なにげない正月(2)

第2話

 やはりというべきか、北原家のお節は定番食材がキッチリと詰められていた。


 黒豆、数の子、紅白蒲鉾、伊達巻、栗金団、海老……。見鯨市名産品の『あの子の縦笛』まで入っているのはご愛嬌、だとしてもこのラインナップ。玄関の様子からして、北原家からは徹底的な正月へのこだわりを感じてならない。そもそも、親戚がしっかりと集まって新年のあいさつを交わしている光景まで僕らの前では繰り広げられている。一年の計は元旦にあり、というが、そういう言葉がある以上は守らないとパラダイスに近づけないと言われているよだ。


さすがに、僕らはそんな光景の中いられるはずもなく、お節を目にしただけで満足してすぐさま北原の部屋へと移動した。


 北原の部屋はシンプルだった。


 小奇麗にしてあるが、悪く言えば個性が見つけにくい。


 本棚を覗けば高校生にとっては有り触れたマンガが並んでいるが、どれも誰もが知っているようなタイトルばかりである。机の上にも無駄なものはなく、ベッドの上も部屋着が散乱していることもない。急な来客にもかかわらずこの様子なのだから、普段からこの光景が部屋にはあるのだ。


「ずいぶん綺麗にしているんだね」


 僕は、素直に感心しながら北原の部屋へと足を踏み入れた。


 すると、床の下からピロ~ンとやや陽気な音がする。


 何事かと慌てて足元を見れば、スマートフォンが転がっていた。こんな整理してあるのにもかかわらず、無造作に転がっているだけに違和感がありすぎて無意識に僕はそれに手を伸ばしていた。


「触るなよ!」


 本当に一瞬のことだったが、僕は突然の出来事に目を見開いて固まってしまった。北原が殴り飛ばすのではと思えるくらいの勢いで腕を伸ばして僕の手からスマートフォンを奪ってきたのだ。本当に刹那的だが、北原の鬼面が窺えた瞬間だ。あんな顔、初めて見る。


 そして、これまた本当に刹那的だが、彼のスマートフォンの画面に映った文字が見えた。


「ねえ、まだ? おしっこ我慢できない」


 この文面といい、北原の態度といい、僕の脳は瞬時に解釈できずに混乱のシグナルをひたすらに内側から送り続けてくるのだ。僕とは違って、すぐに北原は平常心を取り戻せたのか元の何気ない表情に戻りスマートフォンを懐にしまって自分の机の椅子に腰かける。それがあまりにさりげない動作なので、僕にした行為が幻覚のようにも思えてきた。更に、追い打ちをかけるかのように委員長もいつものテンションで部屋を眺めまわして淡々とした様子で言葉を放つ。


「退屈だな」


 自分からうかがってきて、その言葉は酷いんじゃないか。


 心の中で突っ込む。


「正月すぎるだろ。退屈だ」


「……うちの風習みたいなものです。ちゃんと正月らしい正月を出し切らないと、パラダイスポイントが減ると思い込んでるんです。そんなの、昔の人の押しつけなのに」


 委員長のいい加減な態度に抗議するわけでなく、北原は落ち着いた態度で僕たちに説明し始めた。不満ごと、というよりも、諦めも含んだような空気だ。恐らくは、幼少の頃から正月はこの流れが続いているに違いない。当たり前にしみついた感覚に、今更新しい価値観を持ち出しても無駄なのかも、そういう解釈がそこにはあるのかも。北原のその淡々とした態度が、僕には寂しくも感じられた。


「お前の家の事情は知らない。わかったのは、何でもないようなことは幸せでもないことだ。お前がそれでも平均的なパラダイスを感じられているというなら、もっとなんかあるだろ?」


 委員長は、そこで北原のベッドの下を覗き出した。


 なるほど、家探しというわけか。


 必死になって床に這いつくばりながら奥の方に手を伸ばしている委員長を見下ろしながら僕は飽きれるような目線を降り注ぐしかない。


 北原は、そんな委員長の暴走にも慌てることなく冷めた目線を僕と一緒に委員長の背中へと降り注いでいる。ベッドの下には何もないというわけか。それとも、観られてもいいという覚悟ができているのか。


 にしても、僕に向けたあの態度はなんだったというのか。ベッドの下は見られてもいいが、スマートフォンに映った文字は何が何でも見られてはいけなかったのか。なら、あの文字の送り主は誰なのか? どうやら、送り主は北原をリアルタイムで待ち続けている様子だが。


 彼女?


