第13話 女官フォルテ、庭師アルトに出会う
「はああ~。朝日が気持ちいいわ~!」
フォルテは久しぶりにヴェールを外して朝日を目一杯浴びる喜びに浸っていた。
キャラメルの髪は高く結んでポニーテールにしている。
服は動きやすい女官服だ。
昨晩、アドリア貴妃の占いを終えた後、ゴローラモが手に入れてきた女官服に着替えた。
そしてブレス女官長のスカートに隠れて一旦後宮の外に出た。
もちろん中身はゴローラモ女官長だ。
そうして占い師の世話用に臨時の女官を親戚の娘に頼んだといって紹介してもらった。
これで大手を振って王宮と後宮を出入り出来る。
「仕方なく言う通りにしましたけど、あんまり危険な真似はしないで下さいよ。
はっ。はっ。ふう~。
王宮の方は私が探りますから、フォルテ様は後宮から出ないで下さい。
はっ。はっ。ふう~」
「分かってるわよ。
ゴローラモったら宰相に聞かれて思わず本名を言っちゃうんだもの」
宰相に臨時の女官の名は? と聞かれてフォルテと答えてしまった。
まあ、だからといって今は家督も失ったヴィンチ家の娘だとバレる事はないと思うが。
「わたくし嘘をつけない性分でして。
申し訳ございません。はっ。はっ。ふう~」
「ところでさっきから何やってるの?」
「見ての通り、屈伸運動です。
まったくこの脂肪だらけの体ときたら、腹筋しようにも体が上がらず、スクワットしようにも一回で息が切れるんですよ。
ああ、稀代の剣士と言われた私がこのような醜態を晒そうとは……。
親愛なるテレサ様。どうか醜き子羊をお許し下さい。はっ。はっ。ふう~」
「運動するか、母様に懺悔するかどっちかになさいよ」
ゴローラモはブレス女官長の巨体で、器用に屈伸運動をしている。
動きに妙に切れがあって、なんだか可笑しい。
「それより昨日のアドリア様には驚きましたね。
はっ。はっ。ふう~」
ゴローラモは今度は足上げ運動に挑戦している。
「まったくよ。一日でミッション終了かと思ったわよ」
占いを始めたフォルテに向かって、開口一番、私が殺したと言い出したのだ。
よくよく話を聞いてみると、殺したというのは飼っていた小鳥の事だった。
庭に飛んできた美しい小鳥を捕まえて飼っていたらしい。
部屋で飼っていたその小鳥が、ストレスからか羽を自分で
しかし外に出ると、小鳥は空に羽ばたきたくなったのだろう。
まあ、鳥だから当然だ。
だから逃げないように強く強く握りしめた。
そうして気付いた時には冷たくなっていたらしい。
あまりに幼い少女の過ちだった。
無知が小さな命を奪った。
さすがに殺したという事実は幼いながらもショックだったらしい。
「占い師様、私は地獄に堕ちますか?
火車の馬車が迎えに来ますか?」
それが恐ろしくて眠る事も出来なかったらしい。
「大丈夫ですよ。
お墓を作って毎日お水をやって謝って下さい。
それを続ければ、小鳥も許してくれます。
もう二度と同じ失敗をしない事です。
そうして今度は困っている生き物がいたら助けてあげて下さい」
「ああ、良かったあ。
毎日お墓に謝ればいいのね。
そうすれば地獄に堕ちないわね?」
「はい。悪意なくやった過失です。
神様もそこまで無慈悲ではないでしょう」
「ああ。これで安心して眠れるわ」
どうやらそれを確かめるためだけに占い師を呼んだらしい。
自分の未来を占って欲しいわけではないようだった。
だから結局いつもの色石を使った占いはやらないままに、とめどもない幼子の話し相手になって終わってしまった。
日が暮れるまでアドリアの宝物を一つ一つ見せられ、絵合わせやボードゲームにも付き合わされた。子供と遊んでやってる感覚だった。
「もしかして王様も昨日の私のように、アドリア様と過ごしていたのかしら?」
ふと感じた推測は、今では確信に変わっていた。
「まあ、自分に置き換えて考えたなら、あのような幼い少女に女性として手出しするのは罪悪感を感じますね。……というか恋愛対象にはなりませんね。
はっ。はっ。ふう~」
「じゃあ世継ぎの子供なんて出来るわけないわね。
もっと女同士の嫉妬ドロドロの世界かと思ってたけど拍子抜けしたわ。
少なくともアドリア様はそういう世界とは無縁だわ」
そしてそれが不幸とも思ってなければ、変えたいとも思ってない。
いや、きっと変えたくないのだ。
永遠の少女。
永遠の無垢。
アドリアにとっては、それが一番幸せなのかもしれない。
でも、じゃあ王様は?
