1-2 こうして睡眠薬は入れられた

「“月”の嬢ちゃんがまた面倒事に首を突っ込んだぜ」

 アルヴァの中心部の、一番街中にある宿の一階で、男二人が向かい合って座っていた。はたから見れば酒を飲んでいるように見えるが、実はその中身は水である。

「何をしたんですか?」

「俺にぶつかって謝りもしなかったやつがよ、大きな荷物袋を肩に持ってたんだ。それの大きさが、ちょうど子供が入りそうなサイズでな」

 あたかも酒を飲んでいるかのように杯を煽るのは大男だ。それはさきほど木材を運んでいた大工だった。

「……それを追いかけて行ったのですか?」

「ああ」

「まったく、時期が悪い……」

「心当たりがあるのか?」

 歳は大男とあまり変わらないように見えるが、深い茶色の髪の男は線が細く、とても丁寧な物腰だ。

「ええ。その中身が、とある貴い御方である可能性が高いのです」

「……そりゃあ、面倒だな」

「あの子は子供が得意ではありませんからねえ……」

 上品に杯を煽った茶髪の男は、不安そうな口ぶりをしていたが、その動作はとても落ち着いたものだった。そこからは、彼女に対する絶大な信頼が見てとれた。

「心配じゃないのか?」

「そうですね……。あの子は引き際をわきまえていますから。基本理念はめんどくさいですし」

「その割にはめんどうな事件にばっかり首をつっこむよな」

「本人いわく、巻き込まれているだけのようですが」

 深い茶色の髪の男は、黒縁のメガネを押し上げて、少しだけ微笑んだ。生真面目そうな男だが、顔立ちは整っているため、少し微笑んだだけでも様になる。

「もし“月”に何かあったとしても、“夜”がどうにかしてくれるでしょう」

 大男は納得顔になり、何かを悪巧みを閃いた子供の様な笑みを浮かべた。

「“夜”は相変わらず“月”に恋い焦がれてるのか?」

「……そうみたいです」

「お、気に入らないのか? エーヴェルトがそんな顔するのは珍しいじゃねえか」

 空になった杯を手でもてあそびながら、にやにやとからかいの笑みを浮かべる。夕暮れ時の宿屋とはいえ、一階は食堂として機能しているためかなり賑やかだ。

 男二人が隅で酒を煽って何やら話しこんでいても、気に留める者はいない。

「一緒に暮らしていなくても、情は湧くものですよ」

 視線を宿の窓のほうへやって、そっけなくエーヴェルトは言う。しかし大男には、それが照れ隠しだと分かっていた。情がわくどころか、あふれんばかりの愛情を注いでいる男だ。一緒に住んでいないからこそ、あまり干渉はしないが、同じ家に住んでいたら過保護な親になっていたに違いない。

