デルモンテ王は後宮に占い師をご所望です
夢見るライオン
第1話 青の占い師、壺を売りつける
「うっ……うっ……。
ですから間違いございませんの。
夫は間違いなく浮気してますの。
わたくしはどうすればよろしいのですか?
「ご心配には及びませんわ、伯爵夫人様。
よい物がございます」
青い中年風ドレスに青い厚地のヴェールで顔を覆った貴婦人は、おもむろに丸テーブルの下からブツを取り出し、でんっと伯爵夫人の眼前に差し出した。
「これは?」
伯爵夫人はキョトンと青い貴婦人を見つめる。
「壺です!」
言い切る青婦人の手には、モザイク調の凝った装飾で彩られた小ぶりな壺が握られている。
「つぼ……? これがいったい……」
「これはただの壺ではございません。
わたくしが念を込め、朝に夕に祈りを捧げた特別な壺でございますのよ。これを傍に置いて大事に手入れをすれば、必ずや良い兆しが見えてくる事でしょう。
間違いございません!」
「まあ! そのような貴重な物をわたくしが頂いてもよろしいのですか?」
「あ――、こほん。
残念ながらただで差し上げる事は出来ません。
この壺自体も大変高価な代物でございますし、更にわたくしの誠心誠意の祈りがこもった世界に一つの逸品なれば、他にも欲しがる婦人が多く……。
ああ、どなたが一番必要とされているのかしら……。
迷いますわ」
「まあ! 是非わたくしにお譲り下さいませ。
お願いでございますわ青婦人様!」
「ですが先日の候爵夫人は500リコピンで譲って欲しいとおっしゃってましたし」
「わ、わたくしは1000リコピン出しますわ。
ですからどうか……」
「1000リコピン……」
ヴェールの中の青い瞳がキラリと光った。
「ああ、わたくしの自由になるお金はそれが限度ですわ……。
侯爵夫人はもっとお出しになるかしら。
夫のへそくりをこっそり抜いて……」
「いいでしょうっっ!! 伯爵夫人様!」
青の貴婦人は勢いよく立ち上がった。
「え?」
「あなた様にお譲りしますわ。
ええ、ええ。金額ではございませんの。
本当に必要な方に差し上げたいと思っておりました」
「まあ! 本当にわたくしが頂いてよろしいの?」
「ええ。ですがわたくしは助けたい方を見るとすぐに譲ってしまいたくなりますの。
1000リコピンはいつお持ちになれますか?
日にちが経つと他の方に譲ってしまうかもしれませんが、その時はお許し下さいませね」
「ま、待って下さい。
では今すぐに使いをやって持ってこさせますわ。
ですからどうか他の方に譲ったりしないで下さいませ、
◆ ◆
大慌てで現金を渡し、意気揚々と帰っていく伯爵夫人の後ろ姿を見送って、フォルテ、別名『青の貴婦人』と呼ばれる少女はヴェールを外して丸テーブルに突っ伏した。
「ああ……ついに犯罪に手を染めてしまった……」
罪悪感に落ち込む少女の隣りには、すでに天を仰いで懺悔の姿勢にひざまずく側近がいた。
{ああ、親愛なるテレサ様。
ついにあなた様の娘が悪事を働いてしまいました。
止める事が出来なかった私をお許し下さい。
うう……うう}
「泣きたいのはこっちよ、ゴローラモ!
でも仕方がなかったのよ!
どうしてもお金が必要だったんだから。
分かるでしょ?」
{ですが、亡きテレサ様が知ったらどれほどお嘆きになった事か……。
あの清らかで美しい奥様の愛娘が……。
よりにもよって霊感商法に手を染めるなんて}
「どうせ私はお母様のように清らかで美しくないわよ」
{いえ、お顔はテレサ様に生き写しでございますが、中身が残念……あ、つい本音が。
これは失礼致しました}
側近の従者は、わざとらしく深々と頭を下げる。
「いいわよ。分かってるわ。
その上犯罪にまで手を染めて、もうまともな結婚も出来ないわね」
{それでいったい幾らで売ったのでございますか?}
「1000リコピンよ……」
{はい?}
精悍な騎士姿の側近は、短くまとまった茶髪を傾け聞き直した。
「だから1000リコピンよ。
これで当分暮らしていけるわ」
{フォルテ様。
たしかあの壺はテレサ様が興し入れの時持参した、高名な壺師に作らせた大変貴重なお品でございましたよね}
「そんな事知らないわよ。
私の部屋に長年飾ってあった使い勝手の悪い壺よ」
{ええ、ええ。そうでございますよ。
あれは花を飾ったり水差しにするようなその辺に転がってる壺ではございません。
王家の窓辺に飾っても遜色のない貴重な芸術作品でございますからね}
「そうなの? 知らなかったわ」
側近の額には怒り
{な、なんという
あれは10000リコピンの値がついてもおかしくない代物でございますよ!
