アシュレイとリリーナ
水無月カンナ
断章 彼女の悪癖
アルヴァは王都ミスティア一の平和な町として有名だった。職人が多く、技術は豊富に持っている土地だが、資産はあまりない。そのため商人たちがさかんに材料を売りにき、職人たちの作品を買っていく。
長くこの地にとどまることが少ない商人たちも、回数としては多くこの地を訪れる。そのため、この町に王立魔王騎士団の制服を着た人間がうろついていると、それだけで何かがあったのではないかと探るような目をするのだ。
自分たちの商業に関わるなにかではないと知ると、途端にその興味が薄れるのだから現金なものである。
王立魔法騎士団の蒼い制服を着た男三人のうち、一人が我慢できないといった様子でぼやきはじめる。
「ああ……。ほんとうにあのお方なのでしょうか。もし違ったら私は……」
先導する兵は、地元の一等兵で、今回の仕事の責任の重さからか、男の嘆きは耳に入っていない。
「そうでないならばまた捜索するだけだ。もちろん、そうであることを祈っているが」
嘆いた男の襟には二本の線が、その男を冷静になだめた男の襟には四本の黒い線がはいっていた。それは王立魔法騎士団の中の序列で、彼が上から四番目の位である”キャトル”であることを表している。そして線の数が多いほうが、階級が高い。
その男二人は、王立魔法騎士団から、ユーフェミア王女の近衛隊として駆り出されている兵士である。四本線の男の方は近衛隊の隊長であり、今回の事件の一番の責任者であった。
「状況はどんな様子なんだ?」
その二人のやりとりを冷静に聞いていた黒髪の青年が、一等兵に尋ねた。
まだ少年とも言える一等兵は、はいと言って思わず歩みを止めたので、黒髪の青年に歩きながら話すように言われてしまう。そのことでますます縮み上がり、緊張で声が震えていた。
「一軒一軒回っていたキャトルの方が、一人の女性の家をたずねました。するとその女性が金髪碧眼で十歳くらいの女の子を預かっていると話しました。そこで、キャトルの方が確認のために部屋に入りますと、ユーフェミア王女殿下がちょうどコップのお茶を飲まれた瞬間だったのです。そして、それを口に含まれると、崩れ落ちるようにして眠ってしまわれたそうです」
「崩れ落ちるように? それで睡眠薬を盛られたと言うことか?」
「そのようです」
「しかし、不可解な点がいくつもあり、その女性はまだ拘束するにはいたっておりません。もちろんキャトルの方がユーフェミア王女のおられる部屋で彼女を監視はしているのですが……」
「不可解な点?」
蒼い制服の効果なのか、それとも四人の表情が切迫したものだからなのかは分からないが、町の人々が道を開けてくれる。そのため四人が歩きながら話していても、誰にぶつかることなく目的地へと歩き続けられていた。
「まず、王女殿下はとてもお綺麗でした。それは容姿が、という問題ではなく、衛生面です。御髪も洗われているようですし、服も失踪時のドレスではないにしろ清潔なものでした。おそらく王女殿下は女性の家で入浴されたのではないかと思われます。また、少しサイズが大きかったので、おそらくお召しになっていた服は女性の私物だと思われます。さらに、部屋には二人分の食器が並んでおり、殿下は食事を召し上がったようでした。拘束もされていませんでしたし、女性の与えたものを召し上がるということは、おそらくそれなりの信頼関係があったのでしょう。しかし女性は何故か睡眠薬を盛った」
「ちょっと待て。何故そんな推測で物を話しているんだ? 女性に話を聞いたのではないのか? そもそも薬の話も、女性に真偽を問えば判明するだろう? たまたま王女殿下が倒れてしまわれただけの可能性もあるのだから」
襟に四本の線のある制服を着ている茶髪の男が、一等兵の話を遮った。その口調には少し苛立ちが含まれている。