あの姫をどう思ってるのだろうとフォルテは思った。
単に興味が無いのか、姫の望むままの世界を受け入れているのか。
もしかして、その巨体と同じく、
そんな気がした。
考えを巡らすフォルテはゴローラモの叫び声で我に返った。
「た、大変ですっっ!!!
フォルテ様っっ!!」
「どうしたのっっ??」
「この体は腕立て伏せをしようにも、お腹が先に床についてしまって出来ませんっ!」
ゴローラモは悲壮な顔で、腕より出張ったお腹でうつ伏せになったままジタバタしている。
「……」
「なんたる事だっ。
指一本で腕立て百回出来たこの私が……。
ああ、テレサ様。
あなた様にこの姿を見られなかった事だけが救いでございます。
このような恥ずべき体に憑いた私をお許し下さい」
「勝手にやっててちょうだい」
フォルテは太った体を持て余す側近を置いて、庭園を散歩する事にした。
部屋のテラスから遊歩道が続いていた。
昨日、遠目に見たハイビスカスは近くで見ると、なお一層華やかで心が弾んだ。
思い返せば、父が死んで以来、花を観賞する余裕さえなくなっていた。
ヴィンチ家には母が大事にしていた薔薇の庭園があったが、今はどうなっているのか分からない。ちゃんと庭師が手入れしてくれているだろうか。
「それにしても、ここは今は誰も住んでないみたいだけれどその割りに手入れされてるわね」
三貴妃以外の妃が住まなくなって五年近くになると聞いた事がある。
だとすれば、このミラノの間は五年間無人だった事になる。
しかし雑草は抜かれ、遊歩道は掃き清められている。
「もしかして三泊する私のために?」
しかしすぐに首を振った。
遊歩道や雑草は手入れ出来ても、ハイビスカスの花園は昨日今日で出来るものではない。
「誰か庭師がいるのかしら?」
そして、そういえば昨日ピンクや黄色のハイビスカスの向こうに赤い花園が見えた事を思い出した。
(あれは何の花だったのかしら?)
フォルテは遊歩道を先に進んだ。
そして……。
(誰かいる?)
しかも男だ。
(え? 待って。ここは男子禁制の後宮の中よね?)
ここに入れる男は王様しかいないはずだ。
花園と思った場所は、近付いてみると畑のようだった。
男の立っている辺りに、赤い実がたくさん実っている。
(トマト?)
道端の雑草に混じっていびつな赤い実をつけているのを見た事があるが、この畑には規則正しく添え棒につたったトマトが一定の間隔で植わっていた。
鮮やかなトマトの赤に囲まれて、その男は立っていた。
そして、すぐに見覚えのある容姿に気付いた。
まっすぐな黒髪を背で軽く結わえ、何よりもあの深い緑の瞳を間違うはずがない。
ヴェールごしに見ただけなのに、その温かな深みに心奪われた。
(アルト護衛官だわ)
しかし昨日とは装いが違う。
白いシャツを腕まくりして、青い長ベストを腰で軽く縛っている。
足元は騎士のブーツではなく、庭師の履くような布地の靴だ。
いや、どう見ても一般的な庭師の恰好だった。
(どうして?)
フォルテは目まぐるしく考えた。
なぜ彼は変装しているのか?
庭師と王の護衛官。
どちらが本当の彼なのか?
答えはすぐに出た。
もちろん護衛官の方だ。
護衛官が庭師に変装する事は出来ても、庭師が護衛官に変装する事は出来ない。
少なくとも宰相とタメ口で話す庭師などいるはずがない。
だったらなぜ?
(占い師を見張るため?)
そこまで考えが及んだ所で、庭師はフォルテに気付いた。
彼も驚いたような顔をしている。
「君は……?」
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