小説part

01 突然やってくる

 ……、あやねは、あの日私を家に呼んでくれて、

 あやねは、あのとき私のことをほしがってくれたの。

 あの日、私はあやねに愛されているって感じたんだよ。

 それを信じたい。

 あやねを信じられなくなったとき、この恋の終わりの日するって、いま決めたから。


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 私はシャープペンシルを置いた。ふうと小さくため息をつく。

 部屋は静かだ。時計を見ると、24時を回っていた。厳密に言うと、この文章は1日ではなくて2日なんだなと思いながら、私は五冊目のノートを閉じて、袋の中にいれた。そして、鍵付きの引き出しにしまったあと、身体をぐっと伸ばす。

 

 ベッドに座ってみたもの、ふとんの中に入る気持ちが湧かなかった。

 今日書いたことを思い出してみる。

 信じることができないという痛み、信じることができれば訪れる喜び。

 今日文章にして整理された考えは、その通りなんだろう。いま、私の身体には、確かな高揚感がある。それでも、この高揚感は、きっと一夜を過ぎれば消え去ってしまうのではないか。そんな恐怖があった。私だってそんなにバカじゃない。上がっては下がってを繰り返していることくらい、自分でわかっているのだ。

 私は諦めて、ふとんにくるまった。

 願わくば、目を覚ましたとき、冷たいモノクロの世界が広がっていませんようにと――。


 

 部活の再開までまだ数日ある。暇を持て余した私は、家族と一緒に初詣でに出かけることになった。歩いて五分のところにある神社にお参りいくだけの家族行事の一つで、最近は参加していなかったけれど、駅伝を見ているのも飽きていたのでついていくことにしたのだ。

 二つ返事でOKを出したあと、私は困惑した。大里くんに会う可能性があることをすっかり忘れていたのだ。

 家を出てからというものの、私はずっと落ち着かなかった。両親の後ろをひっそりとついて行った。頭のなかは、真っ白だった。

 お賽銭箱の前は、地元の小さな神社とはいえ、かなりの盛況で十数人が並んでいた。

「美紗都は何を願うの?」

「就活の成功だよなあ」

 両親の言葉はみみに入らない。

――わたしは、何を願うの?

 すぐに順番がやってきて、私は財布から慌てて五円玉を見つけ出し、ちからなく投げた。ゆっくりと手をあわせて、目をつぶる。

 わたしは何を願うのだろう。

 言葉は出てこない。それでも、さっきまで真っ白だったスクリーンには、大里くんと、あやねの笑顔が浮かんでは消えた。


 初詣を済ませた私は、部屋に閉じこもり、「あやねノート」を取り出した。右上の日付の欄に、1月2日と記入する。シャープペンシルを持ったまま、私は頬杖をついて、そのまま目を閉じた。

 昨日の予想した通りだった。

 私の頭のなかでは、「あやねはウソをついていたのではないか」「交通事故はあったけれど、それを口実に会うことをやめたのではないか」「つまり、大里くんとよりを戻したのではないか」という考えが巡っていた。信じることが必要だということがわかっていても、振り払おうとしても、何度でも疑念はやってくる。

 本心を言えば、もう諦めているのだ。

 あやねが私のところにくることはないって、わかっているのだ。

 私があやねのことをまだ好きでいるから、今にも切れそうな糸が続いているだけであることを。延命しているだけの状態だということを。

 今年は、どんな年にすればいいのだろう。三人をめぐる関係は、どこに終着すれば、成功なのか。それを目標にしたいのに、どれだけ考えても答えは出てこない。

 私は結局、ひと文字も書くことなくノートを引き出しにしまい、そっと鍵をかけた。


 5日から部活が再開した。4年生引退したいま、私は最上級生であり、慣れないパートリーダーの仕事をしている。ミーティングがはじまる時間に滑り込むように、遅刻や欠席の連絡がぽつぽつと入る。昔は欠席する部員にいちいち不満が浮かび上がっていたというのに、最近はなんとも感じなくなってきてしまった。ふうとため息をついたあと、再び周りを見渡す。

