1-1  追走劇

 大陸の東にある国プルシア王国。東には海が、西には森が、南には山が、北には大河が国境線として存在し、国土の中でもまさに自然と共に生きる国だった。

 しかし大陸の中でも一、二、を争う魔法学校の質の高さを誇っており、諸外国からたくさんの留学生を抱え、貿易も盛んな開かれた国でもあった。広大な森はまだ切り開かれていないが、山にはトンネルが掘られて電車が通っているし、大河には大きな橋が三つかけられて、馬車も鉄道も通れるようになっている。

 そんな王国の東側には王都ミスティアがあり、その中心部に王城がそびえている。わずかに他の地より高くなっている王城の場所は、よくみれば、頂上の平たい山の頂にあるようにも見えた。

 そのため、一般的に王都ミスティアでは、上というと王城を指し、下といえば、王城から放射線状に広がる町々で、一番境界線に近い部分を指していた。

 そのミスティアの下寄りの部分、かつ西側に存在する町アルヴァ。王都の外れとはいえども、王都ミスティアには分類されるこの町アルヴァは、常にそれなりの活気があった。


「いてっ」

 そんなアルヴァの一角で、木材を抱えて歩いていた大工がかすかなうめき声とともに、よろめいた。幸い体制を崩すには至らなかったが、大工の表情は曇っている。

大工にあたった男が謝りもせずに、町の西へと足早に立ち去ってしまったからだ。大きな袋を肩に担いでいた男は、なにやら慌てていたようで、大工にあたったことに気づいてすらもいないのかもしれない。

 しかし比較的大きな通りでの小さな出来事には、他人はあまり注意を払わないものである。多くの人間がいたにも関わらず、その不機嫌そうな大工に話しかけたのは一人だけだった。

「大丈夫?」

「ん? おお。リリーナか」

 リリーナと呼ばれた女性は、大工の身体を気遣うように声をかけたが、夜明け前の深い空の色をした瞳は、まっすぐと逃げていく男を捉えている。女性のその視線に何かを感じ取った大工は、ちいさくため息をついた。そして木材を抱えなおす。

「あの袋……子供一人くらいなら入りそうだな」

 袋に当たった時の感覚と大きさから、大工はそんなことを口にした。

「……あっちは森だからね。誘拐犯に逃げ込まれると厄介」

「俺は手伝えないけど、やる気か?」

「めんどくさいけど……さすがに子どもの誘拐を見過ごせないかな」

 肩より少し長いくらいの癖のない銀髪を耳にかけると、小ぶりのイヤリングが顔を出した。

「行って来い。一応、エーヴェルトに話しといてやる」

「ありがと」

 大工が女性の父の名を出すと、女性はあからさまに安堵したような表情を見せた。そして次の瞬間には、わずかな風だけを残して少女の姿は消えてしまっていた。

 実際には風の魔法を応用して駆け抜けただが、大工の目には消えたように見えた。そのくらいすばやい動きだったのだ。

「ったく、めんどうって言いながら、自分からめんどうごとに首をつっこむ奴だよな、あいつ」

 大工が苦笑して、そうして再び目的地へと歩き出しだ。






 アルヴァの西、つまり王城のある王都ミスティアの中心部とは反対方向には、森が広がっていた。その森までは街道が伸びているが、森に近づけば近づくほど民家は少なくなる。夕暮れ時のこの時間帯では、家に帰っていないものも多く、このあたりの道を通るものは少ない。そのため必然的に森に入るものを目撃する物は少ないはずだった。

 大きな荷物を右肩に背負った男は、一心不乱に走っていた。その顔に疲労は見えるものの、どちらかといえば期待に満ち溢れた表情をしていた。

「仲間が森か、森の向こうにいるってことか」

 長めの美しい銀髪をなびかせて、リリーナは男のあとをつけていた。リリーナも男と同じだけ走っているはずなのだが、こちらは全く疲れが見えなかった。リリーナ自身が汰力があると言うわけではない。ただ精霊の力を借りることにかけては自信があった。

「そろそろかな」

 森の入り口の直前、土を踏み固めて舗装されていた道が、雑草や小石の転がる道に変わる境目で、リリーナは動いた。

 土を勢いよく蹴りだし、男のすぐそばに立ちどまる。そしてまだ走っている男を足止めするために、間髪入れずに初等学校で習う基礎魔法を練り上げた。

Venez来い

「うわ」

 あえて声を発したリリーナの詠唱と同時に、男の行く手をふさぐように炎が立ち上がる。基礎魔法ではありえない炎の大きさに、男はひるんで荷物を取り落す。

 地面に落ちたその荷物の中から、甲高い女の子の悲鳴があがり、男がしまったという顔をした。

「選びなさい。その子を置いてこのまま逃げるか、私と戦うか」

 男は一瞬、躊躇した。それもそのはずだ。リリーナが詠唱したのは間違いなく基礎魔法であったはずなのに、何故か上級魔法のような威力を発揮していたのだから。しかしリリーナは長い銀髪に蒼い瞳を持つ、美しい女性でもあった。顔立ちは整ってはいるが、きついものではなく、どちらかといえば儚げで庇護欲を掻き立てられる女性である。