ああ、なんて愚かな……}
「10000リコピンだろうが1000リコピンだろうが犯罪には違いないわ。
私はもうお日様の下を歩けない人間に成り下がったのよ」
{なに言ってんですか!
霊感商法とは二束三文の劣悪品を高値で売りつける事を言うのです。
高価な芸術品を10分の1の値で売って誰が恨むんですか!
なんでも鑑定団に出して、驚くべき逸品だったと知って感謝される方ですよ}
「だって壺を傍に置けばいい事があるって言ったのよ。
それを信じてあの婦人は肌身離さず持ち続けるのよ。
ああ、神様。ごめんなさい。許して下さい」
丸テーブルに突っ伏したまま頭を抱える少女に、側近騎士はそっと手を伸ばした。
キャラメル色の艶やかな髪を撫ぜようとしたが、その手は少女の髪に溶け込むようにすり抜けてしまった。
茶髪の騎士は少女に気付かれないままに、悔しそうにその手を見つめる。
そして気を取り直して言葉をかけた。
{フォルテ様は何も悪くありません。
すべてはピアニシモ様のためにした事。
神様も、亡きテレサ様も分かっていらっしゃいますよ}
「そうだったわ。
早く着替えてピアニシモに薬を買って帰らなきゃ。
きっと心配してるわね」
フォルテは思い出して立ち上がった。
そして部屋の戸口に身なりのいい老人が立っている事に気付いた。
「ラルフ公爵様……」
今年60歳の老人は、年相応の白髪と白髭をたくわえ、落ち窪んではいるが人の良さが滲み出る笑顔で微笑んだ。
「またフォルテ嬢の独り言かね?
ずっと話し声が聞こえていたが……」
「あ、ええ。そ、そうなんですの。
ずっとしゃべってないと落ち着かないタチでして……」
フォルテは何かをごまかすように話を合わせた。
「何か困ってる事があるんじゃないのかね?
私で良ければ相談に乗るよ?」
「い、いえ。このサロンを貸して頂けるだけで充分ですわ。
これ以上のご迷惑は……」
「あなたほどの身分がありながら、従者も連れずに一人こんな所で占い師の仕事など……。
私にもう少し権力があれば良かったのだが……」
「いえ、従者ならちゃんと……」
フォルテは横に立つ茶髪の騎士を見上げた。
「え?」
「いえ……。何でもありませんわ。
わたくしの事なら心配しないで下さいませ。
占い師をやるぐらいですから、危険を察知する能力だけは高いんですの」
そう……。
とても頼りになる一流の剣の使い手でもあった側近は、もうこの世に存在しない男だった。
なぜなら五年も前に死んでしまったから。
亡き母の側近でもあった彼は、娘達を頼むと言われてながら、最悪の状況の時に死ぬ事になった無念から成仏出来ずにフォルテの傍に残った。
幸いな事に、誰にも見えない騎士はなぜかフォルテにだけは見えた。
そしてフォルテにだけ、その言葉が聞こえた。
{道中の危険はこのわたくしが命に代えても回避致します。
ご安心を}
公爵の去った部屋で優雅にひざまずく騎士に、フォルテは微笑んだ。
「代える命がもう無いじゃないの。調子いいんだから。
しかも50で死んだくせに、ちゃっかり20代の容姿に戻ってるし」
{フォルテ様の側近に相応しい姿をとってるだけです}
生きていれば、誰もがうっとり見惚れるような精悍で美しい騎士だった。
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