◇34.捧げ合うは歪んだ祈り


 ゆうが目を覚ましたのは、第一の物語と同じく自分の部屋のベッドの上だった。膨れ上がったサファイアブルーの光に包まれてからの記憶は飛んでいる。第二の物語は終焉を迎えたと言うことなのか。


 起き上がり鏡の前へ移動する。映り込んだ左目は正常な色を取り戻している。


「しかし、いってぇな……っつか、さむっ!」


 闘いによる負傷の痛みに勝った肌寒さ。クローゼットの中を漁り長袖のスウェットの上下を取り出すと、着用している半袖半ズボンの上から着込んだ。


 ふと、考え止まる。


「はっ?」


 壁に掛けているカレンダーを見て瞬きが早まった。“十一月”の文字。第一の物語の終結時と決定的に違うことが起こっている。Adaptアダプト:適応する前に時は戻らず進んでいる。まさか、既に第三のgameゲームは始まっているのか。


誠也せいやCコールを飛ばすべくスクリーンを立ち上げた途端、仁子ひとこからCが入った。


「もしもし」

「(五十嵐いがらしくん、無事?)」

「ああ、お前もか?」

「ええ。あのね、先輩の、ことなんだけど……」


 仁子の声色に心臓がドキリと跳ねたが、そのまま一通り話を聞き、優はほんの少しであるが安堵した。


「わりぃな。頼むわ」


 最後にそう短く返すと、優はベッドに仰向けで倒れ、長い息をついた。





 ◆◆◇





「五十嵐くん、都合つかないみたい」

「そっか。分かった、じゃあ、いこうか」


 優との通信を切った仁子は、誠也、真也しんや賢成まさなりと一緒に病院の玄関口にいた。


 仁子が自宅にて意識を定めたのは正午過ぎだった。誠也からCが入り、輝紀てるきについての報告を受けた仁子は、すぐに家を飛び出したのだ。


 受付を済ませ、案内された整形外科病棟へ向かう。輝紀の部屋は七〇一号室だ。辿り着き、誠也が静かに病室の扉を開くと、純白のベッドに包まれ、すやすやと寝息を立てている輝紀がいた。


 誠也が輝紀から直接受けたCの内容は、命に別状はないが、第二の物語で負傷した二か所の内のひとつである腓骨ひこつの骨折となり、唐突に開始してしまったEpisodeエピソード threeスリーに影響した。目覚めた輝紀は手術を施された状態にあり、入院約三週間、全治に約二ヶ月程を用すると医者から告げられた。幸い単純骨折で済んでいたため、比較的短期間で完治を目指せるそうだ。


 輝紀の顔を覗き込んだ真也は、しーっ、と人差し指を自らの口元に当てた。仁子は置いてあった丸椅子に腰掛けると、そっと輝紀の身体に触れ、撫でるように動かす。


「先輩……先輩は、……?」


 Dark Rに染められたことで示された輝紀の抱える“Regretリグレット”の念。心を巡って止まない数々の想い――仁子は両手で輝紀の左手を握り目を閉じた。



 ◆



なりくん!」


 肩を震わす仁子の背中から目を逸らし病室を出た賢成を誠也は追った。エレベーターホールで二人は向かい合う。


せい~、どうしたの?」

「一個だけ、聞きたいことがあって。成くんは、どうして杏鈴あんずちゃんが、青色のお姫様だって知ってたの?」


 疑っているわけじゃない。ただ、あの絵画に描かれていたおぞましい事実さえ見据えていたような賢成を、気にならないようにすることは難しい。


 じっと見つめ返してくる賢成。沈黙に誠也の心が怯え始めたその時、賢成の目尻はにっこりと笑みを作った。


「知らないよ~、俺」

「え?」

「俺にとって、あんちゃんがお姫様だから、チームの色にかけてそう言っただけ」


 誠也は呆気に取られてしまった。それが適当な発言であるだなんて、絵画を見たあの瞬間に考えに及べるわけがない。昔からそうだ、賢成はどこまでも読ませてくれない。


「と言うか、知ってたの? って……」

「い、いや! ううん! 何でもないんだ! 忘れて!」


 頭の切れる賢成だ。隠し切れないのは重々分かっているが、誠也は敢えて事実を伏せ込んだ。杏鈴の過去の所有者が死に追いやられていたかもしれないなんて、口が裂けても賢成には絶対に言えない。


西条さいじょうさんのことは、ごめんね~。個人的に連絡入れて謝罪するよ」

「うん。分かった……」

「俺、いくところあるんだ、ごめんよ」

「あ……うんっ、気をつけてね」


 ひらひらと手を振り、賢成は到着したエレベーターに乗り込んでいってしまった。いつもであれば元気に「アディオ~ス♪」と去り際の挨拶してくるはずだが今日は違った。あそこまでに愁いのある賢成の表情を、これまで過ごしてきた中で見たことがあっただろうか。病室へ引き返す中、誠也の脳裏からはその表情が離れなくなっていた。