 たとえそれなりの魔法の使い手であるにしろ、男が恐怖を覚えるほどのものではなかった。

「お前も道ずれにしてやる!」

 なんとも頭の悪そうなセリフを叫び、男は腰に差していた剣を抜いてリリーナへと間合いを詰めた。

 リリーナが立ち止まったあとに男が走れたのはわずか数歩だった。そのため、リリーナとの距離はさして開いておらず、今すぐにでもリリーナに男の剣先が届きそうな距離だった。男はリリーナを殺すつもりはなかった。その方が金になる。うまく行けば、かなりの美人をものにできるかもしれない。

「くそっ!」

 男がまさにリリーナに剣を突きつけようとしたその時、形の良い唇が動くのが見えた。あまり頭の回らない男でも、魔道士に近距離で詠唱されることの危険は分かる。本能的に危機を察知して、リリーナを生かすことを諦めた瞬間だった。

「あーめんどくさい」

 紡がれたのは詠唱ではなかった。かといって絶望にくれる悲嘆の声でもない。

 しかし、男の身体はいつの間にか宙を舞っていた。地面がぐっと近づいてきて、そのまま意識は闇へと突き落とされる。

「転ばせただけで頭を打って気絶してくれるなんて、手間がはぶけたわ」

 リリーナは手に握りしめた石を懐にしまい、男が取り落した荷物袋に手をかける。

 きつく結ばれた紐をほどこうと三秒ほど格闘したが、すぐにめんどうになって短剣を取り出した。

「あんまり動かないで……っていっても無駄よね」

 中にいる少女はきっと必死なのだろう。袋が絶えずもぞもぞと動き、何やら奇声を発している。あまり動かれると紐を切る時に余計なものまで切ってしまいそうで怖いが、仕方ない。

 袋の中身を傷つけないように、しかしできるだけ手早く縄を切った。そして袋の口を大きく開けてやる。

 最初にリリーナの視界に広がったのは、大きく波打つ金色の髪だった。髪には真珠が編みこまれており、それだけで少女がそれなりの身分を持つことがうかがい知れる。

 袋に手をかけ、少し引っ張ると、少女の全身が地面にあらわになった

 豊かに波打つ金髪に、透明感のある白い肌。何故か布が垂れ下がっている首には、大き目のペンダントが光っていた。

 服も一目見て上質だと分かるほど柔らかい布でできており、金目的で誘拐されたどこぞのお嬢様だろうとリリーナは適当にあたりをつけた。

「喋らないのね?」

 あれほどわめいていたのに、今はリリーナの一挙一動を息をのんで見守っている。通常ならば、少女を安心させることを優先させるべきだろうが、リリーナは少女の身元が気にかかってそれを忘れていた。

 少女の胸元のペンダントが記憶の片隅にひっかかっているのだ。

「そっか。自分で口の布を外したのね」

 ペンダントを眺めていたら、自然とその首元の布を観察することになり、リリーナは納得した声を上げた。

 そうやってリリーナが言葉を発しても、少女の警戒心が和らぐことはないようだ。澄み切った蒼い瞳は挑戦的にリリーナを睨みつけている。その目じりに涙の跡がなければ、度胸のある女の子にも見えただろう。

 とりあえず目についた首元の布をほどき、それから両手足をしばっていた紐を短剣で慎重に切る。

「ねえ、あなたの名前は?」

「教えないわ! 私は一度目で学んだのよ!」

 若干かすれてはいるものの、威勢よく少女は言葉を発した。相手が敵か味方が分からない中でそれだけ物が言えれば、大した度胸である。みたところ大きな怪我もしていなさそうだとリリーナは安心した。

「飲む?」

 カバンの中に入れていた水筒を取り出して少女に渡す。

声がかすれているから、のどが渇いているだろう。そう考えてした行動だったが、少女は素直には口をつけなかった。誘拐されたとはいえ、最低限身を守る思考力は与えられているらしい。