それを敏感に感じ取った一等兵は、肩を震わせた。
「そんなに怯えなくていい。それで、その女性はなんと言ってるんだ?」
「それが……その女性は何も語らないのです」
「は?」
先ほどまで不安を漏らしていた男が、意味が分からないとばかりに声を上げた。それも当然だろう。普通の一般市民ならば、王立魔法騎士団が家に来て糾弾されれば、緊張から余計なことまで話してしまうだろう。自分の身の潔白を証明しようと焦るだろうから、黙り込むことはないはずだ。仮に緊張して話せなくなったとしても、話そうと言う努力はするはずである。
「何か聞かれて困ることがあるのか?」
「いえ……ただ、その女性が言うには、どうせあとからもっと偉い人間が王女を引き取りに来て、同じことを聞かれるから、その時にまとめて話すと。二度話すのはめんどうくさいと言うのです」
「めんどくさい? その女性、名前は?」
ずっと冷静だった黒髪の青年が、わずかに動揺を見せた。それに気づいた近衛隊長が、すかさず疑問をさしはさむ。
「アシュレイには心当たりがあるのか?」
「……めんどくさいという言葉が代名詞の女性が知り合いにおりまして。彼女なら、説明が面倒だからと兵を相手にしないぐらいのことはしそうなのです」
「なるほど。それで、どうなんだ?」
二等兵は申し訳なさそうな表情をして首を振った。
「私は名前を聞いておりませんでした。しかし、その女性は銀髪に深い藍色の瞳をした美人です」
「……これはその人の家に向かっているんだよな?」
「はい」
アシュレイは黒髪をぐしゃっとかきむしり、ため息をついた。普段は常に冷静沈着な彼からは考えられない行動に、近衛隊二人が目を丸くする。
しかしアシュレイはそんな二人の反応に気を回している余裕はすでになかった。彼には事の真相がすでに読めていたからだ。
「あの馬鹿……」
「どんな女性なんだ? 王女殿下を誘拐した可能性は?」
「それはありえません」
はっきりと即答したアシュレイに近衛隊長は少しだけ安心した様子を見せた。もしアシュレイの知り合いが王女誘拐に携わっているとなれば、アシュレイがこの仕事に関与するのは問題となる。
「しかし彼女には悪癖がありまして……たとえ自分が不利になろうが、面倒なことはしないんです」
「しかしそうなると、何故殿下を助けたんだ?」
「おそらく、それは彼女の正義感でしょう。面倒事が嫌いだと言いながらも、情に厚く、人を放っておけないお人よしという器用な人間なんですよ、彼女は」
学生時代、同じ学校に九年間通ったもの同士だ。ある程度のことは分かる。それにアシュレイにとって彼女は、特別な存在であった。
学生時代幾度も否定して、否定し続けたが、ついに消えることのなかった想い。二十一になった今では、さすがのアシュレイでもそれが何であるか気づいていた。
しかし今でも顔を合わせれば小言を言って怒ってばかりいるので、彼女に自分がどう思われているかについては自信がない。
「君が女性のことをそういう風に肯定するのは珍しいな」
切れ長の目が少し冷たい印象を与えるものの、美しい顔立ちをしている青年は女性に人気だった。しかしながら、彼は寄ってくる女性を全て冷たくあしらい、女嫌いの名をほしいままにしていたのだ。
それを知っている近衛隊長は純粋に驚いたようだった。
「それは……まあ、昔馴染みですから」
言葉に詰まったものの、どうにか平静を装う。
もう十数年になる想いを、そう簡単には他人に打ち明けたくはなかったのだ。
「そうか」
王女の失踪事件の解決間際という微妙な時でなければ、近衛隊長はアシュレイの嘘に気づいただろう。しかしこの緊迫した状況では、アシュレイの嘘を見抜くだけの余裕はなかった。
「あ、あの家です」