「“夜”じゃ不足か?」

「それがそうでもないから追い払えないのです」

 間接的に彼を肯定する言葉に、大男はさらに笑みを強めた。なんだかんだと言って、エーヴェルトは黒髪の青年のことを気に入っている。

 だからこそ、銀髪の女性を守らせることを許しているのだろう。

「あの二人も長い付き合いなのになあ……。なんでこう、進展がないかねえ」

「そう簡単に落ちてもらっては困ります」

「おいおい。お前が裏で手を回してるんじゃないだろうな?」

「まさか。そこまで野暮ではありません」

 疑うような目つきをした大男に、エーヴェルトは首を横に振って否定した。

 沈黙こそすれど嘘はつかないこの男のことだから、それは本当なのだろう。

 しかしだとすれば、少し、じれったいものを感じてしまうのだ。

「もうちょっと頑張らないとじゃないのか、アシュレイ」

 ここにはいない黒髪の青年に思いを馳せて、ぽつりとつぶやけば、エーヴェルトがそれに賛同するようにうなずいた。








 温かいスープと、焼き立てのパンの匂いが部屋を満たす。テーブルの真ん中には品よく盛られたサラダもあり、どれも食欲をそそる品だ。

「髪も乾いたみたいだし、そろそろご飯にしようか」

 リリーナが声をかけると、ユフィは笑顔ではしゃぎだす。

「ええ! とても美味しそうだわ」

 まるで初めて見たごちそうを食べるかのように、喜ぶ金髪の少女ユフィを見て、銀髪の女性リリーナは苦笑した。

「ユフィが日ごろ食べてるものに比べれば、ずいぶんと質素だとは思うけどね」

 調理場の火を消し、リビングの明かりを少しだけ明るくして、椅子に座る。ユフィもそれにならって、食前の祈りを捧げ始めた。

 宗教に対して信仰心のないリリーナは、ユフィの祈りをただ見つめていた。彼女は流石王族とでも言うべきか、何をしても品がある。

 最初の印象とは違って、慣れてくると恐ろしいほどによくしゃべる少女だということは分かっていたが、それでも彼女の品の良さは失われていなかった。何より、ここ数日ろくなものを食べていなかったであろうに、温かいご飯を前にしても祈りを欠かさないのだ。

「お祈りは終わり?」

「ええ。ありがたくいただくわ」

 ユフィがスプーンを手に取り、まずはスープをゆっくりと口に運ぶ。音をたてないように、しかし姿勢は決して崩さない。スプーンが美しく少女の口の中に納まり、そして小さな喉がわずかに上下する。

 済んだ蒼い瞳と目が合って、ようやくリリーナは、自分がユフィの動作の全てを凝視していたことに気が付いた。

「美味しい! こんなに温かいスープは飲んだことがないわ」

 純粋な少女の瞳はきらきらと輝き、愛くるしい顔には満面の笑みが浮かぶ。

「喜んでもらえたなら良かった」

 自身もスープに口をつけてから、パンを手に取る。小さくパンをちぎってスープに浸すと、それをそのまま口に運んだ。

「そうやって食べるの?」

「こうやって食べるのも美味しいわよ。マナーとして良くはないけど」

 微笑みながらそう言って、リリーナは再びパンに手を伸ばす。

 するとユフィもそれにならってパンを一口大にちぎり、スープに少しだけつけて口に運ぶ。すると表情が緩んで幸せそうな顔になったので、おそらく美味しかったのだろう。

「今日はありあわせだから、あんまり大したものじゃないけど、パンはたくさんあるから好きなだけ食べていいよ」

 王家の子供がどれだけの量を食べるのか分からなかったので、とりあえずリリーナをお風呂に入れている間、竈の大きさの可能な限りの量のパンを焼いたのだ。

 買い物に行くことも考えたが、流石のリリーナといえども、王女をつれて買い物に行く気にはなれなかった。

 誤算だったのは、王家のお姫様は一人で入浴することが困難であるということだった。   

それを知ったリリーナは、すぐにめんどうだという言葉が頭によぎった。しかし、さすがにそれはかわいそうだと思い直して、パン生地を発酵させている間に、リリーナの入浴の手伝いをしてあげたのだ。

 そして風の魔法でリリーナの髪を乾かしている間に、手際よく夕食の準備を済ませ、今に至るのである。

「ねえ、このパンはなあに?」

「これ? これは余ってたチョコレートを混ぜてみたの。本当はスコーンに入れようと思ってたんだけどね」

「これもスープにつけるの?」

「いや、これはそのまま食べた方がいいわ。甘いから、食事の最後のほうかな」

「ところでここってどこなの?」

「下の方にある町、アルヴァよ」

「下? 南ってこと?」

「え? ああ……そうか。知らないのか」

 どうやら王女ユーフェミアは好奇心旺盛で、頭のよい少女のようだった。疑問に思ったことはなんでも口にするし、それに対する理解も深い。

 しかし、最初は素直に教えてあげていたリリーナも、食事が終わってからも延々と続けられる質問に、少し疲れてきてしまっていた。そもそも子供の扱いが得意な方ではない。

 誘拐されそうになった子供を助けることはあっても、普通ならすぐに教会や、軍の詰所などに言って子供の保護をお願いするので、リリーナが直接あれやこれやと長時間相手することは非常に珍しいことなのだ。 

 ――眠らせようかな……。

 おそらく疲れているだろうから、という正当な理由ももちろんあったが、話し相手をすることに疲れてきたリリーナは、副作用のない緩い睡眠薬をユフィに飲ませることに決めた。

 これが後で面倒なことになるのだが、面倒なことを解決しようとしているリリーナにそれは予測できなかった。




 こうして、話は冒頭に戻る。

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