第40話 満天の星の下で
女神の遺産<エリタージュ>に優しい風が吹いていた。
一羽の黒い毛並みを携えた小鳥が少女の肩に舞い降り、その身を寄せる。少女が優しく撫でると小鳥は嬉しそうに目を細めた。
彼女の手には白く丸みを帯びた石が握られている。それは魔法付与が施されている魔法道具だ。その石の中にあの魔法が眠っているのである。
最上位防護魔法・水晶の加護<ハイエンドプロテクションマジック・クリスタルディバインプロテクション>
かつて死者となったリリーナがその命を賭してシオンに託し、そして再度入手可能にする為、発動前のリリーナが解読し盗品商に保管していた魔法構成だ。
まさに過去と未来のリリーナ自身が生を勝ち取る為に手を取り合った結果が今、生者として存在しているリリーナなのである。
そして、その橋渡しとしてリリーナを喰ってまで記憶を保有し、世界で唯一の好敵手である彼女の為に奔走したシオンの存在も忘れてはならない。
どちらか片方が欠けていたら今、この現実は生まれていないのだ。
「つまり私は二度、時間を遡っているというわけか」
「全ては生を勝ち取る為に。全てはあのクソ女を倒す為に」
そう口にすると突如、リリーナの体を青白い光が包み込む。
シオンは白い魔法道具から魔法構成が浮かび上がり、流れていく様子を口を閉ざし見つめていた。
その時、どこからともなく複数の小鳥が椅子を嘴で持ち上げ、シオンの足元に置く。空中で旋回しながら「シオン。座れ」と言葉を放っていた。
彼女は小鳥の声に笑顔で答える。
「あら。気が利くのね。命令口調なのはちょっと癪だけど有り難く使わせてもらうわ」
「少し時間かかるぞ? 黙って待っているのか?」
水晶の加護の魔法構成を構築しながら、視線を移す事無く言葉を紡ぐリリーナへ、シオンは椅子に腰かけると優しく口元をほころばせた。
「見てるわ。あの時のようにね」
女神の遺産<エリタージュ>にも夜は訪れる。
だがそれは地上とは比べものにならないほど美しさに満ちていた。夜空に浮かぶ星々はまるで一つ一つが宝石であるかのように光り輝いている。
手を伸ばせば届くのではないかと錯覚するほど、眼前に散りばめられた光を見上げながらリリーナは感嘆と受け取れるため息を漏らす。その傍らに彼女を守るかのように身を寄せ佇む
彼女達がいる場所。そこは神殿の最上部である。
宝石が彩る夜空をリリーナに見せようと監視者が彼女を連れてきたのだ。彼女の長い尻尾がリリーナをまるで卵を温めているかのように包み込んでいた。
リリーナは星空を見上げながら視線を移す事無く言葉を紡ぐ。
「こんな美しい夜空であってもこの地上は全て死に満ちている。不条理な世界だと思いませんか?」
「全ての生物は生きようとする。だけどそれは全てが幻想。記憶に従って動いている。ただそれだけ。……そんな世界が許されるわけがありません」
煌びやかに光り輝く星々を掴もうとばかりに手を伸ばしたリリーナは、その小さな拳にぐっと力を込めた。
いつしかそのサファイアの瞳は、決意という名の炎に彩られ青白く光り輝いている。
「私はあの者を滅します。奴の存在はこの世界にあってはなりません。……必ず殺します。魂のその一片まで余す事無く」
その時、終始無言で耳を傾けていた監視者が、彼女と同じように空を見上げ声を響かせた。
「私には世界を見る力がある。……クレアシオン大陸は死に満ちた。例外はない。全ては死者となった」
「神の子よ。お前は全ての死者を死に還すと言った。……今、一度、問おう」
監視者の金色の瞳がリリーナを捉える。夜空へ伸ばしていた手を元へ戻すとリリーナは無言で青い瞳を監視者へと向けた。
そこには真剣身を帯びた鋭い瞳が青く光り輝いている。
「全ての死者を死に還す。それが『世界の滅亡』を意味しているとしても、お前はそれを現実のものとするのか?」
沈黙が流れる。
金色の瞳と青いサファイアの瞳が交差する中、リリーナの唇がゆっくりと言葉を紡いだ。
彼女にとって答えなどすでに決まっていたのだろう。この世界の末路を知った時。あるいはフラン・エスペランスが骸と化した時。あるいはあの残虐のシルフィリアが現れた時。プラヴォートが自ら炎に身を投げたその時。そして、死者となったリリーナからあの言葉を受け取った時……。
死は優しく、生は過酷だ。だからこそお前は生きなければならない。
『そして生命を継がねばならない』
「いずれは全ての人間は動く死体となり喰らい、その命を終わらせることでしょう。それは人としての生き方ではありません」
「私は例え仮初の命だとしても人としての尊厳を尊重したい。全ての人が人として生き、人として死ぬことを尊重したい」
「だからこそ私は全ての死者を死に還します。例えそれが世界の滅亡を意味するとしても」
リリーナのその言葉を耳にして、監視者は長い首を動かし大きな頭を小柄な体へと寄り添わせる。
彼女はその頭を優しく抱きしめた。
その表情はまるで母親に抱かれているかのような安堵感に満ちている。
「……暖かい。まるであなたは母親のようだ」
「リリーナ・シルフィリア。お前が生み出されてからずっと私はお前を見てきた」
「ケンウッドに育てられていたお前も。フラン・エスペランスに出会ったお前も。シオンと出会ったお前も。賢者になったお前も……全てだ」
「あるいは私は母親と呼べる存在なのかも知れないな。女神シルフィリアに嫉妬されそうだ」
優しく響くその言葉にリリーナは微笑み目を瞑る。
これから過酷な運命を歩む十八歳の少女は、その時だけ全ての鎖から解放され慈悲に溢れた温もりにその身を預けた。
だが闇は確実に迫っていた。
竜狩りの死体を粉々にしその白いローブが風に揺れる。
シルフィリアと刻まれた石碑の前で、上空を見据えるその口が残酷な笑みを浮かべていた。
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