アシュレイにとっては最高のタイミングで一等兵が指した家は、アシュレイの予想通りの家だった。
そういえばアシュレイが彼女と会うのは半年ぶりだ。まさかこんな形で再会することになろうとは思わなかったが、少し緊張してしまう。
アルヴァの中心から少し外れた住宅街にある家。木を中心に作られた家は二階建てで、新しくはないが手入れの行き届いているきれいな家だった。家主が魔法を使えるためか、木を長持ちさせる方法は心得ているのだろう。子供のころよく訪れていたが、その頃とあまり変わっていない。
「この家に王女殿下はおられます!」
そう声高に宣言した伝令役の兵に礼を言い、アシュレイは家の中に入る。
家の中に入るとすぐにリビングがあり、そこにあるソファで金髪の愛らしい少女がすやすやと眠っていた。
その横で控えていた兵士が、アシュレイの存在に気づいた途端に立ち上がって叫ぶ。
「アシュレイ殿! こ、この女が殿下に薬を盛ったのです!」
ヒステリックに叫ぶ自分の部下が指す女は、予想通りアシュレイの見知った女だった。そのため思わずうんざりしたようにため息をつきながら、その女に問いかける。
「この家だからそうだとは思ったけどな……お前、何したんだよ?」
「あら、アシュレイじゃない。久しぶり」
彼女は美しい銀髪を右肩に流し、夜明け前の深い空の色をした瞳は懐かしげに細められている。
図らずとも名前を呼ばれたことにアシュレイの心臓は、大きく脈を打った。しかし今はそのことに感銘を覚えている場合ではない。
昔からとある“悪癖”のある彼女だったが、それがこの場でも悪い方に出ているのではないかとアシュレイはすでに疑い始めていた。
「トロワになってるなんてすごい」
アシュレイの襟に入っている三本線を見つめながらリリーナはそんな風に言った。自分の置かれている状況に対して無頓着すぎる彼女に、アシュレイが一言モノ申そうとした時だった。
「ユーフェミア殿下!」
近衛隊長がそう言いながら王女に駆け寄った。ベッドで寝ている彼女の脈をとり、彼はあからさまに安堵した様子で息をついた。
「よかった……寝ておられるだけのようだ」
「そりゃあねえ。だってぱくぱくとご飯を食べてたもの」
どことなく呆れたように言う女に、アシュレイの部下は怒りを爆発させた。
「そこに薬を盛ったのか!」
「いや、殿下は眠っておられるだけだ。彼女は純粋に保護してくれたのではないかと思うが……」
近衛隊長は、アシュレイの部下の発言を、彼自身が気が動転してそう言っているだけだと解釈してくれたようだった。
実際、ユーフェミア王女は眠っているだけのようだ。拘束されているわけでもない。彼女の言葉通り済んだあとの食器も机に並んでいる。それもちゃんと二人分並んでいて、ユーフェミアへの待遇は、誘拐犯のそれではないことは明らかだ。
おそらく薬を盛ったことは本当だとアシュレイは分かっていたが、彼女がユーフェミアに薬を盛ったのは、彼女の性格上の事情だろうと踏んでいた。そのため、近衛隊長がそう勘違いしてくれているのなら、適当に彼女を庇ってその場をしのごうと思っていたのだ。
「まあ、薬を盛ったのは事実ですけど」
「お前な! そもそも何の薬を盛ったんだ!?」
しかし自分から火に油を注ぐような真似をするリリーナに、アシュレイは思わずリリーナに怒鳴ってしまう。
「睡眠薬」
全く悪びれた様子もなくいうリリーナに、アシュレイは自分の嫌な予感が的中したことを悟った。
「何故そんなことを?」
さすがに部下とは違い冷静な近衛隊長は、声を荒げることなく尋ねた。
「……だって、お嬢様の話し相手なんてめんどくさかったし」
彼女の代名詞とも言えるその言葉を聞いて、アシュレイは思わず頭を抱えたのだった。
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