 可能性は考えられなくもないが、委員会で一緒の時にそんな空気はなかった。いつも淡々としている、それこそ何でもないような北原を好きになる人間がいるとも思えないが。


「……なにもなしか。退屈だな」


 本当につまらなそうな顔をした委員長が、諦めてベッドの脇からのっそりと立ち上がってきた。ベッドの下に手を突っ込んだにもかかわらず、委員長の袖には埃がついていないところを見ると、本当に北原はキッチリとした性格だというのが分かって驚かされる。


「退屈すぎるぞ。何とかしろ」


 委員長の視線は僕に向いている。つまり、この言葉の対象は僕だということを表している。この不条理な対応を押し付けられているのは、学校一幸せを感じられない、この僕に向けられているのだ。


 ああ、不幸だ。


 しかし、先輩の退屈そうだがそれでいてどこか怖い目線がすぐそこにある。仕方がない。北原には犠牲になってもらおう。


「そういえば、さっき北原君のスマフォ……」


 言葉が詰まる。北原と目があった。いつもの北原の目じゃない。今なら人だって殺しかねないそれだ。


「スマフォ?」


 そこで、委員長は北原に目線が向いてしまう。


 もちろん、委員長が振り向いた瞬間に北原の目は緩んでいたが。


「そういえば、スマフォ落ちてたな。なんだ、はっきり言ったらどうなんだ?」


 委員長は、北原に目線を向けたまま僕に言葉の先を促してきた。


 言えるはずがない。あの目を見たら言葉が出てくるはずはない。


「いや……なんでも……」


「そうか……いや、本当に退屈な正月だな。パラダイス委員会委員長としては見過ごすわけにはいかないくらい退屈だ」


 委員長は、ズンズンと北原の方へ歩み寄っていく。


 北原も、表情一つ変えずに椅子に腰かけたままだ。呼吸も整ったまま。同様の色が何一つ見られないところが恐ろしい。


 見えない攻防が始まっている。


 第三者の僕が一番動揺しているじゃないか。僕の迂闊な一言で。


 いや、迂闊なんかじゃないよ。あんなメッセージ、誰だって気になる。あのポーカーフェイスに隠された鬼面の正体を暴きたい。委員長、僕は応援するよ。


「スマフォを見せてもらおうか?」


「どうしてですか? 見せる義務はないですが」


「私が退屈な正月を過ごしている、理由はそれだけだ」


 北原は、委員長の無茶苦茶な理由を聞くとそっと立ち上がった。そして、部屋の扉へと静かに歩く。


「退屈しているなら今すぐこの家から出ていった方が無難な選択ですね。この家は、退屈のモデルハウスですから。さあ、どうぞ、お帰り下さい」


 扉をあけながら、北原は僕らを丁重に追い返そうとしている。


 もちろん、それで素直に帰る委員長ではないが。


「よーし、お前が見せないというなら私はここに居座るぞ!」


 意地の悪い委員長。今度は、ベッドの上にダイブして大の字になって寝ころがり出した。これには呆れるところだが、あのメッセージの謎を知るためにはこれくらいが必要なのかもしれない。僕は黙りつくす。


「……いい加減にしてください」


 さすがに、北原も面倒そうな顔をし始め、ベッドの脇まで戻り委員長を見下ろす。


 その時であった。


「……う、う~ん」


 委員長でも北原でも、まして僕でもない声がどこかから僅かにこぼれてきた。弱り切った動物のような声だ。一瞬、声とともに部屋が凍りつく。誰もが魔法をかけられたかのように動きを止める。変な間が、本当に数秒間だが出来上がった。


 空気を破ったのは、北原自身だった。本当に一瞬、目線が背後の押し入れに向かった。


 それを、委員長は見逃すことなかった。


「香純、押し入れを開けろ!」


 その言葉とともに、僕は自然と体を動かせていた。自分でも驚くくらいに自然と反応できた。僕の手が、押し入れへと伸びていく。それに遅れて北原の体も反転し、僕の体へと突進しようと動き出す。しかし、反応は僕の方が明らかに速かった。その差は彼にとっては致命的だ。仕方がないんだよ。委員長のために犠牲になってくれ。君の一年は初日で終わった。南無~。


 僕はしっかりとふすまの端に手をかけて、力いっぱいに引いて開ける。


「ふひゃ!」


 北原の聞いたこともないような悲鳴とも言い切れない声が聞こえたが構わない。


「よし!」


 委員長の快哉が部屋の中から轟いた。


 そして……

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