 ◆◇◇





 夕暮れの海辺をつばさと杏鈴は歩いていた。


「翼くん、これ」


 杏鈴がACアダプトクロックから取り出した説明書を翼は受け取ると、記されている文字に目を通し始めた。


「……なるほど」


 Dark Rダークアールの手により与えられた杏鈴へのダメージは痛みが残る程度の軽傷で奇跡的に済んだ。それは宮殿の引き出しから持ち出しポケットに入れ込んでいたネックレスが、今現在の杏鈴が所持しているネックレスの代わりにここに記されている“浄化の力”を発動させたおかげに違いない。杏鈴のCrystalクリスタルは未覚醒だが、この力は覚醒付随能力に極めて等しいものであると想定出来る。尚、Dark R戦から解放され目覚めた時、宮殿から持ち出したそのネックレスは跡形もなく消失していた。


「結局……第二の物語って、クリアしたのかな?」


 歩みを止め、二人は穏やかな波の揺れを見つめる。


「……さっき、五十嵐から連絡があったんだが」


 そこまで言い口を噤んだ翼を杏鈴が覗き込む。


「……その……やつがSeeingシーング Throughスルーで見た俺達に関わる映像について纏めると、過去のお前の所有者は、恐らく俺ではなく、最終的に白草しらくさの所有者と、どうにかなったんじゃないかと考えられると言っていた」


 潮風にふわりと靡き顔にかかったアッシュベージュの髪の毛を、杏鈴は左手で掻き上げる。少し不機嫌そうになったのは、認めたくないと言う思いからなのか。


「……もう、お前も分かっただろう。因果は色濃い。逃れたくても、そう簡単に逃れられるものではない。恐れる気持ちも分かるが、現世の白草とお前の関係に影響していると言うのはもう間違いないだろう」

「翼くん」


 杏鈴は身体を屈めると、履いていたローファーを脱ぎ、さらには靴下まで脱ぎ始めた。


「……おい、どうした。風邪引くぞ」

「わたしね、捨ててきた」


 露わになった青白い素足。翼の前に回り込んだ杏鈴は潤んだ眼差しを向けてきた。汚れるに汚れ切った彼女の中で、唯一純粋な輝きを残してしまったそのひとみ。吸い込まれそうな感覚に、翼は思わず空気を呑む。


「自分らしく過ごすこと。自分を見せて過ごすこと。大勢の前で思いっ切り笑うこと、泣くこと、怒ること、悲しむこと……人としてないといけないもの、本当は欲しくて堪らないもの、希望も、本音も、全部捨てたの。辛くはなかった。普通に近づくためにそれらを諦めることは容易かったの。でもね、歌を唄うことだけは諦められなかった。捨てたくても、どうしても捨てられなかった。全てを諦めなければ存在してはいけないわたしのくせに、諦められなかったの」


 杏鈴の頬に涙は流れていない。でも、杏鈴は泣いている。翼の心は締めつけられる。苦しくても、杏鈴を見つめ返す視線だけは外さない。


「きっと、この先も自分を大切にしたいと思うことはないと思う。でも、びっくりしたの。第二の物語を通して思えたんだよ。人のことを護りたいって。忘れてた、むしろ生まれた時からなかったのかもしれないけど、身体中に血が巡ってる感覚がしたんだ。救えるのなら、救いたい。だから、翼くんの心をもし、少しでも救うことが出来るなら……」


 声をフェードアウトさせると、杏鈴は翼に背を向け海へと入っていく。冷たい水に臆することなく足をさらして尚、杏鈴は真っ直ぐに進んでいく。浜辺から少し離れた、まるでCrystalの世界の海に浮かんでいた小さな白い砂浜をイメージするかのような位置で止まると、杏鈴は水色のワンピースの裾を風に乗せながら、翼のほうへ向き直った。


 杏鈴は両目を瞑り、スウ、と空気を吸い込む。発せられた、たった一音目。それだけで翼の全身に鳥肌が立った。杏鈴が奏でるのは、翼が父親からもらったあの銀色の宝石箱に仕舞い込まれた曲。溢れ続ける透き通った美声。翼の心にこびりついていた苦しいものが一気に溶けて浄化されていく。


両目から涙が零れ出したが、拭わぬまま翼は前に進み出す。履物も脱がずに海へと入り込んでいく。


 閉口すると同時に静かに開いた杏鈴の瞳。


「翼く……」


 勢いのまま、翼は杏鈴を抱き締めた。冷え切った空気の中で感じるこの温もりは断じて美しいものではない。そう頭では分かっても、寂しさと依存心は纏わりついて離れない。杏鈴も翼の身体に手を回し返した。


「あっ、それ……」


 杏鈴の身体を優しく放した翼がズボンのポケットから取り出した物は、翼の部屋に忘れていった今の杏鈴が所有しているネックレス。翼は杏鈴の首に手を回すと、留め具をしっかり繋いでやった。


 切な気に眉を下げながら、杏鈴は翼の両頬を包んだ。白くて細い指が、涙の跡を拭いてくれる。どれだけ汚れていても、翼にとっては何よりも優しくて、愛しくて、堪らない。


「……杏鈴。ありがとう」


 壊れてしまいそうな互いの心がこれ以上ひび割れぬようにと、歪んだ祈りを込めながらどちらからともなく唇を重ねた。



 その様子の全てを遠巻きから眺めていたのは。顔を伏せ、荒ぶる感情を抑えるように、暗くなった街の喧騒へ静かに姿を消した。


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