬語を使う気にはなれなかった。

 そして、ユフィが良いと言えば、兵士たちも不敬罪に問うことはしないだろうと踏んでいたのだ。

「リリーナを罪には問わないでしょう? 彼女は私の命の恩人だもの」

「……殿下がよいとおっしゃるならば、我々は何も申しません」

「よかった」

 そういって、花がほころぶような無邪気な笑みを見せるユフィは、年相応の可愛らしい少女に見えた。しかし同時にまた、王女としての気品とプライドが、そこにはしっかりと存在していた。



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