「あなたを殺したいなら切り殺したほうが早いわ。毒を盛ったりしないでね」

 こういう反応になれているリリーナは、あえて脅すようなことを言って、少女に水を飲むように促した。

 物騒な言葉選びに、少なからず衝撃は受けたようだが、覚悟はできたらしい。水筒のふたを開けると、ぐいっと思いっきり水筒を傾けて中の水を飲む。その飲みっぷりといえば、まるで戦争で功績をあげた戦士が祝杯を煽るかのように勇ましいものだった。

「一度目ってどういうこと?」

「……二度誘拐されたってこと」

 水を飲みきった少女は、一瞬ためらいを見せたがすぐにそう切り返す。おそらくこの話をしたところで、自分に害はないと判断したのだろう。

「一度目は名前を名乗って誘拐された……。二度目は?」

 少女から水筒を受け取り、ふたが閉められていることを確認してからカバンに入れる。

「一度目の誘拐犯が私を町に捨てたから、二度目の誘拐犯に突然さらわれたのよ」

「なるほどね……」

 つまり一度目の誘拐犯は、少女の存在を親元からくらますことが目的だったということになる。金銭を要求するでもなく、攫うだけで価値のある少女はそうそういない。リリーナの中には在る一種の仮説がすでに出来上がり始めていた。

二度目の誘拐は金目当てだろうから、少女の素性を考察するにあたって考える必要はない。

「リリーナ。それが私の名前よ」

 少女の顔についていた泥を優しくぬぐう。名乗った時に少女の蒼い瞳とかち合って、少女が迷っているのが見て取れた。

「私は家に帰るわ。あなたが来るかどうかは、あなたの自由よ。ユフィ」

「どうして……?」

 丸い瞳がさらに丸くなり、小さな口は驚きで開いてしまっている。そしてそれだけでリリーナの推測が正解だと分からせてしまうのだから、彼女はやはりまだまだ幼い。

「勘よ、勘。で、どうするの? 家に来たらご飯とお風呂くらいは面倒みてあげるけど」

 彼女の出自上、誰かに何かを強制されることに慣れていないのは明白だ。善意だとしても、強制的に彼女を動かすのは、のちに自分の身を脅かす。

 リリーナにとって、この少女が、自発的についてきたという言質を取る必要があった。

「あなたは私に選ばせるの?」

「私は誘拐犯じゃない。だからあなたに強制はしない」

「私はどうやってあなたを信じたらいい?」

 向かい合って地面にしゃがんでいる状態のため、リリーナにはユフィの瞳が揺らいでいるのが手に取るようにわかった。

 信じたいという気持ちが半分、信じて良いのかという疑問が半分。

「ん……考えればいいわ。私と来ることによるメリットとリスク。私に置いていかれることのメリットとリスク」

 信じろとは言えなかった。リリーナはあまり子供の扱いが上手いほうではなかったし、リリーナの家に来たところで、彼女が満足する待遇をしてあげられるかは疑問であったからだ。

 だからこそ、リリーナはユフィに選ばせることにした。十歳くらいの子供に考えさせるには酷だが、この子供がただの子供でないことはもうすでに分かっている。

「あなたについて行くことのリスクは、あなたが三人目の誘拐犯であること」

「置いていかれることのリスクは?」

「たまたま出会った人に誘拐される、あるいは、誰も私の面倒を見てくれないこと」

 どうやら頭の切れる少女らしい。それは正しい解答だ。

「よくできました」

 ぽんと頭に手を載せて、リリーナはやわらかく微笑む。

 するとユフィは少し驚いたような表情をして、そして、何故か顔をゆがめた。

「どうしたの……?」

 声をかけると同時に、リリーナの身体に重みがかかって、そのまま後ろにお尻をついてをついてしまった。それがユフィが抱きついてきたためだと気づくには、少し時間が必要だった。

 リリーナは見ていたからだ。気丈な少女が顔をゆがめて泣き出す瞬間を。自分に抱き着いて、肩を震わせて泣く様子を。

 どうやら限界だったようだ。リリーナに対して信頼が芽生えたからだろう。気が抜けて、ようやく彼女は自分の感情を吐き出すことができたのだ。

 小さいながら良くできた子供である。

「よくがんばりました」

 ふっと笑みを漏らして、リリーナはユフィをしっかりと抱き寄せる。小さな背中に手を当てて、一定のリズムでかるくたたいてやる。

 子供はめんどうだから得意ではない。だからこういうことをリリーナがするのは非常に珍しいことだった。

「ま、たまにはいいかな」

 美しい銀髪が、沈みかけた夕日に照らされて赤く燃える。慈愛の表情を浮かべて子供を抱く女性は、あたかも女神かのように美しく、優しい雰囲気を併せ持っていた。



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