第14話 女官フォルテ、王の悪口を言う

 フォルテは、はっと自分の今の姿を思い出した。


 そうだ。自分は今、青の占い師ではなく臨時女官フォルテの姿だった。

 慌てて拝礼しそうになったが、それはおかしい。

 女官フォルテは彼に会った事もないのだ。

 彼の正体を知っているはずもない。


 女官が庭師に会ったらどういう態度をするのか?

 ヴィンチ家での女官の様子を思い浮かべる。


「昨日から臨時女官として青の占い師様のお世話をしているフォルテと言います」


 彼は少し考えるような素振りをしてから、納得したように肯いた。

「そういえばブレス女官長の親戚の子が入ったと聞いたな。君の事か」


「はい。あなたは?」

 フォルテは何と答えるのだろうかと庭師の返事を待った。


「私は……」

 彼は何かを言いかけて考え直したようだ。

「私は王宮の庭師、アルトだ。よろしく」


 自分の正体を明かさないつもりなのだとフォルテは心得た。

 それならそのように振舞うしかない。


「ではアルト、ここは後宮ですよ。

 男子禁制ではなくって?

 なぜこんな所にいるの?」


「ああ……」

 アルトは今更思い出したように、ふむ、と考え込んだ。

 何か言い訳を考えているようだ。


 こんな所にいるのはどう考えてもおかしい。

 王の護衛官の方のアルトであっても立ち入り禁止のはずだ。


 しかしアルトの返答は予想外のものだった。


「王様の命令でトマトを育てている」


「ト、トマト?」

 確かにトマト畑の真ん中にいる。


「誰にも見つからず育てるには、ここが絶好の場所なんだ」

「誰にも見つからず?」


「そう。今このミラノの間は誰も住んでないし、日当たりと土壌のいい庭もある」

「そ、それはそうだけど、でも何故トマト?

