第四話 セイン・オーウェル

「……で、煙草の吸い過ぎで頭痛を起こした、と。馬鹿だなぁ、お前は」

「うるせぇよ……」


 食堂。

 現在時刻は十二時半。ちょうど昼休みも半ばを迎えたころだ。

 賑やかな食堂の喧騒が、ぐらぐらと頭痛に響く。

 さらに、先ほどからちらちらと向けられる無遠慮な好奇の視線も気に障る。

 目の前でメインディッシュを平然とした顔で食べている、アッシュブルーの長髪を一つくくりにまとめた男にも、好奇の視線は同じように向けられているのだが、男は平然としていた。


「ユート、食べないともたないよ」

「食欲がねぇ」

「それは頭痛のせいかい? それとも」

「全部だよ全部。お前はよく平気だな、セイン」

 セインと呼ばれた男は、ちらりと外野の方に視線を一瞬だけ向けた後、パンをちぎって口に運ぶ。

「まぁ、気にならないと言えば嘘になるけど。でも、外部の人間に対する反応なんてこんなものだろう」

 セインが身に纏っているのは軍服ではなく、シャツにベスト、スラックスという、オフィスで働く一般人とさほど変わらない服装。

 学院の教師には制服はないため、これで仕事着として十分に機能しているわけだが、ここは管理局本部。いわば軍事基地の中に一般人が紛れ込んでいるようにしか見えない。

「採寸はさっき済ませたから、二、三日もすれば僕の格好もそう浮くことにはならないんじゃないか」

「そういうもんかね……」

 いくら格好が浮かなくなったとしても、今や自分たちは「特殊部隊にできた異色の小隊」として噂の中心になっている。その噂は二、三日で消えるようなものではないだろう。


 とんとんとん、と指でテーブルをたたくユートは、あからさまに苛立った様子で、周囲に視線を向けた。

「まったく、嫌になる」

「お前の方がここでの生活は長いんだから、こんなのには慣れてると思ってたけど」

 水の入ったグラスのふちをなぞり、セインが言うと、ユートは大仰に溜息をついて椅子の背もたれにもたれかかり、パンにかぶりつく。

「行儀悪いよ」

「あいにくと、俺は育ちは東の方なんでね。こっちのマナーなんて知ったこっちゃないし、それに」

 ちらりといまだに手をつけていないメインディッシュの皿に目を落とし、ナイフとフォークを手に取り、とんとん、と右人差指でナイフの背を叩く。

「こういうのにも慣れない。何年たってもな」

「そうか」

 短く答えて、セインはグラスの水を一口。

 空になったセインの皿をウェイターが下げ、デザートの皿が運ばれてくる。

「なんで昼間っからこんなに食うんだよ、こっちの人間は」

「なんでって、そりゃあ昼からも働くためさ。エネルギーは必要だからね」

うちじゃ朝の方がしっかり食えって言われるぞ」

 さほど多くはない肉料理を平らげた後、ナイフとフォークを皿に置き、ユートはナプキンで口を拭った。

 ユートにも、すぐさまデザートの皿がサーブされる。

「それで、残りの二人は?」

「出発前には合流するはずだ。南第8支部からだから、朝一に向こうを出発して、もうじき到着といったところだろう」

 ほぼ同時にデザートを平らげた二人は、一瞬だけ視線を交わす。

 すぐに運ばれてきたコーヒーに視線は移ったが、その一瞬だけで、ユートには十分だった。


§


 食後、ユートとセインは連れ立ってブリーフィングルームへと戻る。

 その道中も、好奇の視線は絶えず――ブリーフィングルームでようやくその視線から脱した途端、ユートは天を仰いで本日何度目かわからない溜息を吐いた。

「お疲れ、ユート」

「ほんっとーに、お前はよく平気だな、あの空気」

「お前とは違って、僕は完全に外部の人間だからね。僻みや嫉妬とは無縁さ」

 好奇に混じる、特殊部隊の小隊長への異例の抜擢に対する僻み、妬み――そういった醜い感情が混ざった視線に耐えながらの食事は、正直言って味がしなかった。

 傍目に何度も見かけたことはあるが、いざ自分が受ける側になるとこうも違うのか、とユートは肩を落とす。

「ああいう連中の黙らせ方は、よくわかってるだろう?」

「ああ、わかってる」

「僕は全力でその手伝いをする。それで今は納得するしかない」

「わかってる。でも割り切れねぇもんもあるだろ」

 セインは少し困ったように苦笑する。

 先ほど食堂では平然とした無表情だったその顔に、初めて浮かんだ感情。

「ユートは変わらないな」

「お前こそな」

「これでも子供たちの相手をして、少しは社交的になったと評判なんだけど」

 そう言って肩をすくめるセインの声は、口調こそ柔らかいが、どちらかというと冷たい印象を持つ人間の方が多い。

 アッシュブルーの長髪に、切れ長の灰色の瞳。

 すらりとした痩せ型の長身で、人と話すときはどうしても上から見下ろす形になることが多いのも一因だろう。

 黙って無表情で本を読む様は、声をかけづらい上に、声をかけても柔らかい口調が与える印象を覆い隠すほど低いバリトンボイスのせいで、怖い、と学生時代はよく言われていたようにユートは記憶している。

「まぁ、確かに昔よりは口数は増えたな。子供には人気なのか?」

「どうだろうね。最初は怖がられるのは相変わらずだけど」

「まぁ、教師なんて舐められるより怖がられるくらいの方がいいだろ。あ、そうだ。お前、個人コードは?」

「まだだね。あと端末も支給されるらしいけど、そっちもまだだ。たぶん軍服と同時にもらえるんじゃないかな」

「そうか……わかった」

 少し眉を寄せて椅子に座ったユートに、セインは隣に座りながらととん、と短く指で机を叩いた。

「着方がわからないかもしれないから、軍服が届いたらまた連絡するよ。それでいいかい?」

「ああ」

 腕を組んで、ユートはとん、と一度指で腕を叩く。

 

 学生時代に二人で作った、秘密の暗号。

 指で叩く、なぞる、水を飲む。そう言った簡単な所作で、簡単な意思疎通を行う拙い遊び。

 きっかけは、セインが読んでいたミステリー小説だったか。主人公とその相棒が、短い会話と所作で敵対相手に悟られることなく意思を疎通する、そのやり取りにひどく惹かれて、二人だけで作った。

 

 とんとんとん、と三度叩くのはこの暗号の開始の合図。

 なぞるのは何かあったのか、という合図。

 とんとん、と二度叩くのはヤバい、という合図。

 水を飲むのはどこで話そうか、という合図。

 口を拭うのは自分の家、という合図。

 ととん、と短い間隔で二度叩くのは今日遊びに行くという合図。

 とん、と一度叩くのは了解の合図。


 学生時代はよく、テスト前などにお互いに机を二度叩きあったりして、互いの家を行き来し勉強会をしたものだが、まさか卒業後にも使うことになるとは思っていなかった。

 何より、セインがまだ合図を覚えていてくれていたことに、ユートは万感の思いで口にする。


「ほんと、お前が変わってなくて安心したよ」

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