 大里くんも、あやねもいない。

 いれば心が大きく揺れ、いなくても心が大きく揺れる。

 欠席の理由は、大里君が家庭の事情で欠席で、あやねは無断欠席だった。


 部活が終わったあと、私は一人第五音楽室の外でスケール練習をしていた。すると部長とトランペットのパートリーダーが私のところにやってきた。

「大堀さん、ちょっといい?」

 私は、怖い顔をしていたと思う。

「なに?」

 私の声は、どこかささくれだっていた。

「ここでは、ちょっと話しにくいから、あっちにいこう」

 そう言われて、私は二人のあとをついていった。なんとなく察しはついた。

「まあ、いつものことなんだけど、今度こそ大里くん退部したいっていうんだよね」

「資格試験で休部するときはさ、ちゃんと手順を追って休部してもらったでしょ。なんか今回それを拒んでいてさ。もう部活にはいかないとか言ってるんだよね」

「……、それを、どうして私にするの」

「そりゃ、大里くんに部活に来てもらうためさ。やめるときはちゃんと話し合いの場を設けたいんだよ。なにか大堀さんなら知っているかなって」

「……、本人に聞けばいいと思うけど」

「全然、連絡をくれないんだよね」

 私が黙っていると、部長が言葉を続けた。

「なんか、最近様子がおかしいもんなあ。そういえば、磯山も全然部活こないもんな」

「……、今日は、磯山さんはどうして欠席だったの?」と私は尋ねた。

「いやあ、わかんないや。また二人でサボってるのかな」

 身体に悪寒が走る。心臓をえぐられたような気分だ。

「そんな顔するなって。練習の邪魔して悪かったよ。また何かわかったら教えてね」

 そういって、二人は去っていった。

 私はその後ろ姿を見ながら、小さく息を吐いた。

 何か、あったのだろうか。

 でも、電話で確認することなんて出来やしない。

 

 次の日も、そのまた次の日も二人は部活を欠席した。

 大里君の退部の話しはすぐに部活全体に広まった。あやねは無断欠席のままだった。いったい、何が起きているのかわからない。このままでは埒が明かないことははっきりとしていた。

 日曜日の夜、私は勇気を振り絞って、あやねに電話をした。


――この電話番号は、現在使われておりません。



 うそでしょ。

 私は気づいたら、携帯電話を落としていた。

 小さく呼吸をする。その呼吸が次第に大きくなる。携帯電話を拾い上げて、メールを送ってみた。エラーですぐに戻ってくる。

 私はベッドに倒れ込み、天井を見上げた。なにも考えることができなかった。思考が止まるとは、こういうことを言うんだろうな。そんな考えが浮かぶまでに、いくらかの時間がかかった。

 大里くんには、電話繋がるのだろうか。

 いっそのこと、会いに行けばいいのだ。歩いて五分のところに住んでいるのだから。それでも、何か行動を移す気持ちは生まれてこなかった。身体からはすべてのちからが抜けきっていた。


――そうか。パートリーダーに聞けば、あやねの電話がいつからつながらないかを知っているかもしれない。私は携帯電話を手に取り、クラリネットパートのパートリーダーの電話番号を表示させる。

 大きく息をはいた。

 なんて聞き出せばいいのだろうか。

 怪しまれたりしないだろうか。

 いや、私は部長から大里くんについて相談を受けていたのだ。それであれば、あやねの状況を知ろうとすることは自然であるはずだ。

 携帯電話のコール音が鳴りはじめる。

 こんなにも、コール音が長く感じたことはなかった。


「なに、どうしたのこんな時間に」

「あ、ごめんね」

「……、ん? ちょっとよく聞こえないんだけど」

「あ、ごめん、電波が悪いのかも」

 私はそう言って、部屋から出て玄関から外に出た。

 コートすらはおらずに出てきたから、全身が冬の凍てつく寒さにむしばまれた。

「あ、あのさ、ちょっと部長に相談を受けていてね」

「ああ、大里くんの件か」

「そう、そうなの」

「磯ちゃん、退学するらしいよ」

 私は、声を出すことができなかった。

「携帯電話が通じなくてさ、どうしちゃったんだろうって思ってね、実家の方に電話をしてみたの。そしたら、もう大学に通うのは辞めるんだって。もともと、装飾関係の仕事に就きたいって言ってたでしょう? だから、大学をやめて専門学校に通うんだって。急なことで申し訳ございませんって言ってたけど、どこまでほんとうなのかなあ。心配になっちゃうよね。って、美紗都、聞いてる?」

「あ、うん」

 私は、それしか言葉にできない。

「大里くんの退部の件は、まあ関係しているのかもしれないよねえ。最近あんまり二人でいないから、私はてっきり別れたと思っていたんだけどさ。まあ、二人ともやめちゃうってことだから、部活的にはちょっと困るよねえ。大里君はなんだかなんだ、けっこう上手だからね。磯ちゃんにだって、来年コンクールに乗ってもらうつもりだったわけでさ。せっかくバスクラ上手くなってきたのに、もったいないよねえ」

 ……、私はそのあとも、適当に相槌をうつことしかできなかった。

 電話を終えた私の手は悴んでいて、全身が震えているのがはっきりとわかった。

 家に戻り、部屋にあるストーブの電源を入れる。

 カチ、カチとストーブが声を上げて、しばらくしてからなま暖かい空気を吐き出す。私はその場から一歩も動けなかった。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 私は机に座り、鍵を開けて引き出しからノートを取り出した。

 ページを開き、1月8日と右上の日付の欄に記入する。


――ねえ、どうしてなの。


 それ以上は、何も書けなかった。

 そのノートを手で払いのけて、私は顔を机にうずめた。

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