 そんなものを育ててどうするの?」


 フォルテの質問に、アルトは微笑んだ。

 その屈託ない笑顔にドキリとする。


「食べてみる?」

 アルトは畑から、赤く熟したトマトを一つもいで差し出した。


「え? いらないわよ。そんな毒野菜」

「大丈夫だよ。赤く熟した実には毒はないんだ」


「でも……トマトは腹くだしの毒野菜だって昔から……」

「うん。そう思われてるよね。

 でも本当はそんな事ないんだよ

 特にこのトマトは酸味を抑えて食べやすく品種改良している」


 そう言って、アルトは自分にもトマトを一つもいで、かぷりとかぶりついた。


「まだちょっと酸味が強いけど、まずくはないよ?」


 フォルテはおそるおそる手を伸ばし、アルトのトマトを受け取った。

 そして同じように小さくかぶりついてみた。


「ホントだわ。酸味は強いけど、なんて瑞々しいの?」

 意外にも悪くない。

 美味しいとまでは言えないけれど、脂っこい食べ物に添えたら丁度いいかもしれない。


「でも、どうして王様はトマトを育てようなんて思ったの?」

 フォルテは今朝もゴローラモの食欲に圧倒されてあまり食べてなかったので、いつの間にかかぷりかぷりと完食してしまった。


「このトマトをもっと美味しく改良して、デルモンテ国の特産品にしたいんだ」

「デルモンテ国の特産品?」


「うん。国を発展させるなら、まず経済からだと思うんだ。

 他国と駆け引きする上でも、デルモンテ国ならこれ! という名物があるのは大きい」


「王様がそんな事を?」

 フォルテは意外に思った。


 在位期間だけは長いが、何も考えてない愚王だと思っていた。

 ヴィンチ家の家督を、あっさり訳の分からない男に引き渡した王を恨んでもいた。

 国のために何かを考えるような王とは思ってもなかった。


「考えなしにトマトばっかり食べて太ってる訳じゃなかったのね」

「え?」


「ううん。トマトの食べすぎで太ってるって噂だったから」


「太ってる?」

 アルトは怪訝な顔で聞き返した。


「ええ。噂では、王様って恐ろしくデブ……いえふくよかで人相の悪い人だって聞いたものだから……」


「ああ……」

 アルトは何かに気付いたように破顔した。


「そんな噂があるのか……はは……そうか……ダルか……」

 アルトは可笑しそうに笑い出した。


「違うの?」

 フォルテは不安げに見上げた。


 王の護衛官のアルトにこんな話をしてはいけなかったかと急に心配になった。

 王様の耳に入ってしまうかもしれない。


「あの……王様には言わないでね?」


 フォルテはもちろん、その王様自身に話しているとは知らない。

 アルトはその勘違いが可笑しかった。


「はは、言わないよ。

 そもそも私はただの庭師だしね」



 ◆   ◆


「朝っぱらからどこに行ってらっしゃいましたか?」


 王の執務室では、不機嫌な宰相が待ち構えていた。


「見れば分かるだろう?

 畑だ。トマト食べるか?」


「いりませんよ!!

 最近王の姿より変装してる時間の方が長いのではありませんか?」


「王の姿でいると世間はさっぱり見えて来ないからな。

 正宮の中では庭師姿も護衛官姿も私だとみんな知っているし」


「当たり前です。

 どんな姿をなさろうとも、陰に日なたに隠密が付き添い、衛兵が守らねばいつ命が狙われるかも分かりません」


「デルモンテの王はトマトばかり食べて太った恐ろしい人相の男らしいぞ」

「は?」


「世間ではそう思われているらしい」

「それもこれも、すべてアルト様のせいじゃありませんか!

 王様の三種の宝物をいつもダルに持たせてるから、そんな噂が立つのです」


「それよりも、ここ数年、民の前に姿を出してないのも問題だな」

「それは……ベルニーニ一派を捕えるまでもう少しお待ち下さい。

 今、公の場に姿を出されると、奴らの餌食にされてしまいます」


「だが、そうしている間に民の心は離れていくのだ。

 彼女の言葉を聞いて改めて反省した」


「彼女? 誰の事ですか?」


「ミラノの間で臨時女官の娘に会った」

「ああ。確かブレスの親戚と言ってましたか……」


「ブレスに全然似てなかったな。

 真っ直ぐな澄んだ瞳をしていた」


「勝手によく分からない女に会わないで下さい。

 間者かもしれません」


「この前は誰か令嬢に出会わなかったかとうるさく言ってたくせに」


「はっ! まさかアルト様!

 その女にびびっときたのでは?」

 宰相は身を乗り出す。


「そこまでは言わぬが、彼女は私の正体を知らない。

 王としてでなく接してくれる相手が、ひどく新鮮だった」


「ま、まさかその女官が占い師が言っていた運命の相手では?」


「いや、だからさっきチラッと話しただけだ。

 何でもかんでも運命の相手にしないでくれ」


「ちょっとその女の素性を調べておきましょう。

 ブレスの親戚なら、そう悪い家柄でもないでしょうが、ベルニーニの間者かもしれません」


 アルトはベルニーニの名で、ふと別の懸念を思い出した。


「そういえば最近、会議の議案が通りにくくなったとフラスコ公爵が申してたな」


「ええ。この所会議で評決をとると、ベルニーニ派に負ける事があります。

 前はフラスコ派だった公爵が、ベルニーニ派に寝返ってるようですね。

 ヴィンチ公爵家やラルフ公爵家などの有力貴族があちらに付いてるようなのですが、なぜ急にそんな事になったのか……」


「ヴィンチ家?

 確か五年ほど前に公爵が亡くなられて、幼い娘に代わって後見人が家を管理していると聞いたが?」

「その娘がベルニーニに取り込まれているのかもしれません。

 調べてみましょうか」


「そうだな。ヴィンチ家の所領は重要な場所だ。

 ベルニーニ派に奪われる訳にいかない」


「ベルニーニ派の男と縁談でも進んでいるのであれば、家督没収もやむを得ませんね」

「出来ればそんな気の毒な事はしたくないが……」


「アルト様、これは同情で保留に出来る話ではありません。

 甘い事を言ってたら国が傾きます。

 しいては民が不幸になるのですからね」


「分かってる。

 これだけは冷酷な決断も仕方ないと思っている」

 アルトは淋しげに微笑んだ。

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