第一章 召集は突然に

第一話 悪夢の後


 ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ。


「ぅ……」


 もぞもぞと手を伸ばし、アラームのスイッチを叩き切る。

 窓から差し込む日の光に、だんだんと意識は覚醒していく。


「くっそ……」


 夢に悪態をつきつつ、気だるい体を起こし、二、三度、軽く頭を振る。

 あの時の夢を見るのは初めてではないが、何度見ても気分のいいものではない。


 どうやら昨晩は、少し深酒をしすぎたようだ。テーブルの上にはグラスと瓶と缶が転がったままだし、きちんとベッドに入って就寝したわけではないためか、ベッドの上は枕が足の位置にあったり、布団は半分ベッドの外に落ちていたり、シーツはぐちゃぐちゃだったりとひどい有様だ。

 悪夢を見たのも、きっと悪酔いのせいだろう。そう結論付けて、いまだ軽い頭痛を訴える頭を押さえながら、朝の支度を手早く済ませるのだった。


 ユート・ヒイラギは軍人である。

 より正確に言うなれば、退魔管理局オルドル本部守護隊所属の騎士シュバリエである。

 軍人、騎士というと、何となく武器を持ち前線で戦う姿を想起するだろうが、退魔管理局に所属する騎士たちの武器は鉄の剣でも鉛の弾を発射する銃でもない。


 彼らの武器は異能、もしくは超能力、魔法とも呼ぶべきもの。あるものは虚空から風の刃を生みだし、あるものは空気中の水分から氷の刃を生成する。

 “幻想創造イマージュ”と名付けられたその力は、ある研究者の論文内の言葉を借りるならば「想像を現実にする力」だ。

 ユートはあの火事の日、炎を従え、炎で身を守り、生き延びた。

 それはひとえにあの日あの時、ユートが全霊を持って「生きたい」と願い、生き延びるために炎を操ることができれば、と想像したからだ、とされている。


 今、その力は炎の盾として形を成し、ユートはそれで持って味方を守護する騎士として前線に立っている。




「はよーございまーす……」

「ヒイラギ二尉にい、そのだらしない挨拶はやめなさいと何度言えばわかるんですか」


 退魔管理局オルドル本部。

 本部だけあって、スケールもそこに勤める人間も、すべてが精鋭最新鋭、正真正銘エリートの集まり。

 ユートも対外的にはエリートの括りになるのだが、今日は悪酔いと悪夢のコンボで普段からやる気のなさげな顔はさらにだらしなく、制服も一部よれているという有様である。

 そんな様子を、見逃す道理は彼女にはない。


 アーデルハイト・フェーベル。


 世間一般的なエリートを絵に描いたような、一部の隙もなく制服を着こなし、細めのフォルムのメガネの奥に、これまた鋭い眼光を光らせた受付の女性は、ユートを見るなり眉間のしわを深くする。

 ユートは厄介な奴に見つかった、という顔を必死で隠し、できる限りシャキッとした姿勢で敬礼をした。


「……オハヨウゴザイマス、フェーベル三尉さんい

「まぁそれでいいでしょう。ヒイラギ二尉、業務連絡です。レドモンド三佐さんさより召集。詳細と添付資料は端末に送信したので、あらかじめ目を通しておくように」

「……召集、ですか」

「ええ。本日は召集とそれに関する諸業務にスケジュールが変更になります。召集時刻は午前十時。それまでは待機となります。遅刻などなさいませんよう」

「了解」


 姿勢を正して短い返答とともに敬礼すると、アーデルハイトは満足そうにわずかにだけ微笑んだ。


 退魔管理局オルドル、それは突如出現した異形の生命体、通称『魔物デモン』を排除、殲滅するために結成されたこの世界で最も新しい軍隊である。

 既存の軍もいまだ機能を失ってはいないが、50年前の『侵略の日』以来、その機能は人間同士の治安維持程度のものしかない。

 『魔物デモン』には、銃も剣も効かない。従来の人の科学の粋では、とうとう奴らを一匹倒すことすらできなかった。


 奴らを倒しうるのは、現状“幻想創造イマージュ”の力のみ。「想像を現実にする」というと、非常に便利な能力のようにも思えるが、車が使い方を誤れば大量殺戮兵器となりうるように、ファンタジーの中の魔法が悪しき心で持って使えば凶悪な呪いとなるように、“幻想創造イマージュ”の力もまた、然るべきコントロールを行わねば敵も味方も有機物も無機物も、一切合財区別なく滅ぼしうる、最悪にして凶悪な力に他ならなかった。


 それゆえ力に覚醒した者たちは、その力を『人間にとって正しく』扱えるように、訓練を行わねばならない。

 最前線で能力を行使する騎士シュバリエたちは特に、だ。

 出撃任務がない日は、丸一日を訓練に費やす。通常の軍隊にもあるような運動、及び座学はもちろん、各個人の能力を適切にコントロールするための特殊訓練もある。


 だが、今日のユートは訓練は免除。召集時刻まで待機を申し渡された身である。

 訓練所に向かう騎士たちの波に逆らうように歩いていると、それを不思議に思った同僚が声をかけてきた。


「あれ、ヒイラギ、訓練始まるぞ?」

「あ、俺今日別件で呼びだされてっから待機時間」

「なんだ? 何かやらかしたのか?」

「覚えがねえよ……」


 召集をかけられるということは、だいたい何か問題を起こしたか、誰かの問題に巻き込まれたかのどちらかだ。

 ユートにはどちらの覚えもなかった。酒で記憶が飛んでいたら話は別だが、それならわざわざ一日のスケジュールを変更してまで召集とそれに関する諸業務をさせず、アーデルハイトから訓練開始まで説教、緊急出撃がなければそのまま一日の基礎訓練後に残業して始末書で済む。

 だからこそ、「ただ事ではない」とユートは直感し、姿勢を正したのだ。


「まぁなんだ、昼付き合えるなら付き合うからよ」

「おう、じゃあな」


 同僚と別れ、さてどうするかとユートはため息をつく。

 現在時刻は午前九時二十分。十分後には基礎訓練が開始されるだろう。事務も十分後には始業だ。

 つまりユートは三十分、どこかで暇をつぶさなければならない。


「……どーすっかな……」


 ヘタなところでは、サボりと勘違いされるかもしれない。先ほどの同僚の言から察するに、ユートの召集は全体に知らされているものではないらしい。

 しばし考え、ユートは人が廊下に多いうちに、紛れ込むようにしてある場所へと向かうことにした。

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